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「いえあの、特別な桃ではありません。去年の夏、とても暑くて配達も忙しい日があったんです。汗だくになって一日中働いていました。配達が終わって、銭湯で汗を流しましてね。戻ったら社長の奥さんが桃を冷やしてくれてまして。半分凍りかけの桃にかぶりついた時のうまさはもう……」
F氏は何度もうなずきながら聞いていた。でも、こんな話は参考にはならないのでは……?
「ありがとう。とても素敵なお話でした。そこで一つ、お願いがあるのですが」
F氏は少し興奮した様子で、僕にそう切り出した。
「あ、はい、何でしょう……?」
「今度の日曜日、私のために時間をとってもらえないでしょうか。是非あなたに召し上がってもらいたいものがあるのです」
突拍子もない提案だった。だが、F氏の目は優しくも真剣で、からかっている様子はない。
僕にはそれを断る理由など考えられなかった。
これが、僕とF氏の出会いだった。
それから、僕の幸福な人生が始まった。
F氏はたびたび僕を食事に招いてくれ、その頻度は増していった。
振舞われる料理の全てが絶品だった。食材、調理技術共に一切の妥協を許さぬF氏のこだわりが感じられた。
それにしても、F氏は何故僕なんかにこんな素晴らしい料理を味わわせてくれるのだろう。他にももっと舌の肥えた人はいるだろうし、料理に対して造詣の深い、もっと有益な感想や分析を披露してくれる人もいるだろうに。
そしてその人たちもまた、F氏の招きにあずかる事を切望しているだろうに。
そしていつしか僕は食事の全てをF氏と共にするようになっていた。
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