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コーシの部屋へ向かったセーラは、出来るだけ音を立てないように扉を開きそっと覗いてみた。
薄暗い部屋の中は、パソコンの光だけが壁中に反射している。
椅子に腰掛けたコーシは難しい顔で画面を睨んでいた。
「コーシ…」
呼びかけても返事はない。
部屋に入りそっと後ろから近づいてみると、コーシは背もたれに体を預け大きく伸びをし、そのままの姿勢で見上げてきた。
「お前さ」
伸ばした手で細い腕を掴む。
「俺の石鹸、使っただろ」
引き寄せられたセーラは驚きながらも頷いた。
「だって、コーシが洗ってこいって言ったから…」
「やっぱり。謎がひとつ解けた。俺がシャワー浴びる前に使った跡があったからさ。それに…」
「…?」
コーシは手を離すと椅子に座り直し、またキーボードを叩き始めた。
M-Aには反発したが自分がやや潔癖なのは間違いない。
特に匂いには敏感だ。
サキは女の連れ込みは禁止だと勝手に喚いていたが、そんなこと言われなくても他人の匂いを自室に持ち込むなんて以ての外だ。
それなのに、セーラはどれだけそばに近づこうともそういう違和感や不快感がない。
人ならば必ず生活の上で染みつく匂いが不自然なほど感じられないのだ。
不思議ではあったが、それはコーシにとっては割と好ましい事だった。
「そういえば、何でお前最初から俺の名前知ってたんだ?インプットってのをしたからか?」
手を止めて振り返ると、セーラはそばに寄り落書きされた壁の下部分を指差した。
「あ…」
コーシは久々にちゃんと見た落書きに目を覆いたくなった。
「おれは、ぜったいにサキをゆるさないからな、バーカ!!バイ、コーシ」
「読むなっ!!」
何をされたのかまでは覚えていないが、幼い頃にかなり腹が立って殴り書いたのは覚えている。
セーラはくすくす笑うと、コーシに頬を寄せた。
「コーシは、いい匂いがする」
煙草の苦みとシトラスが混じったコーシの香り。
惹き寄せられるままにすり寄っていると、肩を掴まれ引き離された。
「コーシ…?」
コーシは至極不機嫌なしかめ面でぷいとそっぽを向いた。
「…あっちに、リビングに戻れ」
素っ気なく言い、背を向けるとまた画面と向き合う。
突き放されたセーラは呆然とした。
やはり、コーシは少しも自分を必要としていない。
それなのになんて意にそぐわぬことをしてしまったのだろうか。
自責の念に囚われ動けずにいると、コーシがため息をこぼし再度振り返った。
「あのなぁ…」
少女を見てぎくりとする。
セーラは固まったままぽろぽろと涙をこぼしていた。
「なん…なんだよ!!何泣いてんだよ!?」
「ご、ごめんね。私…ごめん」
「何がだよ!何も謝るとこなんてなかっただろうがっ」
「怒らないでコーシ。あ…後で、ちゃんとこの家からも出ていくから、ちゃんとするから…」
「別に怒ってないだろ。これが地なんだよっ。それにちゃんとするって何だよ。気味の悪いこと言うな」
女の涙など鼻であしらってきたはずのコーシは、滅多にないほど素で焦った。
何せこんなに勝手の分からない相手など初めてだ。
「…あ、あっちに行ってるね」
セーラは部屋を出ようとしたが、思わずその手を掴む。
「待てよ。そんな顔で行かせらんねぇだろ」
「でも…」
「分かった。いいから。落ち着くまでそこにいろ」
ベッドに座らせるとタオルを引き出し手渡す。
セーラは貰ったタオルに顔を埋めると、申し訳なさそうに身を縮めた。
コーシが席に戻り再びパソコンを手がけ始めても、背後からはしばらく噛み殺した嗚咽が続いた。
だがそれも徐々に小さくなるといつの間にか何も聞こえなくなる。
「セーラ…?」
疲れ切ったセーラはベッドに横になり眠っていた。
コーシは苦いため息をこぼすと席を立った。
顔に当てたままのタオルをゆっくり剥ぎ取り、ブランケットをかけ直す。
その隣に腰を下ろしポケットから煙草を引っ張り出していると、セーラが眠ったまま微かに微笑みを浮かべた。
誰をも惹きつける可憐な容姿は、それだけで心揺れる要素としては充分すぎる。
だがこれはヒューマロイド。
囁く言葉も寄せられる愛情も所詮は紛い物でしかない。
もし情が移るような事があれば、馬鹿を見るのは火を見るよりも明らかなのだ。
コーシは煙草を戻すと複雑な思いで眠れる少女を見下ろした。
出来るだけ関わらないように、このまま冷たく突き放す事がきっと正解だ。
だがその度にこの純粋すぎる少女は傷つき、それでも従順に従おうとするのだろう。
正直これ程嫌な役割はない。
閉じた瞼に残る涙を指先で拭うと、セーラは僅かに目を開きコーシの袖を掴んだ。
「コーシぃ…」
「…なんだよ」
「よかっ…たぁ…。コーシ…だぁ…」
うにゃうにゃ言うとまた丸くなり眠りに落ちる。
コーシは真剣に考えていた事が急にバカらしくなった。
「子どもか、お前は…」
珍しく穏やかな笑みが少しだけ浮かぶ。
何にしてもサキが帰って来ればセーラを引き渡して終わりになるだろう。
今はごちゃごちゃ考えても仕方がない。
「ま、なるようになるか…」
ベッドから降り床にごろりと寝転がると、今日はここで眠る事にした。
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