見間違い

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そのまま手を離すと、その人は何事もなかったように踵を返して去っていった。本当に、何事もなかったかのように。 取り残された僕は、ガタガタ震えながらその場から動けずにいた。暫くして戻ってきた友達が僕のあられもない姿と尋常じゃない震え方に気づいて、真っ青な顔をしてコーチを呼びにいくまでの間、ただ目を見開いて固まっていた。無意識のうちに、頬を涙が伝っていた。 鬼の形相で駆けつけたコーチ達に事の次第を聞かれ、ありのまま正直にあったことを伝えたら、憤怒の顔をしたコーチがどこかに走り去り、その後緊急放送が流れた。 今なら何を言われたのかも、何が起こったのかも分かるけれど、純粋な子供だった当時の僕には、自分がとんでもなく卑猥な言葉を投げ掛けられたことすら分からなかった。 そして、それを馬鹿正直にコーチに言ってしまったことは、今思い返しても顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。 競技場に不審者が出たことで表彰式は急遽中止、解散となり、僕は家までコーチに付き添われて帰った。 そして、その後しばらく僕は単独行動禁止になった。僕の周りには常に数人の友達がボディーガードのように付き添うようになった。 でも、何より僕の心を刺したのは、その人の「男かよ」という一言だった。
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