茜色の塔で

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離れてから三日目の朝。 コーシが帰ってくるというのに、セーラは昼過ぎまで部屋から出る事ができなかった。 「どう?セーラ、腫れは引いてきた?」 「うん、大丈夫」 泣きすぎたせいで起きた時から瞼は酷い腫れようだったのだ。 サナが何度も冷やしたタオルを持ってきてくれたおかげで、それも随分ましになる。 「もう大丈夫そうね。よかったわ」 「うん…」 セーラはうつむくとタオルを握りしめた。 コーシが帰ってくるのかも不安だが、帰ってきたところでまた無言が続けばどうすればいいのか分からない。 サナはくしを取り出すと、そんなセーラの髪をすき始めた。 「そんな顔しないで。心配しなくても私がいるわ」 「サナ…」 セーラは目を閉じると優しいサナにもたれかかった。 何事もなく一日が過ぎ、そろそろ夕刻に差し迫るという時間になると、やっとコーシがレイビーに戻ってきた。 すぐにセーラを迎えに職場へと向かったが、そこにセーラの姿はなかった。 「トレッカ、セーラは!?」 息を切らせながら飛び込んできたコーシに、トレッカは冷たい目を向けた。 「三日も預けといて第一声がそれかい?」 「…悪い。助かったよ。で、セーラは?」 「この三日、ずっとセーラの世話を焼いてくれる人がいてね。そっちに預けてるよ」 「は…?」 トレッカはツンと顔を背けた。 「あんたと何があったのかは知らないけどね、落ち込んでたセーラも随分笑顔になったよ。もういっそあの子の事、今後も任せちまったらどうだい?」 「なん…」 「甲斐性なし、根性なしのあんたよりよっぽどセーラを幸せにするだろうさ。今も二人で仲良く井戸に水を汲みに行ってくれてるよ」 コーシは最後まで聞いちゃいなかった。 すぐに飛び出すと、記憶にある古井戸を目指す。 辺りはすっかり薄暗くなってきたが、井戸のそばに人影がふたつあるのははっきりと見えた。 「セーラ!!」 思わず呼ぶと、その影がひとつすぐにこっちに飛び込んできた。 「…っ、コーシ!!」 必死にしがみついてきたのは、間違いなくセーラだ。 コーシはほっとすると華奢な体を抱きしめ返した。 「…遅くなって悪い」 「ううん、いいの…」 セーラを抱え上げると、後ろからトンと肩に手を置かれた。 コーシは最大限威嚇して振り返ったが、目の前にいたのは男どころか、コーシが最も頭の上がらない人だった。 「さ、サナ…??」 「お帰りなさい、コーシ」 サナはいつも通り優しい笑顔であったが、コーシには分かる。 これは怒っている時のサナだ。 「な、何でサナがセーラと…」 「何も言わずに置いていかれたセーラをトレッカが心配してね、私に声がかかったの」 「まさかじゃあ、ずっとセーラといたってのは…」 「私のことよ」 トレッカに担がれた事に内心舌打ちをしたが、今はそれどころではない。 サナはため息をこぼすとセーラの手を取った。 「私ね、セーラを引き取ろうと思うの」 「な…」 「本気よ。だって、あなたはセーラを不安にさせて泣かせるんだもの」 「サナ、俺は…」 「コーちゃん。私に言い訳はいらないわ。決めるのはセーラだから」 サナはセーラの手を離すとコーシの頭を撫でた。 「私は明日帰るけど、その前にセーラ自身から返事を聞くわ。絶対にあなたは強要なんてしちゃ駄目だからね」 釘を刺すとセーラにだけそっと片目をつぶってみせる。 特大の発破をかけたサナは背を向けると一人で帰って行ってしまった。 二人になった途端流れたのは、とんでもなく気まずい空気だ。 コーシの腕から降りたセーラは離れようとしたが、その手をいつものようにコーシが掴んだ。 「…帰るか」 「うん…」 「…風呂入りてぇ」 「うん」 「何か適当に買って帰らねぇと、何もないな」 「うん…」 「…」 なんとかいつも通りに振る舞おうとするも、互いにどうしてもぎこちない。 それでも歩み寄ったのはコーシの方だった。 「急に置いてったりして、悪かった」 「…」 「セーラのそばにサナがいてくれてよかった。二人で何してたんだ?」 セーラはおずおずと顔を上げた。 「ウォンカイへ、行ってきたの」 「ウォンカイ?」 コーシの顔が見るからに明るくなった。 「…そっか。久しくあそこも行ってねぇな」 「ビーハンさんにリサイクル工場へ連れて行ってもらったんだよ。コーシが作った大きなの、見せてもらったの」 「あんなのまだ残ってんのか!?ぐっ…早いとこ自分で壊しに行っておくんだった…」 「昔のコーシの事もいっぱい教えてくれたよ」 「うっ。き、聞きたくねぇ…」 ここへきてセーラはサナに大いに感謝した。 サナの言う通りウォンカイはコーシにとっても特別なようで、ぎこちない空気を吹き飛ばすには充分な話題だった。 セーラはいっときの事は忘れ、いつも通りのやり取りに心からほっとしていた。 もしかしたらまた以前と変わらぬ関係に戻れるのかもしれないと仄かな期待もあった。 だが隠れ家まで帰ってくると、コーシは急に真顔になりセーラの手を離した。 「…明日、地上へ行こうか」 「地上へ?」 「ああ。見せたいものがあるんだ。それから、ちゃんと話したい事も」 セーラはどきりとした。 どんな話だとしても、それはきっと今までの関係を変えるものだ。 それにどう転んでもよくない顛末しか浮かばない。 目を開いたまま固まっていると、コーシはバツが悪そうに苦笑した。 「トレッカとサナに背中押されたみてーになったけど、俺はちゃんと俺の意思でセーラと向き合いたいと思ってる。だから…」 「…」 「だから、セーラにもそうして欲しい」 言葉を選んだのは、セーラにも考える余地を持って欲しかったからだ。 コーシはポンとセーラの頭を撫でると先に家の中へ入った。
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