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100の言ノ葉を、 君に。
深夜2時過ぎ。
夜の街は寝静まり、人も車も通ってはいない。街路灯の光で路に映し出される影は2人分。俺と、俺の前を歩くふみの影だ。
2人分の靴音と、ふみのぐずぐずと鼻をすする音が静かに響く。
「ふみ、もう帰ろう」
何度目かわからない提案を口にする。でも、きっと答えは一緒だろう。
「だから、帰っていいっていってるじゃん。放っておいてよ」
振り返ったふみの目は真っ赤で、俺に突っ掛かってくるふみの姿を見るのはツライ。小さな体が痛々しく悲鳴を上げているように見える。
ぎゅっと、抱きしめてあげたい。でも、今の俺にそんな権利はない。
「放っておけるわけない、こんなところに1人おいて行くなんて無理だろ」
だから一緒に帰ろう。俺は懲りずにふみを諭す。だけど、ふみは頑なに首を横に振るだけだ。そしてまた嗚咽を漏らす。
✳︎
今日、俺はふみの買い物に付き合っていた。
ふみには付き合って1年くらいの彼氏がいる。丁度このくらいの時期に『彼氏ができた』と嬉しそうに報告しに来たからよく覚えている。
その彼氏との記念プレゼント選びを手伝って欲しいと頼まれ一緒に買い物に来ていた。
——俺とふみは幼馴染だ。小さい頃からずっと一緒にいて、それこそ兄妹みたいに育ってきた。
俺はふみが好きだった、それこそ小さい頃からずっと。でも、関係はずっと『幼馴染』のままだ。
買い物も終わり、嬉しそうに歩くふみを複雑な心境で見ていた。素直に喜んでやれない俺自身が嫌になる。
そんな時、ふみが急に立ち止まった。
「どうした?」
声をかけても何も反応しない。ふみが急に走り出したので俺も慌てて後を追いかけた。人混みをかき分け、ふみの姿を見失いながらも追いついた時だった。
「ああ、なんだ。お前も男連れじゃん」
その言葉が俺に、ふみに向けられているものだと気づいた。それと同時にバチンッという音が響く。ふみが目の前の男の頬を叩いていた。
そう、その男は紛れもなくふみの彼氏だ。そしてその隣には女の子が1人いた。腕を組みながら、佇んでいる。
「あんたみたいなサイテー男と哲を一緒にしないで!!」
ふみは両の手をぎゅっと握りしめ、キッと彼氏を睨みつけている。
「イッテ……お前何様だよ、いちいちうるせえ女だな」
叩かれた頬を擦りながら、ふみを見下す男に、もう一発叩こうとしているふみを慌てて俺は止めた。
「ふみ、もうやめろ」
「でもっ!! だって……」
悔しそうに唇を噛みしめる。それ以上やっても、ふみ自身が傷つくだけだ。ふるふると震えるふみの身体は、怒りからくるものなのか、それとも悔しさからなのか。
ただ言えることは、これ以上ふみを傷つけさせてくない。
「——ふみ。行こう」
男をちらりと盗み見ると、面倒臭そうにこちらを眺めているだけだ。女も女で馬鹿にした様な視線を向けている。
ふみが殴ってなければ、俺が殴り飛ばしてるところだった。ぐっと耐えたふみは握りしめていた手を解いた。そして男を一瞥して、買ったばかりのプレゼントを投げつけた。
「……じゃあね」
ふみは去り際に一言、彼氏だった男に別れを告げた。
✳︎
あれから数時間、ふみは泣き続けている。本当にふみはあの男が好きだった。だから余計にあの男のことを思って泣く姿を見るのがとてもツライ。
あんなの男のために泣き続けるふみを、その涙を、なんとかしたい——。
「俺じゃ、ダメ?」
自然と口をついて出てきた言葉は、俺自身も止められなかった。ふみは立ち止まり、まだ零れ続ける涙を止めようとはしないで振り返った。
「こんな時によく言えるね」
貶すわけでもなく、呆れるわけでもなく、ふみはただ純粋に俺に訊ねている。
「こんな時だから、かもしれないな」
俺は少し笑いながら、答えた。
「だから、俺にしない?」
しばしの沈黙のあと、ふみは大きく息を吐いた。どうやら涙は止まったようで、目元を袖で押さえている。
「……哲は兄弟。それも弟ね」
だからそんな対象には見れないかなあ、と道端の石を転がしながら答える。気付けば、近所の河原まで歩いてきてしまった。
ふみはそこで黙り、俺の方を振り返った。涙の止まったふみの瞳は潤み、目元は腫れていた。
「ただ、哲が本気ならね、1つやって欲しいことがあるんだ」
こちらに歩いてくるふみ。俺の目の前まで来て立ち止まった。
「毎日1通、わたしに手紙を書いてほしいの。それが100日続いたら、哲のこと考えてあげる」
出来る? と聞いているように首を傾げている。
どうして手紙なのかとか、どうして100日なのかとか、正直よくわからないけれど、ふみがそう言ったならそれだけのことだ。
「毎日だよね?」
「そう、毎日」
「それだけで、俺のこと考えてくれるのか」
多分『それだけ』という言葉に驚いたんだろう。ふみは少し目を見開いた。そして俺は一歩、ふみとの距離を縮める。
「なあ、ふみ。言葉はたくさんあるんだ、もちろん『愛のコトバ』もあるんだよ」
だから。毎日楽しみにしてろよ。俺は腫れぼったいふみの目を優しく拭いてやった。
✳︎
「おはよう、哲」
日曜の午前中、俺はふみが鳴らすインターホンで目を覚ました。スウェット姿にボサボサ髪を見て、今まで寝ていたのが目に見えたんだろう。呆れ口調で挨拶された。
「えー……と、どうした?」
まだ完全に起きていない頭を働かせてみる。どうしてふみがうちに来たんだ?
「哲にさ、渡したいものがあって」
ふみはごそごそとカバンの中を漁っている。
「本当にね、絶対にないと思ってたの」
ふみはまだカバンから何かを探している。「あれ、どこだ……」と1人喋っている。
俺はふと今日の日付を思い出した。そうだ、今日は——。
「でもね、哲、本当にするんだもん。毎日毎日、丁寧に便箋も変えて手作りの切手なんかも作っちゃって」
あ、あった。小さく聞こえるふみの声。ふみは顔をあげると、少し悔しそうに、嬉しそうに、そして照れくさそうに笑った。
「哲には負けた」
ふみの手には封筒が握られていて、そこには綺麗な字で俺の名前が書かれていた。
「返事、書いちゃった。読んでもらえますか」
俺は差し出された手紙ごとふみの手を握り締めた。絶対に離さない、そんな意思を持って。そして自分の方にふみを抱き寄せた。
腕の中に収まるふみの温もりと、感触を噛み締めていた。
ふみからの手紙が、丁度100通目の手紙。
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