つちのこ

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つちのこ

あやかし山。  標高三百メートル弱、全長五キロ、幅三キロほどの小さな山だ。  正式名称は「綾樫妙見山」というが、みんな面倒くさいのか、「あやかし山」と呼んでいる。  なお、「山」は「さん」ではなく、「やま」、つまり「あやかしやま」だ。  俺達が通っている私立綾樫高校から自転車で二十分ほど走ると、この山の入り口である綾樫神社に辿り付く。  そこから山頂までは、遊歩道をさらに一時間ほど歩く必要がある。  今、俺――伊達翔太、二年生――と、同級生で幼なじみの女の子、小城優衣の二人で、この山の中腹、雑木林の中にいた。  五月下旬。まだ梅雨入り前で青空が広がり、朝十時だというのに、長袖のアウトドアスタイルでは少し暑いぐらいだ。  俺達が今居る場所は、遊歩道からは五十メートル程離れていて、普段人が踏み入れる事はない。シイやブナなどの常緑樹が生い茂り、遊歩道からこちら側は見えない。二人だけの秘密のポイントだった。  木漏れ日が心地よく降り注ぎ、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてくる。  自然に囲まれた、ちょっとした癒しの空間。  けれど、ここで執り行われていたのは、ある怪しげな儀式だった。 「……うん、これで仕掛けは完璧。後はおびき寄せるためのエサね」  彼女が今まで一生懸命に設置していたのは、簡単に言えば金属製のカゴ型ネズミ取り。かなりの大きさで、ネコでも捕まえられそうな代物だ。  優衣は、足元に置いてあるリュックから半透明のビニール袋を取り出した。  そしてその中に入っている物を見て唖然とした。  人間の髪の毛。  黒いのも、茶色いのも、金髪や白髪まである。 「そんなもの、どうやって手に入れたんだ?」 「これ? いいでしょ。友達のお姉さんが美容院に勤めているんだけど、そこで出た物をもらったの」  何が「いいでしょ」なのか分からないけど、まあ、違法に入手した物ではなさそうだ。 「何に使うんだ? ツチノコの餌か?」 「うん。これをスルメと一緒に燻すと、ツチノコが寄ってくるんだって」 「おまえ……まさか、それ本気で信じてるのか?」 「まあ、可能性は低いわね。けど、万が一ってことがあるかもしれないでしょ? それに、今回の目的はあくまで冒険映画を撮ること。だから、こうやって本気で、本格的にツチノコ捕獲作戦を実行しているところ、カメラに収めるのよ」  目をきらきらと輝かせ、奇妙な事を口走る不思議系少女、それが優衣だ。  昔からこういうオカルトめいた事に興味を持っていた彼女だが、先週のテレビでUMA、いわゆる「未確認動物」を追いかける特番を見て以来、「自分もああいう感動と興奮、手に汗握る大迫力の冒険映画を作って、秋の文化祭で発表する!」と言い出したのだ。  また、その先では、「全国高校映画コンクール」での優勝を目論んでいるという。  本気でそんな格調高いコンテストに、ツチノコを題材にした作品を出すつもりなのだろうか。 「で、今回作る文化祭用の映画って、シリアス路線? ギャグ路線?」 「ギャグって何よ、ギャグって! 真剣にやるんだから、シリアス路線に決まっているでしょう? まあ、結果として笑いを取ってしまうことがあるかもしれないけど」  なるほど、この辺りの計算は、彼女もきちんと出来ている。  この前のテレビ番組でも、取材班が謎の黒づくめ集団に尾行されたり、サンプルとして見せてもらうはずだったUMAの足首から先が、研究所から二日前に盗まれていたりと、「そんなわけねーだろ!w」っていうような演出が多々あった。  まあ、それはテレビ局も半分ウケを狙っていたのだろう。純粋な子供達は信じるかもしれないけど。  また、なぜ今時ツチノコなのかというと、一応それなりの理由がある。  そもそもツチノコとは、何百年も前からその存在が伝えられているものの、未だに生息が確認されたことのない幻の生物だ。  その姿は太短いヘビ、といった感じのちょっとユーモラスなもので、生態に関する数々の奇妙な言い伝えや、「ツチノコ」っていう名前の印象的な響きもあってか、日本では割とポピュラーなUMAだ。  そしてこのあやかし山、古い昔話の時代から、いわゆる「物の怪」が集まる場所としていくつも伝承が残っているのだが、その一つがツチノコ棲息説なのだ。  ちなみに、「綾樫(あやかし)」という街の名前も、もともとは「妖(あやかし)」が多い地方という意味で使われていた地名を、市町村合併のときに当たり障りのないように表記を変更しただけだ。  で、十年ほど前だが、「あやかし山でツチノコを見た!」っていう者が複数現れ、連日全国からオカルトファンが集まる一大ブームが起こったのだ。  その当時、ツチノコには自治体によって一千万円もの懸賞金が懸けられており、マスコミがおもしろおかしく報道した事も大いに影響した。  俺たちは小学校低学年だったので本当にツチノコがいるものだと信じて、かなり興奮していたのを覚えている。ただ、二ヶ月後には沈静化し、まったく忘れられていた。  そんな過去もあって、優衣はとりあえず身近な題材として「ツチノコ」を選んだのだ。  本心ではもっとハデに「吸血チュパカプラ」かなんか、人を襲うようなUMAにしたかったらしいけど、さすがに近所でそんなものが出現する映画を作ったらうそっぽくなりすぎる。  ツチノコは妥当なところなんだろうけど、無理矢理映画制作に付き合わされる俺の身にもなって欲しい。 「そうそう、私のも入れるから、ちゃんと撮っててね」  優衣のその発言の意味が分からなかったが、とりあえず言われた通りビデオカメラで彼女を撮り続ける。  すると、優衣はリュックから文房具のハサミを取り出し、肩まである自分の黒髪の一部、十本ほどをつまみ出し、指四本を器用に使って、先端一センチほどを切り取った。  俺はさすがに(あっ!)と思ったが、撮影中なので声を出さない。  あんまり認めるのも癪だけど、優衣は俺の目にもかなり整った顔立ちで、黒髪であることもあって「清純でちょっと古風な癒し系の美少女」に見えてしまう。  そんな女の子が自分の髪の毛を、少しとはいえ自分で切るシーンを、しかもアップでなどそうそう見えるものではない。  男から見れば、ちょっと「萌え」てしまうかもしれない。  優衣はそれを、狙ってやっているんだろうか。 「で、この髪の毛を混ぜ合わせて燻して終わり、ね」 「どうやって燻すんだ? ライターなんか使ったら山火事になりかねないぞ?」 「うん、だから、ちょっと煙が出るぐらいでいいかなって思って」  彼女は、腰に吊した蚊取り線香を取り出した。  そしてまず、その赤くなって煙が出ている先端をスルメに押し当てる。  なるほど、なんで今時虫除けに蚊取り線香なんか持ってきたのかと思ったけど、そういうふうに使う為だったのか。  ほどなく、辺りに香ばしい匂いが漂ってきた。 「……おいしそう」  と優衣が呟く。まあ、確かに。  次に、混ぜ合わせた人間の髪の毛に蚊取り線香の先端を押し当てる。  今度は何とも言えない、明らかに異臭が放たれた。 「……まずそう」 「おいおい、食うつもりなのか?」 「ううん、もちろん私は食べないけど、ほんとにツチノコ、こんなの好物なのかなって思って」  なるほど、それは確かに疑問だ。っていうか、もうツチノコが存在することが前提になってるし。 「よし、準備完了!」  元気よく立ち上がる優衣。やれやれ、やっと解放されるか。 「このまま放って置いて、午後にもう一回見に来るわよ」  げっ。今日一日がかりで撮影するつもりだ。 「そんなの、五分ぐらいでもう一度撮影に来ればいいのに」 「だめよ、ある程度リアリティ出さないと。それに、本当にツチノコがかかるかもしれないじゃない」 「あのなあ……」 「なによ、なによ! バカにした目で見て! まあ、ツチノコは無理でも、タヌキとか、ハクビシンとか、ヤマネコとか、かかるかもしれないでしょ。野犬だと困るけど」 「そんなの簡単にかかるわけないだろ。それならせめて生肉とか入れて一晩おかないと」 「……それも、そっか」  ああ、しまった。そんな事言ったら、明日の日曜日まで潰れてしまう。 「でも、明日は撮れた映像の編集しないといけないし。ま、どのみち初日は空振りってシナリオも有りよ。やっぱり昼からにしよ。ちょっとおなかが空いてきたし」  ほっとしながら時計を見ると、もう十一時を過ぎていた。これから山を下りて、自転車で街に戻ったら、ちょうど昼頃になりそうだ。 「おいしいお好み焼き屋さん、知ってるの。そこでご飯食べよ!」  一仕事終えてご機嫌の優衣。その笑顔は、悔しいけどすごくかわいい。  ま、こうやって一緒に一日過ごせるのなら、俺としてもちょっと嬉しいんだけどね。  残念なのは、それが「ただの仲のいい幼なじみ」の関係でしかないっていうこと。それ以上を望むと、逆に今の関係が壊れてしまいそうで、ちょっと怖い。  優衣がもう少し普通の女の子なら良かったんだけど、頭がいいのに不思議系で、天然だから、何を考えているのかつかめない時がある。特に、俺の事をどう思っているのかについては、まったくもって分からない。  現在のところ他に彼氏を作りたがっているわけでもないようだし、まあ、今のままでいいかと考えている。  そして彼女の案内で、そのお好み焼き屋に行ってみた。
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