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部屋の中は真っ赤に染まっているのに、頭の中は真っ白だった。
自分には未来なんてものはない。
それなのに、コーシはヒューマロイドには一番してはいけない未来を願っている。
セーラの体を駆け巡ったのは、今すぐ離れなければというシグナルだった。
「あ、私…」
立ち上がろうとした腕をコーシが掴む。
そのまま引き寄せられると腕の中に閉じ込められた。
「行くなよ」
落ちてくる低い声。
「どこにも、行くな」
コーシは抱きしめる手に力を込めた。
腕の中で強張る、柔らかな体。
本当はもっと後でちゃんと順を追って話すつもりだった。
それでも、もう。
「好きだ、セーラ」
セーラの頭の中は再び真っ白になった。
恐れていた事態に体が小さく震えだす。
だがコーシはそんなセーラを膝に乗せ直すと、こめかみに擦り寄るようなキスをした。
それから瞼、耳、頬と、なぞるように口付けていく。
それが唇に触れる直前でセーラは手で止めた。
「だ、駄目だよコーシ。だめ…なんだよ」
「前はいいって言ったのに?」
「だって、それとこれとは違うよ」
どう言えば伝わるのかが分からない。
でも、ちゃんと分かってもらえなければ絶対に駄目だ。
セーラはぎゅっと手を握りしめると声を絞りだした。
「あのね、私、あと数ヶ月でコーシの前からいなくなるの。それはただそばを離れるということじゃなくて、私自身が消えるんだよ」
「…」
「だから、これは駄目。私に…心を注がないで」
燃えるような夕陽が暗い海の底に沈んでいく。
二人の姿が影に変わり始めると、コーシはセーラをベッドに倒し噛み付くようなキスをした。
存分に呼吸を奪った後で、赤い唇をぺろりとなめる。
しばらく言葉を忘れていた獣は、息を乱したセーラの耳元で低く囁いた。
「知ってる」
「え?」
「全部、分かってる」
「コー……んっ」
再び塞がれた唇が熱い。
セーラは身を捩ると懸命に止めた。
「まっ、待って!これ以上は、ほんとに…」
「なんで?」
「なんでって、だから、私はコーシを残して消えるんだよ!?今ならまだコーシを深く傷つけないで終われるから、だから!」
「じゃあ、セーラの心は?」
「え」
「そんな理由じゃなくて、知りたいのはお前の心だ。セーラが嫌ならこれ以上は何もしない。でも」
柔らかなベッドがぎしりと軋む。
「嘘だけは、つくな」
逃す気のない眼差し。
絡んだ体。
どれだけ震えても、答えを聞くまでコーシはじっと待っている。
完全に追い詰められたセーラは、ついに観念の涙をこぼした。
「…き」
「ん?」
「コーシが、好き。もっとそばにいたい。もっと抱きしめてほしい。もっと、愛してほしい」
言葉にした途端、セーラの中で何かが砕け散った。
もう、後戻りは出来ない。
初めて求める言葉を口にしたセーラを、コーシは満足そうに抱きしめた。
本当は何を言われても離すつもりはなかった。
セーラが本気で抵抗したことは、むしろ嬉しくさえ思えたからだ。
葛藤するのはそこに心がある証拠だ。
もうそれが偽物だろうが本物だろうが、どうでもいい。
今はただ、この手の中の全てを握りしめたかった。
そっと触れたキスは、今度は阻まれることはなかった。
「ごめん。ごめんね、コーシ」
頬に触れるのは儚いほど細い指。
抱けば壊れそうな華奢な少女が、こんな自分を傷つけてしまうと泣いている。
コーシの目は、ふっとほころんだ。
「別に、お前に付けられた傷なら一生消えなくてもいい」
二人の呼吸が闇の中に溶けていく。
それは今という時だけを閉じ込めてくれる、全てを隠して包み込むような宵闇だった。
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