追放された聖女と元種馬王子のその後

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 一年半という長い間眠りについていたサーシャはすぐに生まれ故郷に戻ることはできず、2つの季節を王宮で過ごす羽目になった。  その間、様々なことがあった。  アズレイトはこれまでずっと仕えてくれていた家臣達の任を解いたのだ。サーシャと共に生きていく為に。  そのことに異議をとなえる家臣は一人もいなかった。  そして、ある者は王宮騎士として別の王族に仕える道を選んだ。またある者は、にわとり好きが高じて養鶏場の婿養子となった。他にも、王宮内で薬師......もっぱら毛はえ薬の研究を選ぶ者や、故郷に戻り家業を継ぐ者もいた。  とにかく、皆、別々の道を選び、アズレイトの元から去っていった。  それから、なぜかサーシャはアズレイトの姉妹と仲良くなった。......一方的に気に入られたという説のほうが有力だが。  歩き回れるようになった途端、やれ散歩だ、やれお茶会だと引っ張り回されたりしたけれど、友達など一人もいなかったサーシャは、目を回しながらも新鮮な日々を送ることができた。  ちなみにサーシャが王宮で過ごした期間は、あくまで療養。なので種まき的なことは一切していない。  ぐっと辛抱するアズレイトは、死ぬほど苦しかったかもしれない。いや、間違いなく辛かった。だがサーシャは、そんなアズレイトの苦労に気付かぬまま、実りの季節と凍てつく季節を穏やかに過ごした。  そして、雪が解け、医師が無事回復したと判断し、サーシャとアズレイトは帰路についた。  かつての家臣達も方々から集まり、エカテリーナ達から贈られた餞別の品を運ぶ荷物持ちを買って出た。  そんなこんなで西の森に続く一本道は、ほんのちょっとだけ騒がしかった。  木々の梢が新芽の色に彩られる中、サーシャ達を乗せた馬はカッポカッポと蹄の音を響かせ森の中を進んでいく。  そしてとうとう、サーシャが生まれ育った家に到着した。  そこは相変わらず、森と見事に調和したあばら家だった。  でも、藁葺き屋根から苔が消えているし、至るところからピョンピョン跳ねていた雑草は目を凝らしても見つけることはできなかった。  これはサーシャが留守の間、森の麓にある村の人々が手入れをしていてくれたから。  彼らはサーシャが聖女だということは知らない。  ただただ突然消えてしまった天涯孤独の訳あり娘が、いつ戻って来ても良いようにと勝手にそうしていただけ。  ただサーシャがその事実を知るのは、アズレイトと共に初めて村の祭りに参加したときに。だからもう少し先のこと。  そして、村の青年とアズレイトが火花を散らす展開になるけれど、それはまた別のおはなし。 「さぁ、サーシャさま降ろしますよ」 「は、はい」  先に馬から降りたアズレイトは、ごく自然な動作でサーシャを抱え上げるとそっと地面に下ろした。  それからサーシャの空いている方の手に自分の指を絡ませて、玄関へと向かう。  もうアズレイトは女性をスマートにエスコートしなければならない身分ではなくなった。だから、サーシャの望むまま手を繋ぐことに抵抗は無い。今ではこっちのほうがしっくり来る。  対してサーシャは、アズレイトと手を繋ぐだけで頬が熱くなる。  自分に触れる彼の手が、あまりに優しく丁寧で、宝物のように扱われているようで、なんだかくすぐったくて。  そんなわけでモジモジしてしまうサーシャは、手にしているカップをうっかり落としてしまいそうで、全神経を歩くことに向ける。たった10歩の距離が果てしなく遠く感じてしまう。  けれど、左右に足を動かせば、玄関までそう時間はかからない。  無事、玄関まで到着したアズレイトは片手で扉を開ける。村人の誰かが油を差してくれたのだろう。滑らかに開いたそれは、一切不快な音はしなかった。 「サーシャさま、お帰りなさい」  アズレイトは手を繋いだまま、サーシャを見下ろしてそう言った。 「アズさんも、お帰りなさい」  同じくサーシャも、アズレイトを見上げてそう言った。  そして同時に「ただいま」と言って、微笑みあう。もう、ここはアズレイトの家でもあるのだ。 「アズレイトさまー、サーシャさまー、お荷物はどこに置きましょうかぁー」  庭に馬を停めた元家臣達は、荷物を下ろしながら声を張り上げる。この膨大な荷物があばら家に入りきるか若干、不安そうな表情で。  サーシャも同じ気持ちではいるが、一先ず玄関の空いているスペースを指差しそこに置いてもらうようお願いする。  絶対にはみ出すことはわかっているが、しばらくの間は良いお天気が続きそうなので、ゆっくり片付けていけば良い。明日も明後日も、これから先サーシャには時間はいくらでもある。  一方、指示を受けた元家臣達は、てきぱきと荷物を運び込んでいく。そんな彼らに対してサーシャは一人一人に丁寧に礼を言ってから、お茶の準備を始めることにする。  約束したハチミツ入りのお茶を皆と一緒に飲むために。 「サーシャさま、手伝います」  キッチンにサーシャが立った途端、アズレイトもすぐにそこへ足を向けた。  そしてもうずっとここに住んでいるかのように、自然な動作で棚にある茶葉の缶を手にして、サーシャに差し出した。 「あ、ありがとうございま───」  ヤカンに火をかけたサーシャは、これまた自然にそれを受け取ろうとした。けれど、なぜかアズレイトに腕を掴まれてしまった。  しかも、それだけでは済まなかった。 「......んっ......ちょ、アズさん!!」  あろうことかアズレイトは、元家臣がせっせと荷物運びをしている中、サーシャにキスをしたのだ。  もちろん、触れ合うだけの軽いもの。あとギャラリーという名の元家臣達は、幸い身体能力の高い人たちばかりなので秒より早い速度で目を逸らした。  でもサーシャが真っ赤になって叫ぶのはごく当然のこと。  なのにアズレイトは謝罪するどころか、やれやれといった感じで苦笑を浮かべた。 「サーシャさま、こんな程度で真っ赤にならないでください。これからは、この程度では終わりませんからね」  それはこれまでずっと我慢していたアズレイトが、もうそれを止めるという宣言でもあった。  さて、それを受けたサーシャと言えば「......っう......ぅあ......ううっ」っと、しゃがみこんだまま、言葉にならない何かを呟き続けることしかできない。  そんな二人のやりとりを、元家臣達は見ていない。全力で、視界に入れないようにして、そおっと庭へと移動した。彼らは任を解かれても、気が利く人たちなのである。  という訳で賑やかだった部屋は、一瞬にして静寂に包まれる。  扉がきちんと閉じたのを確認したアズレイトは膝を突いてサーシャの顔を覗き込んだ。目を潤ませ、ワタワタしている姿が可愛くてたまらない。 「……サーシャさま」 「ぅう……うう……は、はい」 「サーシャさま」 「は、はい……なんですか?アズさん」 「サーシャ」 「ぅあ、はいっ」  急に声音が変わったアズレイトに、サーシャはしゃがんだままの状態で弾かれたように顔を上げる。  目が合った途端、彼は幸せを形にしたような笑みをこちらに向け、ありきたりで一番胸に響く一言を紡いだ。 「愛しています」  ◆◇おわり◆◇
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