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古今東西、年頃の男女が気まずいと思うシチュエーションは、ダントツで恋人とイチャイチャしているところを親に見られることだろう。
それは時代が変われど、世界が変われど、共通のそれ。
サーシャも例に漏れず、冷や汗をかいた。まだ病み上がりどころか、三途の川から帰還したばかりで体力などこれっぽちもないのに、渾身の力でアズレイトから離れようとする。
けれど、そんなふうにアタフタとしているのはサーシャだけだった。
「母上、入室するタイミングが早過ぎます。空気を読んで下さい」
「これはすまなかったな。まぁ気にせず続けよ」
「もちろん、そうさせていただきます」
首だけ捻ってエカテリーナの方を向いていたアズレイトは、きっぱり言い切ると再びサーシャに視線を戻す。
どうやらこのお方は、本気でさっきの続きを続行するようだ。
「ちょっと待った!!」
サーシャは悲鳴に近い声を上げた。
だが、アズレイトからはムッとした視線を向けられるし、エカテリーナからは「おぼこいな」と呆れ交じりのコメントを頂戴する羽目になった。
この親子、馬鹿じゃないの?!
サーシャは心の中で叫んだ。
声に出したかもしれないが、どっちだって良い。多分、100人がこのやり取りを見たら、間違いなくサーシャに同意してくれるだろうと確信を持っているから。
なのにアズレイトは、サーシャの身体から離れることは無い。なぜかもっと体重を掛けてくる。控えめに言って重い。
そんなに強く拘束しなくっても、逃げれるわけがないのに。もはやこれは嫌がらせの領域だ。
サーシャの眉間に皺が寄る。動けないのは承知で、渾身の力でもがいてみる。だがアズレイトは、ピクリともしない。
ただそれは、動かないのではなくて……。
「へ?ね、寝てる?!」
シーツが擦れる音で気付くのが遅れたが、微かに寝息が聞こえてきたのだ。その音を辿れば、サーシャの身体に突っ伏しているアズレイトのところへと到着した。
「……嘘でしょ」
ついさっき寝起きの自分を質問攻めにして、弱気な発言をして、そんでもって気持ちを確かめ合ったというのに。
なのに、このタイミングで寝るとは、一体どういうことなのだろうか。
サーシャはアズレイトの全てがわからなくなってしまった。呆れとか怒りとかそんな感情を飛び越えて、思考が樹海を彷徨ってしまう。
ただあまりに気持ちよさそうに寝ている彼を叩き起こす非道な真似などできるはずもない。
サーシャはアズレイトにのしかかられた状態で、途方に暮れてしまった。頭の隅で、エカテリーナには、彼が眠ってしまったことは伝えねばならないとだけ考える。
でもそれを伝える前に、エカテリーナはつかつかと寝台へと歩みよった。次いで、慣れた手つきでサーシャから掛布を剥ぎ取ると、すぐにアズレイトごとふわりと包み込んだ。
「こやつめ、やっと寝たか」
そう言いながらアズレイトの髪を撫でる仕草は、自分の母親によく似ていた。
サーシャはその光景をぼんやりと眺める。そうすれば、その手は今度はサーシャの元へと移動した。
「サーシャ、腹は減ってはおらぬか?」
「……いいえ。全然」
「そうか。なら、もう少しこのまま寝ておれ。次に目覚めた時には、消化が良く栄養のあるものを運ばせよう」
「え゛……このままって……」
異性と同じ寝台で寝るなど、サーシャにとってはかなりハードルが高く、易々と頷けるわけがない。
なのに、エカテリーナはさっさと寝ろと言わんばかりにサーシャの目を覆ってしまった。
「アズは、ずっと眠ることができなかったのじゃ。強い睡眠薬を盛っても、気合で目を閉じることはせぬ。背後から殴って気絶させようにも、無駄に鍛えておるせいで一撃も喰らわせることができず、皆途方にくれておったのじゃ」
「……うわぁー」
「とはいえ、ずっと寝ずにいることなど不可能だからな、さすがに限界が来て気を失うことはあれど、目覚めれば早々にふらつきながらここへ来る。いっそ寝台をもう一つ用意しようかと、ついさっきまで医師と話をしておったのじゃ。まぁ、手間が省けて良かった、良かった」
「いや、今すぐ寝台を運んできてください」
サーシャは無理を承知で懇願した。
もちろん鼻で笑って、聞き入れてもらえることはなかったけれど。
「安心しろサーシャ。同じ寝台で眠ることになっても、さすがにこんな状態のお主を抱くことはせぬだろう。……多分。うん、おそらく。そうあって欲しいがとわらわは祈っておる」
うっわぁー。説得力ないし。
瞼を手で覆われているサーシャは、意識して口元を引きつらせてみせた。だが、これもエカテリーナに無視されてしまった。
「さ、与太話はこれくらいにしておこう。おぬしも寝ろ」
「……」
サーシャは、意地でも頷かなかった。
けれど、エカテリーナが部屋を出た後すぐ───清潔に整えられた王宮の処置室では、穏やかな二つの寝息が重なった。
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