「セフレって知ってる?」

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「セフレって知ってる?」

 ある日、旅館でロリに出会った。  高学年の小学生くらいに見える強気そうな顔立ちの少女は、俺が客室清掃をしてる最中、いつの間にか俺の後ろに立っていた。 「……どうしたのかな?」  その時、てっきり迷子か何かだと思った俺は、完全に気を抜いていた頭をすぐに接客用に切り替えた。  しかし俺が話しかけても、生意気そうな少女なニヤニヤして俺を見たままでいる。  そうして俺が困り果てた時、ようやく少女は口を開き。 「ね、お兄さん」 「ん?」 「『セフレ』って知ってる?」  その瞬間、俺は何も聞かなかったことにして部屋から逃げ出した。  ◇◆◇◆◇  どこでもいいからと働く場所を探し、地元の旅館に住み込みで働くようになって二週間が過ぎた。  最初に女将の関根さんに「男手は助かるけど、こき使うよ」と言われた通り、手伝えと言われればどこにでも手伝いに行く地獄みたいな日々だったけど、それにももう慣れた。  休憩時間にやることも何もないし、仲良くなれそうな従業員もいないけど、休日に金を使って遊ぶ気も起きないから、金は貯まるんだろうし。  毎日毎日なんだかんだで一日が過ぎ去っていくうちに、体がボロボロになるのも別にどうでもよくなってくる。  あー……腰痛いし頭痛いし膝痛いし満身創痍なのになんで動けるんだろうな……人間って不思議ぃ。 「お兄さーん」 「あ?」 「声掛けないと全然気づかないじゃーん」  生意気そうな声に反応して振り返ると、生意気そうな顔が生意気そうな表情を作って生意気にも俺の後ろに立っていた。  ……なんだこいつ。今日も泊まってんのか。 「仕事の邪魔だ……帰れ」 「窓の外覗いてただけじゃん」 「今貴重な休憩中なんだよ。また午後からこき使われるんだ。あぁ、休憩中だからお客様扱いなんてしないからな」 「いいよ別に。お客様じゃないし」 「不法侵入者か」  この生意気小学生が客だろうとそうでなかろうとどうでもいいけどな。  こいつは数日前から俺の前によく姿を現す。  姿を現しては、エッチな単語について俺に質問しては笑ってどこかへ去っていく迷惑な生き物。  当然妖怪か霊の可能性も考えたけど、他の人にも見えていたから少なくとも実体はある。  多分、近くの小学生が忍びこんでるとか、そんなところだろうけど。  ここ、近くに小学校あるしな。 「でね? お兄さん」 「なんだ」 「セフレって知ってる?」 「知るかバーカ」  背を向けて答えると、「今日は逃げないんだ」とつまらなさそうな声が聞こえる。 「じゃあセックス! セックスなら――」 「黙れバカっ……場所考えろ」 「はははっ! お兄さん慌ててるー」 「……バカな奴」  セックスって大声で叫んで大喜びとか、小学生かよ。  こいつの意図はわからないけど、こいつのやることは最初に会った時から一貫してる。  俺にセクハラして、それを見て笑って帰る。それだけだ。  相当頭悪いんだろうな。……俺が言えたことじゃないけど。 「お前……いつか痛い目見るぞ」 「痛い目って?」 「怖いおじさんに連れていかれんだよ」 「えぇ? 怖い話ならもっと捻った方がよくない?」 「そういう類の怖いおじさんじゃねーよ」  霊とか妖怪じゃなくリアル危険人物なおじさんの話をしてんだよ。  俺は真面目に警告してやってんのにこいつは……数日後に落ち込んでるところ見かけても俺は関わらねぇぞ。 「ってか、知らない大人についてくなって教育受けてねーのか? 俺が危ない奴だったらお前もう誘拐されてるぞ」 「一回話したら知らなくないじゃん」 「お前が話しかけた時点では知らない大人だったんだよ」  その見知らぬ他人にセフレがどうの言ってきたんだよお前は。 「大体……知らない男に猥談するなよ。勘違いされても知らねーぞ」 「え、なに? どんな勘違いするの?」 「自分で考えろ」  ここでそこを詳しく話したらこいつと同レベルになっちまう。  いや……こうして休憩時間に話してる時点でわりと同レベルか。 「とにかく……そういうのはやめろ。俺はもう関わらないからどうでもいいけどな」 「えー、どっか行くの?」 「休憩時間が終わるんだよ。じゃあな。どこの子供か知らないけど」  遠くから来たなら、もう会うことはないだろ。  そう言って、俺はまだまだある休憩時間をどこで潰すか考えながら、旅館の空き部屋から出て行く。 「ふぅ……」  その後、何もない寮の自室に戻って座り込み、さっきまで隣にいたクソガキのことを考える。  今時はネットさえあればどんなことでも知れるせいで小学生のうちからあんなビッチが生まれるのか。  大体、ネットで調べられるならセフレがどうの俺に聞く必要もないだろうに。  いや……あれはただ相手の反応を楽しんでんのか。  だとしたら悪質だな。将来自分で誘って自分で通報するような遊びでもし出すんじゃねーの。  俺はまだあいつが小学生の頃に出会って助かったのかもな。  とんでもねぇ客がいたとをいつか誰かに話すネタができたことだけが、唯一の良かったことか。  ……そういや、 「……誰とも喋ってねぇなぁ」  職場の同僚とも、友達とも、家族とも。  だからと言って、あいつと話せて喜んでたら終わりだけどな。  そう自分を戒めて、俺は旅行客であろうクソガキのことは記憶から消すことにした。  しかし、俺がそのクソガキを思い出す日はあっという間にやってきた。 「……ここの小学生かよ」  休憩中、旅館の窓から外を覗いていると、小学生っぽいリュックを背負ったこの前のクソガキが、旅館のすぐ近くにある小学校から出てくるのが見えた。  ……こんな田舎であんな子供が育つのかよ。  何人か小学生が歩いている中、茶色掛かった髪は明らかに浮いてるし、違和感がある。  それに。 「まあ……ぼっちか」  あんな誰にでも話しかけそうなキャラの割には、周りには他の小学生は誰もいなかった。  少し前を二人で歩いている女子をチラチラ見るために首を動かしては、気付かれないようにか基本的にそっぽを向いて一人寂しく歩いてる。  話してる時はあんなに生意気そうに見えた顔が、今はクラスに何人かいる大人しい女子のそれに見えた。 「……自業自得だな」  俺と話す時のように、周りに迷惑掛けながら接してるんだろう。  そんな奴に同情する必要もない。  そう独り言を言いながら、あの小学生がどこへ歩いていくのかそれ以上見ることもなく、俺は窓から離れた。  ◇◆◇◆◇  それからも、地元の小学生だから自由に入っていいとでも言われているのか、あの生意気な小学生は度々旅館の中で見かけた。  ただ、俺が寮の自室で休憩するようになり、仕事中であれば邪魔だとはっきり伝えるようにしてからは、最初の頃のように好き勝手されることはなくなった。  そもそも、あいつにかまってる暇なんてないほど、仕事が忙しくなってきた、というのもある。 「ああ、庄治君、手開いてるならこれも運んで頂戴」 「え、あぁ……はい」  できることが増えると、その分やらされることが増える。  それ俺の仕事? と言いたくなっても、軽口を叩ける相手なんかどこにもいない。  うざいクソガキの存在なんて関係なく、わりと俺のストレスはピークまで来ていた。 「……っはー……」  一日の仕事を終え、併設された寮の入り口で一息つく。  旅館の中では常に息が詰まってるから、誇張なしに寮に入るとやっとまともに息ができる。  もし客として来た時、こんなんで旅行とか楽しめんのかな、俺。  いや、行くとしても地元以外の旅館かホテル行くだろうしいらない心配か……。 「お疲れ様、庄治君」 「! ああ……どうも……」  なんて、完全に気を抜いてるところに、女将の関根さんがやってくる。  関根さんは旅館のオーナー兼女将のお婆さん。 「どうかしら。仕事は」 「あー……はい……何とか、やってます」  答えると、関根さんは頷きながら俺の隣まで歩いてくる。  ……早く寝たいんだけど。 「辛いでしょうね。予想通り」 「え、あー、いやぁ……」  なんて答えるのが正解? これ。  俺を気遣って話しかけてくれてるんだろうけど、正直女将さんに話せるようなことがなくて困る。  仕事の愚痴言ったらクビになりそう。 「まあ……頑張ってます」 「そう」  悩んだ末にありきたりな答えを返したところで、関根さんの感情の読めない返事が来る。  あ……まだ話す気なの。俺と。 「……ああっ、そういえば」 「何かしら」 「関根さんは知ってます? 最近旅館の中で仕事中に部屋に入ってくる小学生がいるんですけど……」 「あぁ」  極限まで話題に困ったその時、頭の中で「セフレセフレ!」と叫んでくるクソガキがいたから口に出すと、関根さんは知ってる様子で返事をした。  やっぱ、旅館じゃ有名なクソガキだったのか。 「なんか俺の休憩中とかにも空き部屋までやってきて……邪魔しては出ていくんですよ」 「えぇ」 「……まあ、邪魔って言っても話しかけてくる程度なんですけど、育ちが悪そうっていうか」 「そう」 「……こんな田舎になんであんな小学生がいるのか不思議なんですけど、窓から下校するところが見えたので、多分近所の子供だと思うんですけど――」 「私の孫よ」 「えっ?」 「私の孫よ、その子」  関根さんは繰り返し言う。  ……マゴ? 馬子? にも衣装? ……え、孫? 「ッ――すみませんすみませんすみませんすみませんすみません……」 「いいのよ」 「いやでも――」 「あの子は実際そういう子だから」  別に怒ってない――という様子で変わらず話す関根さん。  いや、元々怒ってるか怒ってないのかわかんねーけど。  ただ、俺の言ったことは別に否定しないらしい。 「親が悪かったのよ。今、どこにいるんだか知らないけどね」 「えー……複雑な事情が……」 「複雑じゃないわ」  それからも表情を変えずに話した関根さんは、あのクソガキ――阿澄ゆりあという名前らしい関根さんの孫について教えてくれた。  あいつが生まれた頃は、関根さんの娘とその夫も旅館で働いていたらしく、将来は経営を引き継ぐことも決まっていたらしい。  しかしいつからか、ゆりあを旅館に預けて夫婦二人で音信不通になることが多くなり、完全に縁が切れたわけではないものの、今はゆりあも、親が自分を置いてどこかへ行っていることは理解していて。  娘夫婦のことは半ば諦めている、というようなことを関根さんは言っていた。  それを聞いても、俺の中であいつのイメージがクソガキじゃなくなることはなかった。  ただ、家でも学校でも居場所のなさそうなあいつの境遇には、少し同情しそうになる俺がいた。 「おにーさんっ」 「……あぁ?」  その翌日。  まだ俺が何も知らないと思ってるであろうゆりあはノコノコと休憩中の俺に近づいてきた。  寮じゃなく旅館で休憩してたらすぐこれだ。  どうせ今日もくだらないこと聞いて「ねぇ知ってるぅ?」ってウザい絡み方してくるんだろ。  悪いけど、お前がどんな境遇だろうが俺には関係な 「セックスしよ?」 「馬鹿かっ!?」  馬鹿かこいつ!? ああ、馬鹿だったわ!  とりあえず誰かに聞かれていたら通報もんだから、部屋から首を出して周りに誰もいないことを確認した後、扉をがっちり閉める。 「するの?」 「するかバアアアアアアアカ!」 「えー、なんでー?」  Tシャツから肩を出して誘惑できてる気でいるゆりあはニヤニヤ笑ってる。  ったく……変な汗出ただろうが……いや、これまでの会話も聞かれてたら充分アウトだけどな……。 「とにかく帰れバカ。まともな大人は小学生の肩見ても何も思わねーんだよ」 「ネットに男は皆ロリコンだって書いてあったのに」 「お前はそうやって無駄な知識を蓄えていくんだな……?」  世界一無駄なネットの使い方しやがって。  こいつのエロ知識は全部ネットのせいか。ちくしょう。  大体小学生にネット使わせるならなんかフィルタリングとか設定してやって…… 「……ああ」  そういうことやってやれる奴が、いないのか。 「ねー、おにーさん、私と――」 「お前――阿澄ゆりあって名前で、ここの女将さんの孫だろ」 「えっ?」  名前を出すとゆりあは、言ったっけ? という反応をした後、硬直する。  さすがにこいつも、関根さん言いつけたら好き勝手はできないだろ。 「関根さんにお前が何してるのか言ってやろうか」 「……は、はぁ? べ、べつに、あんなババアに言われたって……」 「めちゃくちゃ動揺してんじゃねーか」  言われたら困るって顔しやがって。  もう昨日話はしたんだけどな。細かい部分は話してないけど。 「何も言われなくなかったら、人に迷惑掛けんのはやめろ。お前は何も知らないかもしれないけどな、さっきの台詞とかそこら辺の不審者に言ったら、もしかしたらマジで――」 「ふん。説教なんか聞かないもん」 「清々しいまでにクソガキだな……」  人が60%くらい善意で言ってやってるってのに……。  その調子だとマジで誘拐か何か起こるかもしれないだろうが。俺でも持ち上げられそうなくらい細いし。こいつ。  ただ、そんな俺の善意にも気づかないゆりあは生意気さを纏うように腕を組んで。 「そんなこと言うなら私だって言っちゃうけど? お兄さんがロリコンだって」 「くっ……クソガキめ……」  普通に困る脅迫してきやがって……。  こういう時子供の証言は大人の男じゃ太刀打ちできないほどに強力。  そんなこと言われたら俺は―― 「ふふん、言われたら困るんだ」 「……いや、よくよく考えるとそんな困らないな」  まあ、別に大丈夫か。  周りから白い目で見られそうだけど、別に仲良い奴いないし。  ロリコンって吹聴されるだけなら別にいいか。 「ってかお前、学校に仲良い奴いないだろ」 「はっ……? い、いきなりなにいってんの?」 「仲良い奴いないから、俺のことからかって遊んでるんだろ。遊ぶ奴がいたら、帰宅してすぐ友達と遊んでるもんな」  俺も仲良い奴いないからわかるわ。  暇なんだろ。お前。  話す奴もいないんだろ。 「は……今の話と関係ないじゃん」 「知らん。どうでもいいから俺と話すくらいなら友達作ってこいよ」 「……なにその話、馬鹿?」 「馬鹿はお前な。学校でどんな感じなのか知らないけど、こんな危ない遊び続けたって仲良い奴なんてできないし――」 「そんなこと関係ないから!」  急に叫ぶと、図星を突かれて困ったのかゆりあは部屋の外に飛び出していった。  立場が辛くなったら叫んで逃げるとか……小学生かよ。 「……小学生か」  友達作れない小学生に「友達作ってこいよ」は禁句だったか。  しかも、友達いない奴が。 「……まあいいけど」  俺には関係ねぇ。  そう自分に言い聞かせつつ窓の外の小学生達を眺める俺は、もしかしたらロリコンなのかもしれなかった。  ◇◆◇◆◇  それから三日間ほど、俺には平穏な日々が続いた。  平穏と言っても、ロリコン危機一髪がないだけで仕事はずっと忙しかったけど。  毎日クタクタになるまで働いてるのに、休憩時間が来ても何一つやることがない。  周りに娯楽施設があるわけでもないし、わざわざ旅館を離れるのも面倒くさい。  こういうホテルや旅館じゃ暇すぎて休憩時間にヤってる奴らもいると聞いたことがあるけど、俺には縁がない。  ……いや、縁があるかないかで言ったら、あったのかもしらんけど。  それはおまわりさんへの縁でもある。  最近は今みたいに寮で寝っ転がってる間も、ふとニヤニヤしたクソガキが頭に浮かび上がってくることがある。  無性に殴りたくなるものの空想だから殴れない。  まあ、俺が何かするまでもなく、確実にあいつはいつか痛い目に遭うんだろうけど。  むしろ遭わないわけがない。いつか危ないおっさんに俺と同じ感覚で話しかけて事件が起こる。  あいつが言うには男は皆ロリコンらしいから起こるならすぐだろ。  痛い目に遭ったらあいつもさすがに大人しくなるだろ。  旅館でも大人しくなって、学校でも大人しくなって……暗い奴ができあがって。 「……救いねーなぁ」  あいつの人生。  俺より悲惨じゃねーか。ざまーみろ。  小学生なんて何でもできんのに。もったいねぇ。  あいつの場合見た目も、クラスに4、5人は好きな奴いそうな顔してんのに。もったいねぇな。 「……もったいねぇ」  ……どうにもなんねーのかな、ああいうのは。  親が帰ってきたとしてどうにかなるもんでもないんだろうけど。  いや、そもそも俺が考えることでもねーけど。  ただ、あいつの身にこの後起きるであろうことを考えると、 「――――!」  その時、パリィィィン! と、寮の遠くから何かが割れたような音が聞こえた気がした。 「……なんだ、今の」  地震があったわけでもないのに、寮の遠くの方で、何かが割れたような音がした。  寮に住んでる人間は、全員疲れてとっくに眠ってる時間。  何か、トラブルがあったわけじゃないだろうな。  ……何となく頭の中を漂う嫌な予感が、気持ち悪い。 「……トイレ行くか」  誰かに言い訳するように呟いてから、何もない部屋を出て、俺はトイレとは反対の、音のした方に歩いていく。  何か人と人とのトラブルを想像した割に、廊下を進む間には、どちらかというと心霊的な怖さが高まってくる。  しかし、廊下を曲がると、目的地にいたのは幽霊でも何でもない、ただの小学生だった。 「……お兄さん」 「……お前」  薄暗い中、立ち尽くしていたゆりあの足元を見ると、廊下に置かれていた質素な花瓶が割れていた。  こいつ……マジで悪行しかしないな。 「お前、いくら反抗的な態度取りたいからって物壊すのは……」 「ち、違うから! わざとじゃないし!」 「あっそ……」  普通に間違えて壊したのか。  にしても、こんな夜遅くに何してんだか……こいつも寮に住んでるのか薄々気になってたけど、まさかこんな形で知ることになるとは。 「で、何してたんだよ……トイレか」 「え、いや……お兄さんの……」 「……ああ?」 「部屋に……夜這いしに」 「関根さんに言うぞ」  懲りねー奴だなこいつも。  ってか夜這いって何のサイト見てたら知るんだよ小学生が。  最近、ちょっと大人しくなったと思ってたら……。 「まあ……いいや。それだけなら、俺は戻る」 「……なんで来てくれたの?」 「あぁ? ……音がしたから来ただけだよ」  あの音じゃ誰が何してるかなんてわからないんだから、別に来たっていいだろ。  お前に会いたくて来たわけじゃない。  そう態度で示して、俺は部屋に戻ろうとする。 「じゃあな、俺の部屋には――」 「……何の音かと思えば」 「あっ」  そうして振り返ったところで、タイミング悪く、俺の視界には見覚えのある人影が大きくなっていた。  呆れた様子の関根さんが、俺とゆりあに近づいてきていたのだ。 「……ふん……くそばばあ」 「子供が起きてる時間じゃないわね」  後ろを見ると、苦虫を噛み潰したような顔でゆりあは関根さんを見ていた。  予想はしていたけど、仲は良くないらしい。 「はあ……寮で迷惑は掛けないで頂戴。うちの従業員が寝ている時間に、何をしているの」 「……何もしてないし」  ぷいっと横を向くゆりあは、近くから見ると今にも泣きそうな顔をしているように見える。  ――俺はなんだかんだで、関根さんはゆりあのことを気にかけているんだと思っていた。  親がいない分、関根さんが親代わりに愛を注いでいるんだろうと。 「皆、暇なあなたとは違うの。働いて疲れて寝ているのよ。庄治君もね」 「…………知らないし」  しかし、関根さんの接し方を見ると、どうしても、そうではないように見えた。  自分の孫ではなく、忌々しい娘夫婦が置いていった子供。  タダで寮に住んでいるゆりあよりも従業員の方が大事だと、そう思っているようにすら見えた。 「…………」  なら、こいつの味方は一体どこにいるんだろう。  こいつと人間として接してくれる存在は、どこにいるんだろう。  二人のやり取りを見ながら、そんなことを考える。 「……もう部屋戻るから。それでいいでしょ――」 「待ちなさい。あなたが割った物でしょう。……あなたが掃除なさい」  少しの優しさも感じない、冷たい声で関根さんは言う。  深夜に起こされた苛立ちも混じったであろう冷酷な言葉。  その言葉によって、ゆりあは下を向き、逃げ出そうとする。  そんな姿を見て、俺は―― 「――すんません俺が割りました!」  無意識にそう言いながら頭を下げて、冷や汗をかきながら頭を上げる。 「……そうなの?」 「えー、はい……廊下歩いてたら、こんなところに子供が出てきて、驚いて、割っちゃって……なので、こんな時間に外にいた向こうが悪いと言っても過言じゃない……んですけど、割ったのは俺なので、俺が片付けます」 「……そう」  相変わらず無表情な関根さんには、俺の嘘くらい簡単に見抜かれている気がしたけど、関根さんは特に何も追求してくることはなく。 「……手は切らないようにね」 「あ、はい……」  割っていないならゆりあに言うことは何もないのか、俺に注意だけして、来た方向に戻っていった。  ……一応バレなかった、のか。いや、内心わかってそうだけどな……。  こんな奴を庇う俺に呆れてただけか。 「……な……で」 「……あ?」 「なんで、助けてくれたの……?」  振り向くと、もうとっくに逃げ出したのかと思っていたゆりあが、不思議そうな目でこっちを見ていた。  ……なんでって言われても、俺もわからないけどな。直前まで助ける気なかったし。  ただ、しいて言うなら。 「お前が子供だからじゃね」 「……は?」 「別にお前だから助けたわけじゃない。ただ、子供を守るのは大人の義務だから助けただけだ。お前は小さいガキだから助けられたわけだ。良かったな、子供で」 「は、はぁ……っ?」  若干ムカついたような、でも言い返していいのかわからないような複雑な顔をするゆりあ。  やっぱまともに喋らせなければそこそこ可愛いな、こいつ。 「だから、自分が非力な子供だって自覚しながら生きろガキ。クソガキ。キッズ。小学生」 「なんで悪口言うのに助けるのっ!」 「だから子供だからって言ってんだろ」  それ以上の説明はない。  俺は、頑張れば目の前の弱い存在を助けられる状態だったから人助けしただけだ。 「どうでもいいから、お前は部屋戻ってろ。また怒られるぞ」  言いながら、俺は手は切らないよう花瓶の破片を拾い集める。  ……この破片と花、どこに捨てればいいんだろうな……見栄張らずに聞けばよかったな……。 「…………ぁ」 「……どうした」  しかし、そうして破片を拾い集め終えた後も突っ立ったままでいるゆりあは、何か言いたそうに、でも言いにくそうに、口をもごもご動かしていた。 「言っとくけど、『ありがとう』とか俺に言っても意味ないからな」 「はあっ? ……えっ……なんで」 「俺と仲良くなっても意味ねーだろ。俺に言うくらいなら、学校行った時に誰かに言っとけ」 「い、いきなり言ったら変じゃん!」 「なら雑談でもしてから言えば」 「いや、雑談とか……」 「仲良くなりたいんだろ、誰かと」 「…………したいけど」  この場の雰囲気のおかげか、ようやく素直に認めたゆりあは「でも、できないし」と弱気に呟く。  一応、自分で何かやった後なのかもしれない。  大人に向かって堂々と「セフレって知ってる?」って聞ける奴が何言ってんだか。 「できるだろ。小学生のうちなんか、話に混ざったり近くにいたりするだけで仲良くなれんだよ。大人に話しかけるより百倍簡単だろ、どう考えても」 「でも私、変なことしか言わないって……」 「じゃあ変なこと言う奴とも仲良くしてくれる奴探せばいいんじゃねーの? クラスにいるだろ。一人くらい。俺に18禁知識について聞く暇あったら、クラスメートに好きな物でも聞いてこいよ。そしたら見つかるかもしれないだろ、仲良くなれる奴」  それが同じく変なことしか言わない男子だったとしても、少なくとも、俺よりはマシだろ。  クラスに仲良い奴ができれば他の奴と関わる機会も増えるかもしれないし。  俺がそう言った後も、立ったまま動く様子のないゆりあは何か言いたげに口をもごもご動かしていたけど。 「頑張れよ、クソガキ」  早く眠りに就きたかった俺は、頭を撫でた後、最後に忘れずゆりあを罵倒して、その場を立ち去った。 「……ねむて」  翌日の昼。  何故か睡眠の足りない俺は部屋から外を眺めていた。  休日なのに部屋から出る気にもならないし何もすることがない。  ……そしてよりにもよってやることが下校中の小学生の覗きか。俺も落ちたな。  男は皆ロリコンだったらしい。  今思えば、昨日の言葉も休日にぼっちしてる奴が言っても全く説得力がないしな。  お前には友達いるのかよって返されてたら俺が泣きながら逃げ出してた。  まあ、俺と違って毎日同じ空間に閉じ込められる小学生なら、俺が何か言うまでもなく友達はできそうなもんだけど―― 「……あいつか?」  その時ふと、遠くの校門から茶髪が出てくるのが見えて目を凝らしてみる。  何やら周りに人はいる雰囲気はある。  一瞬、ただストーカーしてるだけかと思ったけど―― 「……すげーなー、小学生」  昨日あんなに不安そうにしていたゆりあは、同じくらいの背の二人の女子に挟まれて、笑顔で会話しながら道を歩いていた。  俺をからかっていた時の笑い方じゃなく、小学生らしい、屈託のない笑み。 「まあ、そりゃできるよな」  いきなり見ず知らずの男に話しかけられる奴がクラスメートに話しかけられないわけがないんだから。  俺の見込んだ通りだった。  これでようやく俺も、あいつから解放されるってわけか……。  嬉しいような、嬉しいような……うん、寂しさとかはねーわ。  そうして、ロリコンよろしく俺が下校中の小学生を眺めていると。 「! ……来るんじゃないだろうな」  急に寮の方を見たゆりあは、友達に何か話した後、寮に向かって走ってくる。  窓の外見てる俺に文句言いに来るんじゃないだろうな……。  せっかく友達できたのにまだ俺に「セフレって知ってる?」とか聞いてきたら、今度こそ関根さんに言いつけてやらないといけねーな。  しかし、数分後にはぁはぁ息を切らしながら俺の部屋までやってきたゆりあは、小学生のような無邪気な顔をしていて。 「おにーさん!」 「……あぁ?」 「見てた!?」 「……見てたけど」 「好きな物聞いたら本当に仲良くなれたんだけど!」 「……良かったな」  ……そんな素直そうな顔で言われると、調子狂うな。  もう本当にセフレとか言い出さなさそう。  それが小学生としては普通なんだけど。  だとしたら、もう俺のところに来る理由もないな。  俺とは卑猥なトークをするだけの関係だったしな。 「ありがとね」 「……いや、そういうのはいいって言っただろ」 「もうクラスメートとは話したもん」  「だから、ありがとね」と、ゆりあは根が素直な人間しか言えないことを言ってくる。  こうなると、こいつが光属性過ぎて俺が辛い。  こいつの精神は少し濁ってるくらいが丁度いいのかもしれない。  ただ、伝えたいことを伝えて部屋から出ていく前に、ゆりあは立ち止まり。 「あ! それで、お兄さんに教えてほしいことがあるんだけど」 「……あぁん?」  なんだこいつ? まだ言うつもりか? 猥談か? エロ知識か?  まだ迷惑掛け続けるようなら俺は容赦しねーぞ――とファイティングポーズを取った俺。  しかしゆりあは俺に向かって友達といる時と同じ笑顔を浮かべて。 「――皆とできる面白い遊び! 知ってる?」
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