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丘の中腹までは少し距離がある。
セーラは頑張って歩いていたが、さすがに限界が来た。
ここまで強行させた自覚があるだけに、コーシは手を差し伸べた。
「ほら、あとちょっとだ」
「はぁ、はぁ…、うん…」
細い膝はカタカタと震えている。
コーシは掴んだ手を引っぱると軽々と抱え上げた。
「わわっ…!こ、コーシ!!」
「とろとろ歩いてたら隠れ家の入口を人に見られるだろうが。ちゃんと掴まってろよ」
「で、でも…」
呼吸が触れそうなほど距離が近い。
セーラは本気で狼狽していた。
「お前な、いつも散々自分からひっついてくるくせに、何今更赤くなってんだよ」
「だ、だって…!!あの…、いいの…?」
「いいのって…」
慌てるセーラを見ていると何だか悪戯心がわいてきた。
わざとらしく長い髪に指を絡め間近で薄水色の瞳を覗き込む。
「なんなら今日は俺が世話焼いてやろうか?」
「ここ、コーシ!?」
セーラは全身が真っ赤になると湯気が出そうになった。
コーシは堪え切れずに吹き出した。
「ははっ、その顔は初めて見た」
「も、もぅ…!」
からかわれたと気付いたセーラは腕の中で身じろぎしながら、恨めしそうに見上げた。
見渡しの悪いゴツゴツした中腹にたどり着くと、コーシはセーラを抱えたまま自然に出来たように見える暗い横穴に入った。
「この中…??」
「ああ」
しばらくは真っ暗で何も見えなかったが、行き止まりまで来ると壁に手をつく。
壁は音もなく上下に割れ、中に玄関らしきものが現れた。
中に入ると何もしていないのにライトがぱっとつく。
突然現れたのはとても明るい部屋だった。
「う、うわぁ…!可愛い!」
セーラは目を輝かせると、見たことのない不思議な部屋を見回した。
壁は一部がカラフルなタイルで彩られ、天井のライトは輪っか型でいくつも取り付けられている。
ガラスのドームに入れられた観葉植物は青々と茂り、常に地下水が汲み上げられているのか、渦を巻く透明な管の中を綺麗な水が静かに循環し続けていた。
これは生活水準が高いとかいうレベルではない。
一般市街でも見ることのない、卓越した技術の塊のような部屋だった。
「すごい…。どうしてこんな部屋があるの?」
「ここは元々他のシェルターから来たヤリって奴の住処だったんだ。ヤリの故郷ではこういった禁忌の時代の技術が多く残ってるんだ」
スラムに住んでいる者は、殆ど自分のシェルター以外の存在を知らない。
こんな事を言っても鼻で笑われるだけだろうが、無知なセーラはただコーシの話をそのまま信じた。
「こんなのが沢山あるなんてすごいね。見てみたいなぁ」
「まぁ、簡単には行けねぇけどな。それより先に体流してこいよ。今度はお湯が出るからゆっくり温まれるぞ。新しい着替えは鞄に入ってるか?」
「うん」
荷物ごと風呂場にセーラを運ぶ。
そこで降ろしてやると、セーラは見覚えのある液体石鹸のボトルを見つけた。
「コーシの石鹸だ」
「俺のっていうか、サキの愛用品だけどな。あいつの行き着く所には絶対ある。これが一番汚れと臭いがよくとれるんだとさ」
血のな、と冗談めかして言われた事は黙っておく。
二人は交代で体を洗い流し、こざっぱりすると簡単な食事を取った。
安全な場所でお腹もふくれ、やっと一息つく。
疲れ切ったセーラはすぐにうとうととし始めた。
「セーラ、寝るなら奥の部屋使えよ」
「うん…」
立ち上がろうとしても力が入らない。
今にも意識が落ちそうになっていると、コーシにふわりと横抱きに抱え上げられた。
「コーシ…」
また少し戸惑ったが、今度は大人しくこてんとその胸に頭を寄せた。
リビングの奥にはひとつだけ部屋があり、広めのベッドが置いてあった。
「…コーシはどこで寝るの?」
「俺はあっちのソファでいい」
ガラスの瞳は行かないでくれと訴えていたが、はっきり言って今隣で寝て理性を保てる自信はない。
コーシはセーラを下ろすと手を握りそばに腰掛けた。
「眠るまでここにいてやるよ」
「…」
セーラは大きな手にすり寄るように丸くなった。
互いの温かな体温が、じんわりと伝わってくる。
コーシはぽつりと言葉を落とした。
「…お前さ、四ヶ月経ってインプットが解除されても、別にわざわざどっかへ行く必要はないんじゃねぇの?」
セーラは閉じていた目を開くとコーシを見上げた。
「別に変な意味じゃなくて。一人でまたフラフラしてたら危ないだろ?」
セーラはこの上なく幸せそうに微笑むとまた目を閉じ、すり寄った。
すぐにすやすやと微かな寝息が聞こえてくる。
コーシはそっと手を離すと音を立てずに寝室を出た。
リビングに戻ると棚の上に置いてある通信機が光っていることに気付いた。
これは中央区の自室に置いてあるパソコンとしか繋がっていない。
そして使えるのは自分とサキ、それからM-Aとカヲルだけだ。
「何だよ、安否確認か?」
M-A辺りが心配して連絡を寄越したのかと思ったが、モニターをつけるとそこにカヲルが映った。
「コーシ、無事にレイビーに着いたのか」
「当たり前だろ。子どもじゃねんだぞ」
「これを立て直しておいてくれて良かった。一刻も早く伝えなければならない事があるんだ」
カヲルの顔はいつも以上に固い。
コーシは身を乗り出した。
「どうしたんだよ。そっちでなんか動きがあったのか?」
「いや…。セーラは?」
「もう寝てる。長距離移動が相当堪えたみたいだ。結構無理させちまったからな」
その物言いが無意識に柔らかくなる。
カヲルはそれに気付き苦い顔になると、努めて無表情に言った。
「コーシ、彼女に本気になるな。アレは決して愛していいものではない。アレは心ゆくまで気持ち良く使い、使い切ったら捨てるだけのただの道具だ」
「カヲル…?」
コーシは本気で驚いた。
普段のカヲルなら決してこんな非情な物言いはしないからだ。
だがカヲルは更に続けた。
「セーラのインプットが四ヶ月で解けることは知っているか?」
「…あ、ああ。本人から聞いた。でもそんなものが解けても、大事なのはその後どうするかだろ?」
「…」
コーシは何だか嫌な予感がしてきた。
「…違うのか?」
「…」
カヲルは一呼吸置くと真っ直ぐにコーシを見つめた。
「ヒューマロイドは、脳に直接指令を出すコアを癒着させられている。だがそんな物を無理矢理頭に入れられて長く生きられるはずがない。四ヶ月で解けるという本当の意味は…体の活動が停止するという事だ」
「え…」
「セーラは、もって四ヶ月なんだ」
コーシは衝撃に凍りついた。
「そんな…そんな事って…!!」
「ヒューマロイドの本質は頭の機械だ。体が壊れればコアを取り出し、別の体に入れればまたそれは動き出す」
「そんなの、もうセーラじゃないだろうが!!」
「禁忌の時代はクローン技術が盛んだったと聞く。となればその商売方法は自ずと予想がつくだろう?」
「やめろ…」
「だが今はその技術が完全に失われている。″セーラ″の身体は増やせないだろうが、フラッガは元々奴隷商人だ。代わりの体くらい容易く調達出来るだろうよ」
「カヲル、やめろ!!」
コーシは頭に血が昇ると音を立てて棚を叩いた。
生理的嫌悪に吐き気がする。
「コーシ、これは事実だ。それに禁忌の時代ですら問題となったのは、その生態じゃない。ヒューマロイドは愛を盾にされるとなんでもしてしまうという事だ。人を…殺すことすら躊躇わない」
「え…」
「簡単なことだ。あいつが俺を殺そうとしている、死にたくない助けてくれと懇願するだけで愛する人を守る為に手を血で染める。
しかも四ヶ月経てば後腐れなくどこかへ行ってくれるときた。さすがに大きな問題となると、社会は従順な彼らを″危険な道具″として一斉破棄した。それでも裏で馬鹿みたいな高額で出回ることは無くならなかった。だからヒューマロイドは禁忌の時代での闇の産物として有名なんだ」
コーシの頭は真っ白になっていた。
ただその中でセーラの花のような笑顔だけが音もなく浮かび、消えていく。
一息に話し終えたカヲルは、ひとつ息を吐くと辛そうに目を伏せた。
「あんたがセーラに情が移る前に教えておくべきだった。すまない」
「…」
厳しい沈黙が二人の間に降りかかる。
カヲルは少し躊躇いを見せながら言った。
「コーシ。今からでもあたしがセーラを預かるよ。後のことは任せてくれていい。あんたは全て忘れて元の生活に戻るだけだ」
呆けていたコーシの目が険しく光った。
「…後のことって?」
「…」
「ふざけんなよ。今更そんな事出来るかよ!!あいつを切り捨てて、俺だけ知らん顔してろって!?」
カヲルはコーシの気質をよく知っている。
こんな提案をしても反発されることは分かっていたが、それでもここは頷いてほしかった。
「…分かった。それなら、あたしはあたしのやり方で動く」
カヲルは通信を切ろうとしたが、コーシはぐっと拳を握ると声を押し殺して言った。
「最後に、ひとつだけ聞きたい」
「…」
「あいつは…セーラは自分が四ヶ月後に自分がどうなるのか、分かっているのか?」
「…ああ。誰よりも正確にな」
「…」
通信はぶつりと音を立てて切られた。
残されたコーシは痺れたようにその場に立ち尽くした。
受け入れられない現実に頭が混乱してまとまらない。
倒れるようにソファに沈み込むと、くしゃりと前髪を掴んだ。
「…サキ。早くサキを、探さないと…」
サキなら外の世界に詳しい。
もしかしたら何かしらの打開策を知っているかもしれない。
結局頼るのは情けない話だが、今はそれ以上考えることが出来なかった。
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