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「今日はどのようなご用件で?」と僕は客の男に尋ねた。
「記憶を、売りにきました。」と男はぼそぼそと答えた。
そんなのは、言われなくても分かっている。
「かしこまりました。では、そこにおかけになってください。」
そう言うと、男は僕の前に置かれた椅子に腰掛けた。
そして僕はもろもろの資料を取り出した。
記憶の除去や売買をする前には、必ず同意書に目を通してもらう。
案外、記憶を売った後でケチをつけてくる客も多いのだ。
そういった場合に少しでも有利に立ち回ることができるように、同意書にはしっかりと目を通してもらう。
客の男は、通常の人間がこの同意書を読み終えるのに必要な時間の半分程度の時間で、署名の欄にボールペンを走らせ、机の上に同意書を伏せた。
この男も記憶を売りに来る大抵の人間の例に漏れず、同意書をあまり読み込んではいないようだ。
そんなことより金、といったように先走っている。
僕は自分の口からも軽く記憶の売買について説明してから、男の頭部に装置を取り付け、部屋の隅のベッドに横たわらせた。
この装置を通して、客が売りたいと思っている記憶を専用のモニターに映し出す。
それを僕が見て、その記憶に値段をつけるのだ。
記憶が良質であるかどうかといった判断に用いるのは、モニターに映し出される記憶の風景だけではない。
その記憶に付随したもろもろの感情も含めて、記憶に値段をつけていく。
つまり、遊園地で楽しく遊んでいるような風景の記憶であったとしても、そこに付随した感情が悲しさや寂しさといったマイナスのものであれば、それはあまり良い記憶(いい値段で売れるという意味での)とは言えない。
「では、お客様が売りたいと考えている記憶を頭に浮かべてください。」
そう言うと男はゆっくりと目を閉じた。
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