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婚約破棄
目を覚ますと、客室のベッドの上だった。ベッドの傍らには、心配そうに覗き込んでいるエリオット様の顔があった。
「‥‥‥エリオット様?」
「良かった。気がついたんだね」
そう言うと、エリオット様は私の頭を撫でていた。その手に安心すると共に、救世主様になんてことをしたのだと青ざめる。
「エリオット様。エレナ様は? その‥‥‥。大丈夫でしたでしょうか?」
「その事なんだけど、何があったのか教えてくれる?」
私は『緑の集合体』が、エレナ様を攻撃しようとしていた話をする。エリオット様の反応を見る限り、彼には見えていない様だった。
「まだ断定することは出来ないんだけど、おそらく神話にある『識る力』が目覚めたんだと思う」
「識る力?」
「魔力の流れを見る事ができる力だよ。昨日、救世主様には魔術師団長の護衛がついていた。きっと防御魔法でも掛けていて、それが見えたのだろう」
エリオット様にそう言われて、そう言えば、そんな迷信めいた話があったような気がするな‥‥‥。と思った。普通は、魔力を見ることなんて出来ない。魔力が使えないのに、そんなチートっぽい力は、必要ないと思った。
「そんな‥‥‥。では、緑の光はエレナ様を守っていたのですね。私は、てっきり‥‥‥」
「アイリス、言いづらいんだけど、周りには君が救世主様を、急に突き飛ばした様に見えたみたいだ」
「え?」
「もちろん勘違いだったし、僕が咄嗟に取り成したんだけど、何故か頭の硬い重臣達が騒ぎだしてね。ちょっと、不味いことになっている」
「エリオット様。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。それで、何があったのですか?」
「不敬罪に問うべきだと、そういう声が上がった。僕と婚約破棄しろとも。つまりは、王太子派の嫌がらせだ。でも大丈夫。識る力に目覚めたのだと伝えれば、きっと君の事を認めてくれる」
なんてことだ。こんなことで、不敬罪になってしまうとは‥‥‥。でも、待って。突き飛ばしただけでは、きっと死罪にはならないはず。これ以上、事態がひどくなる前に認めて、婚約を破棄してしまえばいいのよ。
それにしても、識る力なんて‥‥‥。そんな言葉、ゲームの中に出てきたかしら?
「その事なんですけれど、エリオット様。私、婚約破棄を受け入れますわ」
小心者の私は、これ幸いとその話に飛びついた。今、言わなければ、いつまでたっても現状は変えられないだろうと思ったからだ。
「何を言っているんだい、アイリス?」
エリオット様が、思いきり眉を顰める。物凄く不機嫌な気がするが、あえて話を続けた。
「私、前々から思ってましたの。エリオット様の伴侶には相応しくないのではないかと。その『識る力』も私には使いこなすことの出来ない、過分な力だと思っています。今日、エレナ様に失礼をしてしまって、そうした方が良いのではないかと思い至りましたわ」
「でも、わざとではないのだろう?」
「はい」
「だったら気にすることなんてないよ。僕の婚約者はアイリス、君だけだ。不敬罪になんて絶対に問わせない」
私が困ったように顔を上げると、エリオット様の、緑の優しい瞳がこちらを見つめていた。
幼い頃から、一緒に成長してきた。公爵家との繋がりを持ちたいという思惑も、あったのかもしれないけれど、それでもエリオット様は私を選んでくれたのだ。その気持ちを無下には出来ないと思う。
断罪される前に、婚約破棄‥‥‥。上手くできるのだろうか。そして、断罪される理由をよく思い出せない私は、息苦しい思いに囚われていた。
もしかしたら、本当に罪を犯すのではなく、誰かに罪を着せられるのかもしれない。考えれば考えるほど怖くなり、分からなくなってきてしまう。
物凄く高い壁が、私の目の前に立ち塞がっている──そんな気持ちになった瞬間だった。
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