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鉛のような体を起こすと、青年は不快感に舌打ちをした。
引きずるように廊下を這いシャワーを浴びに入る。
一瞬違和感に首を傾げたが、頭が回らずそのまま熱いお湯を頭からかけた。
全てを洗い流しやっとすっきりすると、濡れた体を雑に拭い自室へ入った。
時間は既に夕刻時だと告げている。
薄暗い部屋に電気をつけると、簡易パイプにマットだけを敷いたベッドと、その上のブランケットに包まった膨らみが目に入った。
青年は楽な服に着替えながらため息交じりに声を掛けた。
「サキ、横になるなら自分の部屋かリビングのソファにしろよ。…って、確か帰ってくるの来週じゃなかったか?」
ろくに見もせずに言ったが、膨らんだブランケットはサキにしては小さすぎる。
不審に思いひっぺ返してみると、健やかな寝息を立てる薄水色の髪の少女が現れた。
「お前、なんで…!?」
一瞬混乱したが、徐々に記憶が蘇ってくる。
「俺が…連れてきたっけ?」
必死に記憶を手繰り寄せていると、青年の声に反応した少女が身じろぎして目を開いた。
「ん…」
髪と同じガラスのような薄水色の瞳が不機嫌そうな青年を捉える。
その途端、少女は文字通り飛び起きた。
「あぁ!!コーシ!?お…おはよう!!」
いきなり名指しされ、青年の目は剣呑に光った。
「お前、誰だよ」
ライムグリーンの瞳の中には猫のように縦に伸びた瞳孔がある。
一種の奇形だが、その目が一層青年の雰囲気を鋭利にさせた。
だが少女は少しも物怖じせず元気に笑いかけた。
「初めまして!私、セーラ。あなたに人の愛情を伝えるのが役目です。四ヶ月間、よろしくお願いします!」
「は…?」
ハキハキと言われても全く何を言っているのか理解出来ない。
怪訝な目で見ると、セーラはにこにこと嬉しそうに返事を待っていた。
青年はどさりと椅子に腰掛けると散らばった煙草を一つ取り上げながら冷めた声で言った。
「…出てけ」
「え?」
「ここから出てけっつったんだ。勝手に連れて来たのは悪かったが、俺はお前みたいなわけの分かんねぇ奴にいつまでも構ってるほど暇じゃねんだよ」
少女は目をぱちくりしながら小首を傾げた。
「でも、私にインプットをしたのはコーシでしょ?」
「は?」
「私はコーシを認証しているもの」
青年は苛立ちながら煙草に火をつけた。
「ナニゴッコか知らんが付き合ってらんねぇ。早急に帰れ。俺は機嫌が悪いんだよっ」
少女は少しも動じることなく、むしろ感慨深気に頷いた。
「やっぱり人間は基本的な愛が必要な時代なのね。でもだからこそ私のようなヒューマロイドに意義があるわ」
「ヒューマ…なんだって?」
「ヒューマロイド。ねぇ、やっぱりコーシはもういい年頃なんだから、母親の愛より恋人の愛?友愛なんてのも悪くないけど…」
「ちょっ、ちょっと待て。お前本当に何なんだ?大体そのインプットとやらをした記憶がまずない」
無意識のうちに二本目の煙草を掴んでいると、セーラはちょと眉をひそめ、しかつめらしく言った。
「コーシ、吸いすぎはダメだよ?えーと、インプットの仕方は私の頭のこの部分に三十秒以上触れ続けること。これってやっぱり故意にじゃないと出来ないでしょう?」
髪をかき分けた後頭部の一部に赤く丸い痣が見える。
コーシは再び無言になると地上でのことを思い返した。
「…。あ…」
思い当たったのは少女を洗い流している時だ。
確かに左手はその痣の辺りにずっと添えていた気がする。
コーシはげんなりとした。
「…頼むから、出てってくれ。インプットだかなんだか知らねぇけどあれは俺の意思じゃない」
セーラは目を見張ると初めて狼狽した。
「え…。じゃあ私、四ヶ月間なにすればいいのかな」
「知るか。自分ちでまったりしてろっ」
「でも、私はどこにも行く場所がないの。だって今はコーシの為に生きるのが役目だし…」
コーシは考えることを丸ごと放棄した。
さっきから宇宙人と喋っている気分だ。
「とにかくだ、俺はお前を必要なんざしていない。メインロードまで連れてってやるから後は自分でなんとかしろ」
冷たいようだがこのスラムでは事情のある女などザラにいる。
いちいち面倒をみていたらきりがないのだ。
実際、泣きながら側に置いてくれとせがまれた事は一度や二度ではきかないが、この少女はコーシが本気だと悟ると静かに立ち上がった。
「うん、分かった」
素直過ぎる返事に、逆にやや拍子抜けする。
しかもごねるどころかセーラは微笑んだ。
「そういえば、まだお礼言ってなかった。助けてくれてありがとう」
スラムでは久しく見ない陽だまりのような可憐な笑顔。
その透き通るような瞳に一瞬目が釘付けになった。
「…コーシ?」
「あ、あぁ。ほら、行くぞ」
「うん。あ、でも、私の服…」
少女は自分の姿を見下ろした。
現在セーラが身につけているのはベッドに投げ捨ててあったコーシのシャツ一枚だけだ。
何も着る物がなかったので勝手に拝借したのだが、その下には下着すら着けていない。
ミニスカートより短い丈に困る少女に、コーシは平常心をフル動員させながら背を向けた。
「お前の服はもうダメだったから捨てた。…待ってろ。サキのをもらってくる。あいつのならもうちょい丈伸びんだろ」
さっさと別の部屋に入ると適当なTシャツを掴んで戻る。
それを放って寄越すとセーラは素直に着替え始めた。
確かに今度は膝まで裾が伸びるほどTシャツは大きい。
「着替え終わったよ」
そっぽを向いていたコーシの前に回り込み、にっこりと笑う。
コーシは全く警戒心のない少女のおでこを指でつついた。
「お前さ、もう少し気をつけねぇとそんなんじゃすぐ悪いのに目つけられるぞ。後で金渡すから服ぐらい適当なの買えよ」
セーラはおでこをさすりながら、ふふと笑った。
「ありがとう。コーシは優しいね」
「あぁ?どこがっ」
セーラはくすくす笑っていたが、急に表情が消えると俯いた。
「…間違いだったのは残念だけど、恐い人にインプットされなくてよかった。コーシに拾われて、きっと私は幸運だったんだわ」
コーシはわけが分からず眉間に皺を寄せた。
何となく罪悪感がじわりと迫ったが、それを押しやるように踵を返す。
「おら、行くぞ」
「うん」
セーラは懐くようにコーシに続いて部屋を出た。
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