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2「さすが元ヤン」
今は担任を持っていないキバルだったが、それでも生徒達からの評判は頗る悪くない――と自分では思っている。体育教師は厳しい、体育教師は運動音痴の気持ちをわかってくれない――そういうイメージを払拭するため、これでも努力してきた経緯はあるのだ。特にキバルの場合、見た目が怖くて普通に話していても声が大きい自覚があるので、気を付けないとすぐ恫喝しているような印象を与えてしまいかねないのである。
体育教師になる人間は、みんな子供の時から運動神経が良かったと思うかもしれないが、実はそんなこともない。今でこそ体も大きくて屈強なキバルだが、小学生の頃はヒョロヒョロのチビだったのである。いじめっ子に殴られても、仕返しもできずに泣いて帰るような人間だった。それが悔しくて悔しくて体を鍛え、中学以降は運動部に入って身体能力を磨き今に至るのである。だからこれでも、“できないやつ”の気持ちは少なからずわかっているつもりなのだ。
頑張れば人間なんでもできる、なんていうのは幻想である。
否、無限に時間があって、鋼のメンタルが備わっていれば誰もが“いつかは”できるようになるかもしれないが。実際は、時間も有限だし人間の心はそれほどまでに強くない。何十、何百、何千、何万と失敗を繰り返してなお挑めるほど強い人間など殆どいないものである。そして、頑張る、の尺度も人それぞれ違う。それこそ朝七時に起きて夜十時に寝る、といった規則正しい生活をほとんど努力せずこなせる人間と、毎晩眠れないほど緊張していなければこなせない人間の両方が存在するのである。それを、同じ“頑張ればできる”で図るのは無茶がすぎるだろう。運動も勉強も、それは変わらないのだ。
――みんなに等しく可能性はある。でも、十をこなすのに十の努力でいい奴と、一の努力できる奴と、百の努力があっても足らない奴を同じにしちゃいけねぇんだよな。
担任を持っていない代わり、というわけではないが。キバルと特定の生徒達が強く結びつける場所の一つが、この放課後の部活動である。キバルはサッカー部の顧問だった。まあ、担任を持っていない教師が当たるのは妥当と言えば妥当なのだろう。彼らは放課後も大量の仕事を抱えてうんうん唸っているのが珍しくないのだから。
これでも自分には中学から大学まで、サッカー部に所属していたくらいの経験がある。生徒達に全く教えられない競技ではないのだから、そういう意味でも適任と言えば適任だ。
季節は、春。
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