透明な罠

8/12

22人が本棚に入れています
本棚に追加
/65ページ
夜になると、セーラは必ず窓辺に座り込んでいた。 目を閉じているとまたコーシが来てくれる気がして、明け方までここで待つ。 …どうして、一人でここにいるのだろう。 僅かな時間は全部コーシといたいのに。 手を開くと赤い粉が入った小瓶がころんと転がる。 祈るように手を組むと、セーラは決意を固めた。 ———— 厳しく監禁されていたコーシは、今日も朝から暴れ倒していた。 「おいリコ!!いい加減にしろよ!!ここを開けろ!!」 「だめよ!お父様が帰ってくるまでここにいてちょうだい!」 扉越しにリコが応える。 コーシは苛立たしげに舌打ちすると、もう一度馬鹿みたいに頑丈な扉に蹴りを入れた。 一見普通の部屋だが、一つだけある窓にもがっちり鉄の柵が嵌められていて抜け出すことが出来ない。 一通り暴れ終えたコーシは、廊下に人の気配がなくなると息を切らせながら床に転がった。 「…はぁ、はぁ、はぁ。くそっ…」 もう、限界だ。 後のことなんてどうでもいい。 セーラが動けるようになった以上、いつまでも時間は潰せない。 それにあの医者がまだセーラの側にいると思うとどうしても我慢ならなかった。 コーシは体を起こすと扉の前に座り込んだ。 目を閉じ、全神経を研ぎ澄ませる。 鍵を奪いセーラを連れ出し外に出るまでのシュミレーションを可能な限り弾き出す。 これ以上手荒なことはしたくなかったが、もう手段を選ぶつもりはなかった。 次の食事が運ばれてきた時が狙い目だと思ったが、チャンスは意外に早く訪れた。 誰かが廊下を歩いて来る足音がしたのだ。 ずっと座り込んでいたコーシは音もなく立つと、扉の側の壁に寄り添うように張り付いた。 かちゃり、と一つ目の鍵が開く。 程なくしてして二つ目も開く。 軋み音が僅かに響いた瞬間、コーシは開きかけた扉を掴み一気にこじ開けた。 誰が来ても一撃で落とすつもりだったが、薄水色が視界に入った途端寸前で手を止めた。 「コーシ!!」 「せっ…セーラ!?」 倒れ込むようにコーシにしがみついたのは、間違いなくセーラだった。 「どうやってこんな所に来たんだよ!?」 「逃げてきたの!!」 「だって…、鍵は!?」 セーラはそれには答えずに懸命に訴えた。 「コーシ。私、やっぱり残りの時間は一秒でも多くコーシと過ごしたいよ!!」 疑問は沢山あったが、確かにこんな所でぐずぐずしていられない。 セーラがここにいるなら逃げるまでだ。 「走れるか?」 「うん!!」 コーシはセーラの手を取ると、下手な小細工は一切せずに正面玄関を目指して走った。 「こ、コーシさま!?どちらへ!?」 気付いた使用人達が大騒ぎを始める。 リコはすぐに二階の部屋から出てきた。 「コーシ!?一体どうやって…。マキオー!!アングラス!!コーシを止めて!!」 玄関近くにいた見上げるほどの大男が二人の前に立ちはだかる。 コーシはセーラの手を離した。 「先に外へ出ろ!!」 「でも!!」 「すぐに行く!!」 セーラを扉の方に押しやると、自分より一回り以上大きな男に加速をかけて突っ込んだ。 リコは階段の手すりから身を乗り出した。 コーシがどれだけ暴れようとも相手は父親直々の部下だ。 骨の一本くらい折られても仕方がないと案じたが、どさりと崩れ落ちる音と共に床に沈んだのは大男二人だった。 「え…」 リコには何が起きたのか分からなかった。 周りにいた使用人達もだ。 誰一人、コーシがここまで腕が立つことを知らなかったのだ。 それもそのはずで、物心ついた時から遊びと称してサキにみっちり鍛え上げられたにも関わらず、コーシは己の牙を使うことを厳しく制限していた。 それを使うのはいつもいざという時、ほんの一瞬だけだ。 コーシは階段を振り返った。 「リコ、セーラを助けてもらったことは本当に感謝してる。フェザーの旦那には後できっちり詫びをいれに来る」 「そ…そんなの許されると思っているの!?あなたのせいでお父様とサキ様は決定的に決裂してしまうわよ!?」 「サキにも俺から話しておく」 「コーシ!!」 「罰したいなら後日にしてくれ。今は…時間がないんだ」 コーシは背を向けると、扉のそばで固まっていたセーラの手を取り外へ出た。 門をくぐり、商業区を目指す。 セーラの息はすぐに上がったが、その体を軽々抱え上げると人目も気にせず歩いた。 商業区へ入る手前の鉄骨置き場へ来ると、ここで一度セーラを下ろす。 鉄骨の上に座らせ、コーシは覗き込むように顔色を伺った。 「本当に体はもういいのか?少しでもおかしいと思ったら隠さずに言えよ」 「うん、平気だよ」 健気に微笑むセーラの頬に触れると、軽く引き寄せて唇を重ねる。 合わせた手と手の指は絡み、体温が僅かに交わった。 「…あの部屋どうやって抜け出してきたんだよ。俺の部屋の鍵だって、誰にもらった?」 体に直接響いて聞こえる低い声。 セーラは気持ちよさそうに目を閉じた。 「助けてくれた人がいたの。私が逃げたいって言ったら、行きたいなら行けばいいって…」 「屋敷の奴か?一体誰に?」 セーラは首を横に振るだけでこの話を終わらせた。 「コーシ、ここからが商業区なの?」 「…ああ。歩けるか?」 「うん」 「じゃあ、行くか」 ずっと聞きたかった、この言葉。 セーラは嬉しくて何度も頷いた。 立ち上がるとコーシはもう一度セーラを抱きしめた。 今すぐにでもこのまま抱き潰したい衝動を抑え、耳に甘噛みする。 「…ずいぶん遅くなっちまったけど、早くララージュのとこへ行こう」 「ん…、うん」 「部屋を借りて落ち着いたら…」 「…うん?」 「飽きるまで付き合ってもらうからな」 抱きしめる腕に力がこもる。 意味を理解したセーラは真っ赤になったが、コーシの背中に手を回すと消えそうな声で囁いた。 「コーシが飽きても、やめないで…」 残された時間は、あまり多くない。 それでも二人は手を取りまた歩き出した。
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加