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茜色の塔で
サナはくるくると動き回ると、あっという間にお茶の用意を整え椅子をひいた。
「どうぞ」
「あ、ありがとう…」
目の前には美味しそうなカップケーキと飴色のお茶がセットされている。
セーラが椅子に座ると、サナも斜め前の椅子に腰を下ろした。
「良かったら食べてみてね。これ手作りなの」
言われるがままにカップケーキを一口食べる。
口の中でほろりと溶けた甘味は、体力を失っていた体にじんわりと染みた。
「…これ、すごく美味しい!」
「ふふ、ありがとう」
「どうやって作ったの?」
「え…」
サナは少しだけ目を泳がせると、照れたように肩を縮めた。
「実は…、殆どが旦那さんの手作りなの。私は少し手伝っただけ」
セーラは目を丸くした。
「サナは、結婚してるの?」
「ええ」
「でも、コーシは…」
余計なことを言いそうになり口をつぐむ。
「コーシも知ってる人よ。残念ながらあんまり二人の仲は良くないんだけれどね」
サナはお茶を一口飲むとセーラの不安そうな瞳を覗き込んだ。
「私ね、十歳くらいの時サキに拾われたの」
「え…?」
「行く当てがなくて困っていたら、うちに来てコーシの面倒を見てくれないかって言われて。コーシはまだ二歳にもなっていなかったから、サキも人手が欲しかったのね」
「二歳…」
「そう。だから私はコーシにとってお姉さんというよりも、母親に近い感じなのかな。トレッカが言ってた、素直に懐いたっていうのはそういう意味よ」
サナが話すほどに空気が和らぐ。
飴色のお茶をカップの中で揺らしながら聞いていると、今度はサナが質問した。
「ねぇ、私も聞いていい?セーラは、コーシとはどこで知り合ったの?」
「え…」
サナの目は嬉しそうに輝いている。
コーシの身内として、純粋な興味で聞いているようだ。
「えと、コーシは海で私を助けてくれて…」
「海?地上の?」
思わず本当のことを言ってしまい、セーラは狼狽した。
「あ、いえ、あの…」
「相変わらず地上に行き来してるのね。もぅ、サキと同じなんだから」
サナはカップケーキを口に運びながらうんうんと聞いている。
「コーシとはいつ頃から付き合い始めたの?」
セーラは会話に困ってしまった。
どうしようか迷った挙句、素直に謝った。
「ごめんなさい。あんまりそういうの言えなくて…」
「あら、きっとコーシが口止めしたのね?じゃあ、これだけ。セーラはコーシのどういうところが好きなの?」
これなら答えられる。
セーラは笑顔になるとはっきりと言った。
「優しい」
「優しい?あのコーシが?」
「うん!!」
「そう…、そうなの」
サナはとても綺麗に微笑んだ。
「良かった…」
「え?」
「コーシは…ほら、あんまり自分のこと話したりしないから。サキと比べられる事にも敏感だし、最近では特に排他的になっちゃって。でもセーラにはちゃんと心を開いてるのね」
「そう…なのかな」
セーラはとても自信がなさそうだ。
サナは首を傾げたが、あえて大きく頷いた。
「コーシを優しいと言える人はそうそういないのよ?本当はとてもいい子なのにね」
茶目っ気を交えて言うと片目をつぶって見せる。
セーラは何だか温かい気持ちになってきた。
サナはとても聞き上手で、話しているだけで心が癒されていくようだ。
初めのぎこちなさが嘘みたいに、気が付けばとても楽しいお茶会となっていた。
「サナ、それでね。コーシは果物を絞ってくれたんだけど、力を入れすぎちゃってオレンジの皮までぼろぼろになっちゃったの」
「じゃあ、そのジュースはとても苦かったんじゃない?」
「うん!一緒に飲んで、どっちも渋い顔になっちゃった!」
「まぁ、ふふっ。なんか想像ついちゃったわ」
軽やかな笑い声が交じり合う。
サナはとても素直なセーラに感心すると同時に、コーシが心許した理由も何となく分かる気がした。
「セーラ、私あなたがとっても好きになったわ。これからもコーシのこと、よろしくね」
今まで無邪気な笑顔でおしゃべりをしていたセーラは、急に黙って俯いた。
サナは驚いてセーラを覗き込んだ。
「どうしたの?私何かおかしなこと言ったかな」
「あの、駄目なの。ずっと一緒には…いられないから」
「どうして?」
どうしてなんて、考えるまでもない。
自分はただコーシを存分に愛し、役目が終われば消えて無くなる存在だからだ。
でもそれは言えない。
セーラは言葉を選びながら言った。
「コーシは、一人ぽっちでいた私を今はただ守ってくれてるだけなの」
「でも、それはセーラが好きだからでしょう?」
「ううん」
「え…?ちょっと待って。でも、セーラはコーシが好きで…」
「うん。でもこれは愛情を押し付けてるだけなの。だから見返りはいらないし、コーシが私をいらないと言えばそれで終わるの」
言葉にしながら、正しさが自分に広がっていく事を感じる。
サナはそんなセーラに困惑した。
「…ねぇ、セーラ。今のはとても義務めいたものに聞こえたわ。セーラがどうしてそう思うのかは分からないけれど、そこにコーシの気持ちが少しもないのはどうして?」
「え…?」
「もしかしたら、コーシだってあなたの事を本気で好きかもしれないのに」
その一言に、セーラは違う意味でどきりとした。
…もし、もし本当にそんな事になったらどうなるのだろうか。
自分は四ヶ月で消えてしまう。
じゃあ残されるコーシは…?
「セーラ…?」
セーラはぼろぼろと涙をこぼし、泣き出してしまった。
傷つける。
傷つける。
そんな事になったら、自分は残酷なまでにコーシを傷つけてしまう。
どうしてそんな事にすら気付けなかったのだろう。
コーシはちゃんと初めに、そんな事はあくどいとまで言っていたのに。
サナは立ち上がるとしゃくり上げるセーラを抱きしめた。
「ねぇセーラ。何を葛藤しているの?あなたはコーシが好きで、コーシもあなたが好きなら何も問題ないでしょう?」
「駄目…。駄目だよそんなの!!どうしよう、サナ…。私、私…、コーシを傷つけることだけは絶対にしたくないよ!!」
サナにセーラの混乱の理由は分からない。
それでもよく考えながら、ありのままに受け取った。
「コーシがあなたを愛したら、コーシが傷つくの?」
腕の中で、セーラが何度も頷く。
サナはセーラを少し離すと優しく言った。
「セーラ、それを決めるのはきっとあなたじゃないわ」
「え…」
「それにね、自分に嘘ばかりついていたら心が壊れてしまうわ。さっき、どんな顔で見返りはいらないと言っていたか知ってる?」
「…」
涙をすくう指先は、労り深く温かい。
「これはきっとコーシと二人で解決しなければならない問題だわ。でもその為にはセーラも勇気を持たなくちゃ」
「勇気…?」
「ええ。自分の思いを、ちゃんとコーシに伝える勇気よ」
雨水のように、胸にしみる声。
セーラはもう一度サナにしがみついた。
「泣かせてごめんね、セーラ。でも大丈夫よ。相手はあのコーシですもの」
いたずらっぽく言うと、セーラの頭をきゅっと抱きしめる。
「コーシは傷つく事を恐れて想いを曲げる程やわじゃないわ。そのうち悩んでいられないくらいこっちが目一杯振り回されちゃうわよ」
明るく言われて、セーラは思わず顔を上げた。
「ほんとに…?」
「ほんと。だからセーラも、もっと言いたいこと言っちゃっていいのよ」
サナの言葉はまるで魔法だ。
胸でつかえていたものが、サラサラと流れ落ちていってしまう。
コーシがこの人に想いを寄せている理由が、とてもよく分かる気がした。
セーラは優しい腕の中でしばらくの間癒され続けていた。
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