記憶売買

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冬のある日のこと、僕の店に、みすぼらしい身なりをした一人の男が現れた。 僕は一目で、この男が経済的に困窮している人間だと見抜いた。 つまり、この男は自分の記憶を売りにきたのだ。 僕はもうかれこれ十年近くも記憶で商売をしているから、客が記憶を買う側なのか、記憶を売る側なのか、記憶を除去してもらう側なのかといったことは客の目や姿勢を見ればすぐにわかる。 この男は生活に行き詰まっていて、とにかく金が欲しいのだろう。 良質な記憶は高値で売れることがあると言ったが、高値で売れるような良質な記憶は滅多に存在しない。 大抵の場合、普通の人間が持つそこそこ良質な記憶は数千円で売れるといったところが関の山だ。 数千円なんていう金は、自らの記憶を売ってまでして手に入れるような金ではない、と僕は思っている。 数千円なんかより、よほど記憶の方が大切だ。 けれど、経済的に困窮してしまって見境のつかなくなった人々は、そんな価値の判断も出来なくなって、たかだか数千円というはした金のために自らの大切な記憶を売ってしまうのだ。 今目の前にいるこの男も、恐らくそうなのだろう。
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