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地上には風化したたまま数百年間放置されてきた街跡が幾つかある。
その一角の地下で、男の絶叫が何度も響き渡っていた。
「この馬鹿野郎がっ!!ヒューマロイド一体が何億で売れると思ってやがる!!逃げましたで済むと思ってるのか!!」
「すっ、すみませ…、ぎゃああぁ!!」
切り裂く鞭の音と悲鳴の連続に、地下へ続く階段を降りていた黒ずくめの男が顔をしかめた。
「やめなよラビ。それを拷問しても彼女が戻るわけじゃないんだ」
「ふ…フラッガ!!」
鞭を手にした小太りの商人は真っ青になると勢いよく土下座した。
「すす、すまなかった!!あんたの大事な商品が…、いやだが、まさか勝手に逃げ出すなんて!!」
「あれはカプセルから出さなければ決して動く事は出来ないはずなんだが」
商人は忌々しそうに立つと血まみれの男の顎を掴み上げた。
「見張りを任せていたこの下衆のせいだ。あの見てくれに我慢できずにヒューマロイドを動かしやがった!!」
「…なるほど」
フラッガは銃を取り出すと拷問を受けていた男に向けた。
「ひとつだけ聞きたい。お前は僕のヒューマロイドに刷り込みをしたかい?」
「ひっ…!!」
「素直に答えたらすぐに解放してあげよう。インプットをしたのか」
「しっ…、していない!!あれは動き出したと同時にすぐに逃げ出し…」
耳を劈く銃声が響く。
脳天に穴の空いた男は声もなく床に沈んだ。
「結構。ということは彼女がここに戻ってくる可能性はゼロだね。真っ新のまま彷徨っていればいいが…、他の誰かにインプットされているのが一番厄介だな」
商人は引き攣った顔でフラッガの銃を凝視した。
「あ、あんた…、そんな物まだ使ってんのか」
「ん?ああ、平気ですよ。裏ルートにはね、決して暴発しない弾というのがあるのだよ。そんな事よりラビ、君はこの落とし前をどうつけてくれるのかな」
「ま、待ってくれ!!今この辺りの地上を隈なく探させているところだ!!」
「地上を?」
フラッガは拳銃を懐にしまうとふむと考え込んだ。
「…もしかしてシェルターに紛れ込んだのかもしれない」
「いや、だが一番近いゲートは確か封鎖されているはずだ!!」
「逃げ出したのは三日も前なのだろう?地上にいたのならそろそろどこかで行き倒れた、もしくは死体の彼女が見つかってもおかしくない」
そんな状態で見つかったらと思うと、ラビの背に冷たい汗が流れた。
フラッガはコートのポケットに手を入れるとにっこり笑った。
「この事は取り引き先にはまだ知られていないのでしょう?幸いにも今は向こうの都合で取り引き自体が延期になった。今の内にシェルター内を探しましょう。勿論犬を雇う為の大金は貴方がばら撒いてくれるでしょうね」
「か、簡単に言うが、シェルターがどれだけ広いか分かってるのか!?」
「全てをしらみつぶしに探すわけじゃない。余所者が流れ着く先なんてのは大体決まってくる」
フラッガは酷薄な目を光らせると断言した。
「スラム街だ」
————
先にコーシを連れてサキの家へ帰ったM-Aは、相変わらずいつ来てもびしりと片付いてる部屋に呆れ返っていた。
「しかしどの女の部屋よりも綺麗やな。サキに加えお前ももれなく潔癖気味やからなぁ」
コーシは煙草に火を付けると古いソファにどさりと腰掛けた。
「こんなスラムで潔癖もクソもあるかっ。気に入らない物をそばに置かないだけだ」
「で、カナンに滅茶苦茶にされたもんって何やねん」
コーシは途端に不機嫌になった。
「…設計データ一式とパソコン本体全部」
「全部ぽしゃったんか。バックアップは?」
「一応調べたけど復元は不可。チップに移してたデータももう役に立たなかったから今朝海に捨ててきた」
M-Aは煙草を取り出しながら眉を寄せた。
「なんでカナンをここへ入れたんや」
「だから、何度も言うけどあいつが勝手に侵入したんだよ」
「じゃあ何でお前が相手したんや。カナンが執着してたんはサキやろ?」
「…別にどうでもいいだろ、そんな事」
ここまで詰めても躱すコーシにM-Aは肩をすくめた。
こうなっては貝よりも口を割らせるのは困難だろう。
諦めて話題を切り上げると、棚に置いてあるエンジニア専門雑誌を手に取った。
「こんなん目指すんは、もう潮時って事ちゃうか?お前も身にしみたやろ?俺らはスラム出身ってだけで弾かれる。それが現実や」
どれだけ優秀な設計図を送ろうとも、カヲルが一般市街から持って帰るのは不採用の通知の山だけだ。
コーシはM-Aから雑誌を引ったくり、テーブルに蹴りを入れると自室へ引っ込んだ。
「…ふっ、若いのぉ」
喉で笑うと蹴り飛ばされたテーブルを元に戻し、代わりにソファへ腰掛け煙草をふかす。
そのまま軽く仮眠をとっていると、カヲルとセーラが戻ってきた。
「よぅ、戻ったか」
「とりあえず最低限の物だけ買ってきた。コーシは?」
テーブルのそばに荷物を置くと灰皿に積み上げられていた灰が崩れ落ちる。
M-Aは大きなあくびをすると太い親指で奥の部屋を指した。
「…寝てるの?」
セーラが控えめに聞いた。
「知らん。またパソコンの立て直しでもしてんちゃうか。ま、今行くんはやめとき。ああいう時に下手に近付くと噛みつかれるで」
セーラは少し迷いを見せたが、ひとつ礼をしてコーシの部屋へ向かった。
しばらく耳を傾けていたが、予想に反して怒鳴り散らす声も追い出されてくる気配もない。
「…あのお嬢ちゃん、やるやないの」
カヲルは呑気なM-Aのでかい足を軽く蹴った。
「M-A、分かってるか?無害に見えてもセーラはヒューマロイドだ。サキが戻るまで保護する事には賛成だが、あまり深入りさせない方がいい。どんなに親しくなっても付き合いはどうせ…四ヶ月だ」
セーラの笑顔がちらつき、アメジストの瞳を伏せる。
M-Aは空になった煙草の箱を放り投げると、左胸ポケットから新しいのを掴み出した。
「俺は悪くないと思うで」
「…」
「今のコーシに必要なんはセーラみたいなお嬢ちゃんなんかもしれん。あいつも本気になるものがあれば抜け殻みたいな今を打ち壊せるやろ」
くゆる煙を見つめながら、M-Aは陰りのある笑みを浮かべていた。
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