あいいれる

1/13
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
「瀬名ってさー、稲川のこと好きなの?」 ふいに掛けられたその言葉に、瀬名は振り返る。瀬名の視線はそれまでとある女子グループに向かっていた。 「え?いや別に」 「そっか?なんかいっつも見てる気がするからそうなのかと思った」 「とか言ってる大堂(だいどう)がほんとは見てるんじゃないの?」 「俺のことはいいだろ」 大堂はぶっきらぼうな口調ではぐらかし、瀬名から視線を外す。慌て方からすると強ち間違いでもなさそうだと瀬名は推察する。 「何?お前ら稲川が好きなの?かわいいから狙ってるやつ多そうだけど、がんばれよ」 「ちげえよ」 日吉(ひよし)の軽口に大堂がムキになる。瀬名も「そうそう違う違う」と相槌を打ちながら、内心では気を付けないとと思う。 確かに瀬名は見ていた。けれどそれは稲川ではなくその友達だ。彼女は稲川を含む数人といつも一緒にいるので、瀬名の視線を追った大堂が瀬名を恋敵と勘違いするのも仕方ない。しかし瀬名が彼女達の方によく視線を送っているという事をこれ以上周りに知られるのは避けたい。今度からたまに見るくらいにしないとな、と瀬名は心に留めておく。自分が恋をしてるなんて事を誰かに知られるのは何となく恥ずかしいのだ。 瀬名がそんな事を考えていると、彼女達は教室から出ていった。……どうやらまた見てしまっていたようだ。気をつけようと思った傍からもうこれなのだから我ながら呆れてしまう。瀬名は心の内で溜め息を吐く。 「あー、梅雨さっさと終われぇ。運動不足で欲求不満になる」 瀬名は横で嘆く羽柴(はしば)に顔を向ける。 六月中旬になり、それまで辛うじて堪え忍んでいた灰色の空もいよいよ限界に達したようで、数日前から大量の雨を撒き散らしている。雨が降ると校庭が使えない。すると、「では体育館を使おう」という生徒がこぞってそこに押し寄せて来る。そうなると体育館はそんな生徒でいっぱいになり運動するどころではなくなる。そしてそこには空調設備もないので、サウナ状態だ。それでもめげずに多くの生徒達は体を動かしたいと思っている。ちなみに瀬名達もその内の一人だ。 けれど収容人数というものには限りがある。つまり、早く辿り着けば使えるし、遅ければ使えない。そうは言っても三階にある体育館を使用するのは同じく三階に教室がある二年生が圧倒的に有利になる。いや、そもそも授業の合間の十分休憩の間に昼食を済ませて昼休みを告げるチャイムの音と共に教室を出ても、恐らく同じ事をしている彼等には四階に教室のある瀬名達一年生ではどうしたって敵わない。それを思い知らされた瀬名達は、雨の日は体育館に向かう事は始めから諦め、鬱屈としながらこうして雑談をしている。今の羽柴の言葉はそんな瀬名達の現状を一言で表していた。 「むしろ夏休み早く来い」 羽柴が自分の机に突っ伏しながら溢す。 「その前に中間テストだけどな」 「そんなものは知らない」 大堂の冷静なツッコミに現実逃避で答える羽柴。 「夏になったらバイトでもはじめるかな」と日吉。 「バイトかー。金貯めたいし俺もやろっかな」 美浜(みはま)が腕組みして言う。 「貯めてどうすんの?」 「クリスマスに彼女と出掛ける」 「美浜、彼女いたの?」 「それまでにつくる」 「がんばれ」 これはできないパターンだなと思いながらもとりあえず応援はしておく、といった様子の日吉。 「俺は学業優先って名目でバイトしないでお小遣いだけせびってたい」 「出たな妖怪・親の脛かじり」 自立する気は更々ない羽柴を美浜がからかう。 そうして実の無い会話に花を咲かせていると、なんだか視線を感じたような気がして瀬名は顔を右に向ける。城後(しろご)だった。 音楽でも聴いているのかイヤホンを付けている城後は、机に左肘を突けて片手で頭を支えながらこちらを見ていた。瀬名と目が合うと、すいーっと視線を外して自身の前の席に横向きに腰掛けている立枝(たちえだ)と何事もなかったように話し始めていた。 高校生活が始まってもう二ヶ月以上経つが、瀬名は城後の事があまりよくわからない。立枝とよく二人一緒にいるが、どちらもいつもだるそうというかやる気がないというか、厭世的な感じがする。そして瀬名はそんな二人を見ていると、別に一人でいても構わないが、体育の授業などで二人一組になる必要がある場合に支障が出るので、そういう時の為に一緒にいるのかもしれないなという考えが浮かぶ。互いに深くは干渉せず、有事の際には互いに協力する、ビジネスパートナーのような関係とでも言うのだろうか。そんな類いの距離感を、瀬名は二人から感じるのだ。 数日後にそんな城後達と接する機会があるとはその時の瀬名には思ってもみなかった。……正確には瀬名が一方的に距離が縮まったと思っているだけかもしれないが。 その日も雨だった。午後の最初の授業は体育で、瀬名達のクラスは水泳の代わりにバスケットボールをやる事になった。 瀬名の在籍するクラスと隣のクラス、二クラス合同で男女別に行うので、各クラス内で半分ずつに別れてチームをつくり、トーナメント方式で競い合う事になった。じゃんけんで二チームに分かれた結果、瀬名のチームには仲の良い者は誰一人おらず、大堂も羽柴も日吉も美浜も皆別チームになった。一方瀬名のチームには城後と立枝というやる気のないコンビが揃っていて、二人は今にも欠伸の一つや二つでもしそうな様子だ。やる気を出せばあるいはすごい動きをできるのかもしれないが、あの様子ではやる気など期待できそうにない。 そして瀬名のチームは案の定試合に負けてしまったけれど、六点差で済んだのだから善戦したと言ってもいい。早々に他チームの試合を眺めるだけになってしまった瀬名は、大堂達の試合を眺めつつ、女子の試合も見ていた。 「五太代(いたしろ)がシュート決めたな」 突然の横からの声に瀬名はどきりとした。女子の方を見ていた事に気付いたのか?それとも別の誰かに話し掛けただけ?そんな疑問と共に、瀬名は声の主の方に顔を向ける。残念ながら前者のようだ。城後がこちらを見ていた。隣には立枝もいる。更に城後はそんな瀬名に追い討ちを掛ける。 「好きなの、そっちなんだろ」 言葉自体は少なかったが瀬名には城後の言いたい事がすぐにわかった。この間大堂に稲川に気があるのかと問われたが、瀬名は即刻それを否定した。城後はその話をを聞いていたのだ。そして今、五太代 祝衣(いわい)の名前を挙げて好きなのは彼女の方なのだろうと尋ねてきた。確認してきたと言ってもいいかもしれない。瀬名にはそれくらい確信のある言い方に聞こえた。 瀬名は思わず城後に一歩詰め寄っていた。しかし上手く言葉が出て来ない。隠したい事柄があっさり知られてしまったという驚きと気恥ずかしさ、それと大堂ではないが、まさか城後も五太代に好意があるのではという不安にも似た疑問が瀬名の脳内によぎる。他人と同じ人を好きになるというのは、それだけで気が重くなる。瀬名はスポーツで誰かと競い合うのは好きだが、誰かの愛を勝ち取る為に他者と競い合うのは昔からいい気がしなかった。 「当たりだ」 「いやまだわかんない。本人は何も言ってないし」 「これは認めたって言っても問題ないはずだろ」 言葉を失った瀬名にはお構い無しに城後と立枝は何やら話している。 「五太代のこと好きだよな?」 「好きじゃないっしょ?」 埒が明かないと思ったのか二人は話をやめ瀬名を問い詰める。周りに聞かれたら堪ったものではない。瀬名は口元に人差し指を当て一旦二人には口を閉じてもらう。 隠し通すのは難しそうだ。瀬名は覚悟を決めて頷いた。 「そう。好きだよ」 よし、と城後は小さく頷き、立枝は、ふぅ、と溜め息を吐いた。 「で、二人は何でそんなこと訊くわけ?」 二人の反応に戸惑いながらも瀬名は尋ねてみる。恥ずかしさで顔が赤くなりそうだったのでとにかく会話を続けて気分を変えたかったというのもある。 「賭け、してたんだ」 と立枝。 「城後が、瀬名は五太代が好きだって言うから、それが本当だったら今度お昼奢るって」 瀬名はえぇ?ともはぁ?とも判断が付かない声を出していた。自分の秘密がそんなしょうもない賭けの出汁にされていた事に怒る前に呆れてしまったのと、秘密があっさり暴かれてしまいなんとも情けない気持ちになった事が絶妙に混ざり合って出てきた声だった。 「そういうことだから別に気にしなくていい」 「いやするだろ。誰かに言いふらされたりとかは勘弁だし」 「そんなことしないから安心しな」 「そう言われても……」 尚も抗議しようとする瀬名だったが、事実確認をしたらもう瀬名には興味を失ったようで、二人は瀬名を他所に「くそー。俺の勘が外れるとは」「何奢ってもらうかな」などと話し始めた。 「人に秘密曝させときながらもう無関心なのやめろ!」 瀬名にとって祝衣を好きな事は誰にも知られたくない秘密だったのだ。それを隠し通せないとなったのなら、いっその事全部話して楽になりたかった。それなのに城後も立枝も瀬名の秘密を暴くだけ暴いて何の興味も抱いてくれないのは、瀬名としては何とも消化不良なのだった。 「いや、だってどうでもいいし」と即答する城後とそれに「なあ」と同意する立枝に、思わず体の力が抜けて、はぁ、と溜め息を漏らす瀬名。この二人の前では、自分の秘密など些細な事に過ぎなかったのだなと感じてしまう瀬名だった。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!