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蓮から拳骨をちょうだいした涙目のジェイを放っておいてナースコールを押した。
『はい、どうされました?』
「申し訳ないです、河野です。実はコーヒーに入れる砂糖とミルクが欲しいんですが、どちらに行けばいいか教えていただけませんか?」
『今お持ちします』
「いえっ、そんなお手間は」
『大丈夫ですよ。少々お待ちくださいね』
声からして森下さんだ。
(申し訳ないことをしてしまった)
つまらないことでナースコールをしてしまったと深く反省する。
(あ! ジェイを売店に行かせればよかったじゃないか!)
そんなことにも気が回らなくなっている自分が情けない。
森下さんはすぐに来た。
「本当にすみませんっ、こんなことで来ていただいてしまって」
「いいんですよ。『こんなこと』と言いながら『こんなこと』でそんなに心配しないでください。なんのために入院しているのか分からないでしょう?」
「売店にジェイを行かせれば良かったんです。それだけのことなのに」
「ほら、また。ね、たかが砂糖とミルクです。そこまで大変な作業じゃないですよ。以前に入院されていた方はテレビの大きさが気に食わないと、買い替えを求められました。そういう方もおいでなんです」
森下さんは頭を下げっ放しの蓮のことを大先生がなぜあんなに気にしているのかが分かった。
(真面目すぎ…… こんなことにまで一生懸命だなんて。これじゃ退院を許可するわけがないわ)
「蓮司さん、まず座ってくださいな」
蓮は座った。こんな失態をする自分ではなかったはずだ。
「蓮司さん、人に迷惑をかけられるのがお嫌いですか?」
「いえ、そんなことは」
「そうですよね。蓮司さんはご自分には厳しいけれど他の方のことはよく考えてらっしゃいます。さっきバスルームを覗いた時に思ったんですが、ひょっとしてあの中、洗ってませんか?」
「あ、それは……」
ジェイがすぐに立ってきた。
「蓮、そんなことしてるの!? 森下さん、ごめんなさい。蓮にとってそういうのって癖みたいなもので普通なんです。俺、ちゃんと言えばよかった。入院してるときはだめだよって。俺が悪かったです、ごめんなさい」
今度はジェイが頭を下げる。
(このご夫婦は……)
くすくすと森下さんの笑い声で俯いていた蓮と頭を下げていたジェイが頭を上げた。
「あのですね。こちらの手落ちでもあります。河野さんの癖をジェイにお聞きするべきでした。癖までは把握していなかったのでお2人が謝ることなんてなにも無いです。そうだったんですね。だからバスルームを使った後の様子が疲れて見えたんですね。もっと早く確認するべきでした。もうあちこち掃除したりしてはだめですよ」
ジェイの手に砂糖とミルクを渡す。
「ジェイ。今、蓮司さんは興奮されています。残りのコーヒーはお1人で召し上がってください。蓮司さんはベッドに入ってくださいね。後で血圧を測ります。もう砂糖とミルクの話は無し! 分かりましたか?」
「…………」
「蓮司さん。分かりましたね?」
「はい。申し訳」
「そこでストップです。もっとリラックスなさらないと。たまには頭の中を空っぽにしてください。ジェイ、よろしくお願いします」
「はい」
ジェイはまた頭を下げた。森下さんはこの一件も大先生に報告する。それこそ看護師の仕事だ。
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