茜色の塔で

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トレッカの家の前で帰り支度を終えたサナは、二人を待っていた。 やがて、まだ少しぎごちない雰囲気のコーシとセーラが丘から下ってくる。 トレッカが物言いたげにしたが、サナはそれを止めると前に出た。 「おはよう、というにはもう遅いかな」 「サナ…」 セーラは手を伸ばすとサナに抱きついた。 「ずっと一緒にいてくれて、ありがとう。サナ、大好き」 サナは苦笑するとセーラを抱き返した。 「コーシと行くのね?」 「うん」 「辛かったらいつでも言ってね。トレッカに聞いたらすぐにまた迎えにくるわ」 「うん」 抱擁を交わしていると、サナの後ろに見慣れぬ女が立った。 「サナ様、行きましょうか」 「ええ」 キリッとした女はきっちりトレッカに頭を下げたが、ちらりとセーラを横目で見ると声をひそめて言った。 「ウォンカイへ出る時に、女が二人レイビーからつけているようでした。何の目的かは分かりませんが、身の回りには少し気をつけたほうがよろしいかと」 「女?」 「では、私たちはこれで」 サナはもう一度セーラに握手をし、コーシとトレッカに別れを告げるとその人と集落を出た。 コーシは首を傾げた。 「なんだ、今の女」 「あれはサナの護衛みたいなもんさ。あの子の旦那は奥さんを異常なまでに溺愛してるみたいだからね。スラムを一人歩きなんてさせるもんか」 コーシはあからさまに顔をしかめたが、大いに納得した。 「で?あんたらは今日はどうするつもりなんだい?」 「その事だけど、ヤリの塔へ行きたいんだ。鍵貸してくれねえか」 「地上へ?」 「ああ」 トレッカは意味深な目で見たがすぐににやりとした。 「まぁ、いいんじゃないかい。今時期なら夕陽が見応えあるだろうしね」 「中は生きてるか?」 「勿論。あそこはサキのお気に入りだからね。あたしがきっちり管理してるよ。ほら、取りにおいで」 鍵を受け取ると、次にコーシは店で二人分にしては多いくらい食料を買い込みだした。 「これ、全部持っていくの?」 「ん?ああ、今日は俺が飯作るから」 「え…」 支払いを終えたコーシは両手に紙袋を持ち振り返った。 「そんな顔すんなって。これはまぁ、置いてった詫びだ」 「でも」 「じゃあ果物はそっちに託す。結構買ったけど、そういやデザートなんてどうすればいいか考えてなかった」 役割を与えられたセーラはほっとして頷いた。 少し距離はあるが、二人の間に流れだしたのは穏やかな時間だった。 コーシにここ最近の苛々した様子はなく、当たりも優しい。 それも今日までかもしれないと思うと胸は痛むが、セーラは充分幸せだった。 簡単な荷物と食材をバイクに積み込むと、地上へと向かう。 ゲートを抜けると眩しい太陽に迎え入れられた。 「どこまで行くの?」 「すぐそこだ。あの崖の淵に灯台があるだろ」 「灯台?」 「あれは灯台に偽装した、もうひとつのヤリの家だ」 あっという間に塔へつくと、さっさと荷解きをする。 セーラは鍵を渡された。 「先に入ってろ。この辺りは放射線がきつい」 「分かった」 言われた通り入り口らしき扉に鍵を差し込み開く。 中はがらんとした何もない空間だった。 奥まで入ると荷物を抱えたコーシが片足で扉を閉めた。 「セーラ、こっち」 紙袋をひとつセーラに預けると、塔の真ん中にある柱に手を触れる。 触れた指先が光ったかと思うと、足元が急に揺れた。 「わわっ…」 「大丈夫。掴まってろ」 柱を中心に円形を型取った足場がゆっくりと上がっていく。 それに合わせて天井も円形に開いた。 「す、すごい…」 「だろ。これもヤリが作ったらしいぜ。あのサキが絶賛する男だからな」 「ヤリさんは今どこにいるの?」 「もうとっくに死んでる。昔色々あったみたいだけど、サキが今でもこの場所を大事にしてるのは確かだな」 足場が二階で止まると、視界は一気に開けた。 「う、わぁ!!綺麗!!」 そこは大きな窓が開けたとても開放的な部屋だった。 広めのベッドとソファ、それからテーブルを横切り窓に寄ると、空がぐっと近くなる。 水平線まで見える海はたとえ汚れていたとしても果てしなく圧巻だ。 「もう少しすれば夕陽、それが落ちれば星空になるぜ」 「すごい!!」 「水場は全部上にある。そこの階段から登ればすぐだ。空調と電気がいかれてないか見てくるから、先に体流してこいよ。水は五分流してから使えよ」 「うん!!」 セーラはわくわくしながら三階に登った。 すぐ目に入ったのはシンプルなキッチンだ。 そしてシャワールームは左手側の扉の向こうにあった。 「あ…。やっぱりあった」 手に取ったのはサキ愛用の液体石鹸ボトルだ。 まだ会ったこともないのに、何だかこれを見るだけでサキに親近感が湧いた。 浴びた放射線をしっかり洗い流し、戻ってきたコーシと交代する。 セーラは二階へ降りると、ベッドに腰掛け窓の外を見つめた。 ゆっくりと、ゆっくりと太陽が茜色に変わっていく。 いつもは薄水色の髪も瞳も、それに伴い同じ色へと染まった。 「セーラ?」 体を流し終えたコーシも二階へ降りてくる。 あまりにも物音がしないから様子を見にきたようだ。 「なんだ。寝てるかと思った」 「ううん。夕陽を見ていたかったの。夕陽って怖いと思っていたのに、ここで見ると何だかすごく綺麗で…」 「怖い?」 「うん」 コーシはセーラの隣に腰掛けた。 「なんで?」 セーラは微笑むだけで答えようとはしなかった。 逃げ出してからコーシに出会うまでの二日間。見つかることを恐れながら夕陽の中で一人膝を抱えていたなんて、今更言う必要もないからだ。 はぐらかす代わりにコーシの肩に頭を寄せ、茜色の中に淡い願いを繰り返す。 時よ…止まれと。 一緒に空を見つめていたコーシは、一番星が光ると静かに言った。 「空の向こうに、何があるか知ってるか?」 セーラは同じ視線の先を追った。 「…星?」 コーシは片膝を抱えると少し笑った。 「そう、だけど、少し違う。あの空の先には、ここみたいに住める星があって、全く違う文明の人が住んでる」 「え…」 「って言ったら、さすがのお前も信じらんねぇか」 セーラはじっとコーシを見つめた。 「私、私は知らないことが沢山あるから、それが本当なのかは分からない。でも、コーシが言うなら信じる」 「じゃあ、俺が地底人にダチがいるっつったら?」 「信じる」 「鯨の神様がいるって言ったら?」 「し、信じる」 「地上にはお化けが出るって言ったら?」 「もぅ」 からかわれている事に唇を尖らせると、コーシは少し笑い今度は自分がセーラに頭を寄せた。 「何も知らないのは、スラムの連中も同じだ。そんなこと誰も考えたことすらないだろうな。…でも、俺は事実としてそれを知ってる」 「…」 「いつか自分の腕で、あそこまで辿り着くのが俺の最終目標だ」 「星の中へ?」 「ああ」 コーシは自虐的に笑った。 「バカみたいな話に聞こえるだろ?」 どんなに仲のいい知り合いでも、こんな話はしたことがない。 頭を疑われるのは分かっているからだ。 ただ、コーシは幻を追っているわけではない。 数年前サキに極秘で連れられて訪れた別シェルターでは、確かに見たことのない船が宇宙へと飛んだのだ。 だがスラム出身の自分がそこまで辿り着くのは、それこそ何億光年先だろうか。 自分でも馬鹿言ってると笑ってやりたかったが、セーラは茜色の瞳を嬉しそうに細めた。 「星へ行ったら、コーシは何をしたいの?」 「え…」 「すごいなぁ。あんなところへ行けるんだね。星の中ってどんな感じなのかな。太陽って、どう見えるんだろう」 コーシは思わず顔を上げた。 セーラは笑うどころか、自分よりもうひとつ先を見たのだ。 それは上辺の賛辞や共感よりも、遥かにコーシの胸を熱くした。 「なぁ、セーラ」 「なぁに?」 「俺とそこまで、行く気ねえ?」 セーラは瞳いっぱいに驚きを浮かべると、自分と同じように茜に照らされるコーシを見つめた。 それは未来を約束しようとする、コーシからの誘いの言葉だった。
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