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身体中に降る温かな雫に、セーラは閉じていた瞼を開いた。
シトラスの泡に包まれて、ぽとぽとと身体についた汚れが流れていく。
それをぼんやりと見つめていたが身体を撫でる優しい感触にふと顔を上げた。
「コーシ…?」
コーシは座り込んだ自分の膝の上にセーラを乗せて、丹念に洗い流していた。
「サキの見たてでは数カ所の打撲と擦り傷以外、大したことはないってよ。吸わされた薬の方がまだ怠いだろ」
セーラは弱々しく微笑むと心地よさにまた目を閉じた。
頭の中までいい香りでふわふわする。
「セーラ」
「…うん?」
「まだ気分悪いか?」
「ううん…気持ちいい…」
コーシはしかめ面でセーラを抱え直した。
「そのセリフ、今言われるのすげー毒なんだけど」
コーシはズボンだけ履いているが、セーラは完全に丸裸だ。
泡を洗い流すと、綺麗になった白い肌にはうっすらと打撲の痣がいくつか残った。
コーシはそれをひとつずつ労わるように唇でなぞった。
「ふふ、くすぐったいよ」
変わらぬ笑顔にほっとすると、そのまま花のような唇にも口付けた。
香る肌を抱きすくめ本能と理性で揺れていると、後ろからノックが聞こえた。
「えー、そこのケガ人に手出そうとしてる鬼畜くん。そろそろ手当ての続きするからセーラちゃんを出してくれませんかね?」
わざとらしい咳払いがリビングへと戻って行く。
コーシは眉を寄せるとシャワーを止めてセーラを抱きかかえた。
大きなタオルで包み、自分も適当に着替えると扉を開ける。
ソファに沈み込み煙草をふかすサキは呆れながら手招きした。
「あのなぁ、せめて俺が帰ってからいちゃついてくれるかなぁ」
コーシは悪びれる様子もなくセーラを寝室へ運び込んだ。
サキはやれやれと肩をすくめ、後に続いた。
セーラに大きめなシャツだけをすっぽり着せると、二人はせっせと怪我の手当てをし始めた。
「しかしセーラちゃんにはとんだとばっちりだったなぁ。痛かったろ」
「俺のせいだ…。悪い」
「そういやお前、なんかとんでもない事言ってなかったか?」
「…ヤメロ、言ってない」
セーラは仲のいい二人に笑みをこぼした。
「私は大丈夫。それよりコーシに何もなくてよかった。事故に巻き込まれたって聞いたから…」
「それで一人で出てったのかよ」
「うん、ごめんなさい。…でも私、きっと次も同じこと聞いたら行ってしまうと思う」
セーラはコーシの手を取り頬に当てた。
「ごめんね」
「…なんでお前が謝るんだよ」
擦り傷に消毒を終えたサキは薬を箱の中へパタンと入れた。
「なるほど…。これはM-Aの言うことも分かるな」
「M-A?」
「いや…」
サキは救急道具を片付け煙草を取り出した。
マッチを擦り、小さく揺れる炎をじっと見つめる。
コーシが黙って待っているとポツポツと話し始めた。
「実は俺、ヒューマロイドを実際見るのは三回目なんだ」
「…聞いたことないぞ?」
「当たり前だ。初めて人に言うからな。まぁ出先で見たんだが、一人は目を覆いたくなるくらい酷い扱いを受けててさ」
コーシもつられて煙草を探したが、セーラと目が合うと今はやめておいた。
「その持ち主は外面はすこぶるいい奴だった。だがその反動なのか、ヒューマロイド…セーラと同じ女型だったんだけど、彼女にやりたい放題していた」
セーラは目を瞬かせるだけで黙って話を聞いている。
「彼女の体は常に痣だらけ。いつ暴力をふるわれるか分からないなら、普通なら怯えたり表情が消えたりするもんだろ?でもその子はずっと笑顔だった。どんなひどい扱いを受けてる最中でも、笑顔でその持ち主を愛してると言い続けていた。…あれは、人間じゃない」
コーシの握り拳に力が入る。
サキは灰皿を手繰り寄せると淡々と続けた。
「二人目はハタチくらいの好青年型だ。最初は俺も全くヒューマロイドとは気付かなかった。それくらい普通だったんだ。だが奴の持ち主が酷く生活態度を親に咎められた時、彼は躊躇いなくその親を殺した」
「殺した…?」
部屋の中が、一瞬静まり返る。
サキは小さく頷いた。
「そうだ。それまでにも彼の主は、裏で常々彼にそういうことをさせていたらしい。
自分に都合の悪いやつは彼に始末させ続けてた。その結果、親まで失うとは思ってなかっただろうがな。
恐ろしいのは泣き叫ぶ主に対してヒューマロイドが笑顔で慰めていたことだ。これで大丈夫、よかった、愛してると言い放った。
激怒した主は彼に自害を命じた。その一時間後、彼はビルから飛び降りた」
セーラは沈黙のままうつむくと目を伏せた。
その胸には、自分もきっと同じことをするだろうという苦い確信があった。
「実際に見たのはこの二人だけだが、ちょっと本気で調べれば他にも事例は山ほどある。ヒューマロイドは破棄すべきモノだという社会の決定は、俺も妥当なものだと思うぜ」
カヲルから聞いてはいたが、実体験をしたサキの言葉は想像以上にコーシに突き刺さった。
サキは煙草を灰皿に押し付けると、ベッドに腰掛けるセーラの隣に座った。
「コーが好きかい?」
セーラは黙って頷く。
「どうして?」
今度は、答えられない。
コーシは優しい。
その表情も仕草も触れる手の熱さも愛しくてたまらない。
でも溢れるようなこの思いが、インプットされたからという理由だけだとしたら…?
コーシはサキを睨んだ。
「サキ、こいつは違う」
「どう違う?」
「こいつは異常なんかじゃない」
「…」
張り詰めた空気が三人を包む。
サキはしばらくコーシを黙って見ていたが、ふとその表情が和らいだ。
「確かに、セーラは違う。いや、違うのは持ち主の方か」
「え…」
サキはセーラの頭をぽんと撫でた。
「君は人としてコーに、それから周りに愛されたんだな。ヒューマロイドは扱い通りに育つ。その綺麗なままの目を見れば、どう育ったかなんて一目瞭然だ」
ガラスの瞳に優しく笑いかける。
「挨拶が後になっちまったな。俺はサキ。コーの連れで、育ての親だ。酷いこと言って悪かったな」
セーラは我慢できずに耐えていた涙をこぼした。
コーシはセーラを引き寄せ、厳しい目をサキに向けた。
「…泣かせるなよ」
サキはひらひらと手を振ると立ち上がった。
「悪いな。コー、セーラちゃんを休ませたら後で話がある」
それだけ言うとサキは寝室を出て行った。
「コーシ…」
「今は何も考えんなよ。とにかく休め」
セーラをベッドに横にし直すと、コーシは安心して眠れるように手を繋いだ。
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