いちゃいちゃ

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  「そうそう。そうやって笑うことです。笑えれば吉、食べられれば吉です。食欲がまだ細いようですね」 「少しは食べるようになったんですが」  院長は自分で隅にある椅子を持ってきた。森下さんは「あ、言ってください!」と慌てるし、もう1人の医師はおたおたしている。蓮の向かい側に椅子を置いて座ってしまった。腕時計をちらっと見る。 「少しお話ししましょう。院長って忙しいようで忙しくないんです。だからどこかでサボりこんで『忙しかった』と言うわけですよ。するとたいがい相手は『大変ですねぇ』と当たり障りのない言葉を言ってくれる」  若い医師に振り向いて厳しい声で言う。 「私がサボっているという噂が出たら犯人は君だからね」 「言いませんよ!」  蓮に向き直った。 「これは職権乱用というやつですかね」 「返事に困りますよ」  自分の返事に笑ってしまう。 「河野さん。いっぺんに良くなろうとしないでください。頑張る後遺症ってあるんです」 「頑張る後遺症、ですか?」 「そうです。頑張ることに比例する対価が手に入るうちはいくらでも頑張れるもんです。相殺するんです。でも頑張っても簡単に結果に結びつかない時がある。するとその後遺症が残るわけです。そこに次の問題が起きる、また頑張る。一つ終わって一つ、というわけには行かない。物ごとはスケジュールを立てずに起きるのでね」  ジェイも真剣に聞き入っていた。 「一つ二つの後遺症ならいい。でもあなたみたいなタイプは『いくらでも来い!』と言わんばかりに、投げ出すことも逃げることもしない。とっくに相殺できる余地を失っているのに。だから心と体が悲鳴を上げた。本当はね、もっと前に悲鳴上げてたんです。でも自分で気づかないふりをしてきた」  院長は背筋を伸ばした。さっきまでとは違う厳しい顔だ。 「あなたみたいなバカもんを多く見てきました。自分を助けなさい。溺れる人を助けようと一緒に溺れてしまう。あなたは同じことをやってるんです」 「蓮を……蓮を怒らないで! 蓮はいつも俺のために頑張り過ぎちゃうんです、俺が……情けない、から」  院長の顔が優しい顔に戻った。 「ご夫婦と聞きました。そうですか。あなたのために頑張ってしまう」 「はい……」 「それだけじゃないです、ジェイだけが悪いわけじゃない」  割り込むように蓮は早口で言っていた。庇い合う2人に院長の口調も柔らかくなった。 「いいご夫婦だと思います。ではお願いです。2人一緒に私のように時々サボってください。量じゃない、質の高いサボり方をしてください」 「はい。良く分かりました」 「良かった! お喋りの甲斐があったというものです」  時計を見て立ち上がった。今度はすっと若い医師が椅子を片付けた。 「入院している間はサボっているのと同じです。一生懸命楽をしてください。食欲が出てきたらもう一度お話ししましょう」  出て行く院長を見ながら若い医師が囁く。 「あのサボりで苦労してるんですよ。すみません、言い方がきつくて」 「とんでもない! いいことを言っていただきました」 「あれ…… 私の親父です。私はずっとサボってたもんで、今はこき使われています」  蓮が驚いている間に「じゃ、お大事に」と言って息子は出て行った。  
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