今日こそ彼氏と別れたい

1/1
前へ
/1ページ
次へ
齋藤絢子(さいとうあやこ)、25歳。 平凡な会社員。 いや、平均よりは少し稼いでいる会社員。 趣味は仕事、特技は努力。 そして、今日こそ彼氏と別れたい。 私はスマホのアラームを止めて、眠い目を擦りながらリビングに向かう。 「おはよう絢子ちゃん、珈琲入れたけど飲む?」 出たな、私の別れたい彼氏。 何でもそつなくこなす男。私の仕事から帰る頃には、料理も掃除も洗濯もサラッとと終わらせている。そういう所が何か負けた気がするから嫌いだ。 「…飲む」 「りょーかい」 またそういう顔で笑うのか。相変わらず甘いマスクをしてやがる。この顔もまた気に入らない。 タプタプとお湯を注ぐ音と共に珈琲のいい匂いが広がる。この匂いはこいつと違ってずっと好きだった。 「お待たせー」 ほらまた美味しそうな珈琲を入れてきた。加えてオシャレな朝食付き。ムカつく。 私は家事とか全然出来ない男が好きなの。 そんなことを思いながら、珈琲を口にする。 正直、こいつの入れる珈琲が1番美味しいことは間違いなかった。 「ん、これもしかしていつもより砂糖多い?」 「あ、気付いた?絢子ちゃん最近プレゼンの準備で疲れてるでしょ。だから糖分多めにした」 何だかんだで私の事まで把握してる。自分も仕事してるくせに。 「何か、ありがとう」 「いいえー」 私、こいつのこういう所が好きなんだっけ。細かい私の変化に気付いてくれる所。 多めに入った砂糖が私に沁みていくのが分かった。優しい味が無駄に沁みる。 「ごちそうさま。美味しかった」 「良かった」 何でこいつは私を好きなんだろう。ガサツで負けず嫌いで可愛くない私を。 「絢子ちゃん、前髪切ったね。似合ってるよ」 完全に切り過ぎた前髪に対する後悔が少しだけ薄れる。不思議なやつだ。 「いやこれは切り過ぎだよ」 「ううん、かわいい」 何でそんなに褒めてくれるの?全然似合ってないのに。大丈夫、こういう言葉で勘違いする私じゃないから。 こいつと話した朝は、時間がゆっくり流れている気がする。でも実際はいつも通り時間が進んでいるわけで。出社時間は刻一刻と迫っていた。 私は手早く身支度を済ませて、最後に髪を軽くくくった。よし、我ながら今日も男前だ。 「じゃあ、いってきます」 「いってきますのハグは?」 こいつはこんなにイタズラっぽい顔も出来たのか。 「いや、時間無いし」 「一瞬じゃん、ほら」 あー、もうしょうがない。そう思いながら私はこいつに抱きつく。本当に一瞬だけだった。それなのにこいつは嬉しそうな顔をしてやがる。 「もう行くから!」 「今日は何時頃に帰れそう?」 何だかんだでいつも私の帰りを待っててくれるこいつ。先に寝てていいって私は何回言っただろう。 「分からない。でも、できる限り早く帰る」 「やった」 あれ、私はこいつが好きなのかもしれない。今鎖骨がキュンとした気がする。あくまで気がするだけだけど。 「じゃあ、本当にいってきます」 「あ、これお弁当。今日は絢子ちゃんが好きなハンバーグ入れといた」 前言撤回。 さっきのは完全に勘違いだ。 私は明日こそ彼氏と別れたい。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加