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齋藤絢子(さいとうあやこ)、25歳。
平凡な会社員。
いや、平均よりは少し稼いでいる会社員。
趣味は仕事、特技は努力。
そして、今日こそ彼氏と別れたい。
私はスマホのアラームを止めて、眠い目を擦りながらリビングに向かう。
「おはよう絢子ちゃん、珈琲入れたけど飲む?」
出たな、私の別れたい彼氏。
何でもそつなくこなす男。私の仕事から帰る頃には、料理も掃除も洗濯もサラッとと終わらせている。そういう所が何か負けた気がするから嫌いだ。
「…飲む」
「りょーかい」
またそういう顔で笑うのか。相変わらず甘いマスクをしてやがる。この顔もまた気に入らない。
タプタプとお湯を注ぐ音と共に珈琲のいい匂いが広がる。この匂いはこいつと違ってずっと好きだった。
「お待たせー」
ほらまた美味しそうな珈琲を入れてきた。加えてオシャレな朝食付き。ムカつく。
私は家事とか全然出来ない男が好きなの。
そんなことを思いながら、珈琲を口にする。
正直、こいつの入れる珈琲が1番美味しいことは間違いなかった。
「ん、これもしかしていつもより砂糖多い?」
「あ、気付いた?絢子ちゃん最近プレゼンの準備で疲れてるでしょ。だから糖分多めにした」
何だかんだで私の事まで把握してる。自分も仕事してるくせに。
「何か、ありがとう」
「いいえー」
私、こいつのこういう所が好きなんだっけ。細かい私の変化に気付いてくれる所。
多めに入った砂糖が私に沁みていくのが分かった。優しい味が無駄に沁みる。
「ごちそうさま。美味しかった」
「良かった」
何でこいつは私を好きなんだろう。ガサツで負けず嫌いで可愛くない私を。
「絢子ちゃん、前髪切ったね。似合ってるよ」
完全に切り過ぎた前髪に対する後悔が少しだけ薄れる。不思議なやつだ。
「いやこれは切り過ぎだよ」
「ううん、かわいい」
何でそんなに褒めてくれるの?全然似合ってないのに。大丈夫、こういう言葉で勘違いする私じゃないから。
こいつと話した朝は、時間がゆっくり流れている気がする。でも実際はいつも通り時間が進んでいるわけで。出社時間は刻一刻と迫っていた。
私は手早く身支度を済ませて、最後に髪を軽くくくった。よし、我ながら今日も男前だ。
「じゃあ、いってきます」
「いってきますのハグは?」
こいつはこんなにイタズラっぽい顔も出来たのか。
「いや、時間無いし」
「一瞬じゃん、ほら」
あー、もうしょうがない。そう思いながら私はこいつに抱きつく。本当に一瞬だけだった。それなのにこいつは嬉しそうな顔をしてやがる。
「もう行くから!」
「今日は何時頃に帰れそう?」
何だかんだでいつも私の帰りを待っててくれるこいつ。先に寝てていいって私は何回言っただろう。
「分からない。でも、できる限り早く帰る」
「やった」
あれ、私はこいつが好きなのかもしれない。今鎖骨がキュンとした気がする。あくまで気がするだけだけど。
「じゃあ、本当にいってきます」
「あ、これお弁当。今日は絢子ちゃんが好きなハンバーグ入れといた」
前言撤回。
さっきのは完全に勘違いだ。
私は明日こそ彼氏と別れたい。
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