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「その、俺でよかったらいつでも話きくから。これ、俺の番号。うちの馬鹿兄貴が本当にごめん。俺も面白がっててごめん。杏奈ちゃんが気に入ってたっていうのは嘘じゃない」
やけに真剣なトーンで話すもんだから、ああ彼は実は根は真面目なんだと知った。浮気現場を目撃した妻を気遣ってくれている。やや良心が痛んだ。
樹くんが渡してくれた名刺を受け取り微笑む。
「ありがとう、ごめんね」
彼は悲しげに眉を下げて後退した。タクシーの扉が閉まる。
私はまっすぐ前を向き、運転手さんに目的地を告げた。タクシーはすぐに発車し樹くんから離れる。私は彼を振り返ることもせず、ただ呆然としながらタクシーに揺られていた。
「私には、好きな人がいます」
巧が私に契約を持ちかけた時、彼は堂々とそう言っていた。本当は他に結婚したい人がいるけれど断られ続け、形だけの結婚相手を探していると。
私にとっても好都合だと思った。両親は結婚結婚てうるさいし、ばあちゃんも闘病中だったし、オーウェンの趣味を辞めなくて済むし。
実際この結婚をしてもよかったと思っている。巧との生活は不思議と気をつかわないし、ばあちゃんを喜ばせることもできた。たった一つ誤算があったけど。
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