茜色の塔で

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商業区まで辿り着いたコーシは、いつも以上に騒がしくごった返す人々に辟易としていた。 あちこちから怒声が飛び交い、商業区全体が殺気立っている。 「ったく、どうなってやがるんだ」 「仕方ないさ。つい先日まで商業区が丸ごと封鎖されてたんだからよ。お陰でこっちも商売あがったりだ」 顔見知りの商人が、それはそれは渋い顔で文句を言っている。 「コーシ、気をつけろよ。皆かなり苛立ってる。いくらララージュさんの指示とはいえ不満は爆発寸前だ」 コーシはじっと考え込んだ。 ララージュがどんな男かはあまり知らないが、確かサキの連れだったはずだ。 そしてこのとんでもなく突飛な事を平気でしでかす奴はそうはいない。 「…やっぱこの閉鎖、サキの影がちらつくな」 「あん?」 「いや、何でもない。じゃあなルドー。お前も気をつけろよ」 「おうよ」 コーシは荒れる商業区をくまなく探し回った。 だがやはり肝心のサキがどこにもいない。 どれだけ知り合いをつかまえても、見かけたという情報はあっても、誰もはっきり居場所を知らなかった。 「くそっサキの野郎…。見つけたら絶対に一発殴る」 セーラのリミットを思うと、焦りは募るばかりだ。 それなのに結局何の手がかりもないまま三日目の朝を迎えた。 「そろそろ、帰ってやらねーと…」 思い浮かぶのは泣きそうなセーラの顔。 傷つけていることは分かってる。 自分自身、行動に矛盾があって混乱しているのだ。 セーラはもっとわけが分からないだろう。 「何やってんだ、俺…」 何となく帰りづらく、商店通りから離れた小汚い広場で腰を下ろす。 コーシは煙草をふかしながら、目の前の溜池をぼんやりと眺めていた。 地上から滲み落ちてくる水が溜まっているのだろうが、その色は深緑色に濁っている。 池というよりもはや沼に近いのかもしれない。 「あーむしゃくしゃするなぁ!!」 沼の反対側で、怒れる若者が二人不満を爆発させていた。 どうやらこの閉鎖が原因で、主人にこっぴどく八つ当たりされたらしい。 「なぁ、いいのがいるぜ」 そのうちの一人が、草むらから子犬を掴みあげた。 二人は順にそれを投げ合うと、最後に思い切り沼に向かって放り投げ入れた。 「おーとんだとんだ。一匹始末終了ぉ!」 「はぁ、スッとした。帰ろうぜ」 振り返りもせずに去って行く。 沼の中では、もがいてももがいても沈んでいく子犬がきゃんきゃんと鳴いていた。 通りのそばの出来事だ。 気付いた人々は揃って眉をひそめた。 「やだ、汚ーい」 「早く沈んでよね、気持ち悪い」 通りがけの女が大きな声で話す。 「うわ。嫌なもん見た」 「あれはもう、しょうがないぜ」 男達は鼻で笑いながら通り過ぎる。 コーシは苛々しながら煙草を揉み消した。 …自分だって、こいつらと同じだ。 犬が一匹溺れていても、必死でもがいていても、そんな事どうでもいい。 どうでも… 「…っくそ!!」 気が付けばコーシは沼へと足を踏み入れていた。 段々と深くなり腰まで汚水が登ってくる。 片手で犬を掴み上げると、すぐに引き返し沼から這い出た。 「…っはぁ、はぁ、はぁ…」 犬はぶるぶると体を振ると何処かへ走り去った。 残されたのは薄汚れた自分と、軽侮する人々の眼差しだけだ。 コーシは自分のしたことに困惑した。 今までなら考えられない行動だ。 だが、セーラがこの場にいたら間違いなく先に飛び込んでいただろう。 「…」 …そうだ。 そうだった。 刷り込みなんて関係ない。 自分が惹かれたのは、たった一匹の犬のために迷いなく海に飛び込んだ、あの少女じゃないのか。 花のような笑顔が浮かんだ途端、視界の全てが一瞬飛んだ。 「…トレッカの、言う通りじゃねぇか」 セーラが拒めないから進めないのではない。 そんなセーラも含めて、全てを受け入れる覚悟が自分に足りていなかっただけだ。 ずっと手放せなかったちっぽけなプライドをかなぐり捨てると、体の奥底に忘れていた熱い感情が剥き出しになった。 「セーラ…!!」 今すぐ帰らなければと、胸が急く。 今までいったい何を躊躇っていたのだろう。 セーラとの時間は、どんどんなくなっていくのに。 誰にも渡したくない。 他の男にも、セーラを連れて行こうとする死神にも。 「…とりあえず着替えだ!!くそっ!!」 乱暴に荷物を掴むと、コーシは悪態をつきながら駆け出した。
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