記憶売買

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モニターに映し出されたのは、いつかの夏祭りの光景だった。 視界の高さ、視界の揺れ、その他もろもろの要素からするに少年時代の思い出だろう。 少年時代の記憶は比較的高値で売れる。 少年時代の思い出には穢れが無く、そこに付随した感情がクリアーだ。 人の記憶は不完全なものであるから、光景の至る所が欠けたり、歪んだり、霞んだりしている。 記憶をどれだけ鮮明に残しているか、ということも鍵になってくる。 モニターに映し出された夏祭りの光景を見て、この男の記憶を査定していると、僕の中に何か引っ掛かるような感じが生まれた。 僕の中にある記憶と、このモニターに映し出された記憶が何かリンクしている。 僕はこの夏祭りを知っている気がする。 記憶の査定に用いるチェックシートにペンを走らせる僕の手は止まっていた。 この三十代前半と見られる客の男は大体僕と同年齢くらいだろう。 間違いない、僕はこの夏祭りの光景を知っている。 もう少年時代のことなんて二十年近く前のことになるから、記憶はかなり霞んでしまっているけれど、あの夏祭りの光、人波、それらを僕は覚えている。 僕はこの男の記憶に見入っていた。 いつもはもっと客観的に記憶を査定する。 でないと、こんな仕事は務まらない。 どれだけ惨い記憶も、どれだけ美しい記憶も、客観的に値段をつけていく。 しかしこの男の記憶だけは、僕自信の記憶にリンクしている。 客観的にはいられない。
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