奇跡の力

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「……猫?」 「はい! 黒猫がたくさんいました。全体的にふわふわした世界でした」  中等部三年生、中山という名の生徒は、緊張した面持ちで生徒会室の椅子に掛けていた。  部屋の中央に置かれた長机。その左右に三脚ずつ椅子が置かれている。長机の端と垂直に置かれた社長のような広い机を一人で使う生徒会長は、座ったまま正面を向けば出入口のドアと対面する。  生徒会長である黒岩聖が意図的に避けたため、中山は聖の左側、真ん中の椅子に、臨時的に書記係を務めている熾は、聖の右側手前、出入口から最も遠い椅子に着座していた。  あまりに想定外な語彙が飛び出し、鉛筆を走らせていた熾の手は止まり、聖も若干の動揺を見せる。 「……他に何か特徴は?」 「んー……、……ポトフ……」 「ん?」 「ポトフっていう料理が食べ放題でした。洋風の汁物で、ソーセージとキャベツが美味かったなぁ……」 「……長い夢を見ていたと聞いてるよ。思い出せることはそれだけかい?」 「……すみません、ずっと黒猫たちと遊んでたもんで……僕にすごい懐いてくれたんスよ。可愛くて」 「…………」  彼は先週金曜日から日曜日昼頃までの二日と半日の間、意識不明の状態に陥っていたという。月曜日を公欠扱いにし、病院で検査を受けさせた結果は『全て良好』――専門家にすら原因不明と診断されてしまった。  脳外科にでも連れていこうか、と校医と諒が話していたところ、自分に任せてほしい、と聖が名乗り出た。  聖のした質問はたった一つ。『どんな夢を見ていたか』というものだった。  存在感を消すよう努める熾を除けば、生徒会室に会長と二人きり。高等部で三つ(・・)も年上の者に面談されるなど、さながら校長と対談しているような気分だろう。  彼は素直な男だった。わかりやすくもわかりづらくもなく、聞かれた質問に対し簡潔に受け答えしていた。  もっと危機迫る、ストーリー性のある夢を想像し、気合いを入れこの場にいた熾にとって、拍子抜けする他どう反応したら良いのか迷走してしまう。とりあえず手元の白紙の用紙に『黒猫と遊んだ。ポトフのソーセージとキャベツがおいしかった。ふわふわ』と書いておいた。  沈黙の時間が怖いのだろう。ウンウン唸りながら必死に記憶を探っている彼は、努力はしてくれていたようだが、結局それ以上の情報を思い出してはくれなかった。 「――わかった。十分な情報だよ、ありがとう。また何か思い出したら教えてね」 「あ、はい。わかりました――あ!」 「どうかした?」  立ち上がった中山は、すぐに聖の方へ顔を向ける。置きかけた鉛筆をまた握り直した。 「起きる瞬間、ジェットコースターとかに乗った時のフワッとする感じ、あれと同じ」 「うん、そう。その情報は把握済みなんだ。夢の内容で思い出すことがあったら、教えてね」 「そっスか……じゃあ……」  失礼します――おずおずとドアを開けるついでに軽く頭を下げ、去っていく彼の姿が見えなくなるまでは、会長に合わせ愛想のいい笑みを保ち続けていた。  正真正銘、聖と二人きりになった静かな部屋で、今し方記録していた会話の内容を振り返る。  ――黒猫がいた、ふわふわした空間。ポトフが食べ放題。彼は名前すら知らず、見たこともない料理だったと言っていた。起きる瞬間の話は、会長が把握済だと言うのなら、記録する必要もないだろう。  背もたれに身を委ねた聖の椅子がギシッと軋む。足を組み、肘掛けに乗せた腕で頬杖をつきながら、今し方閉められたばかりのドアを睨み、妖しげな笑みを浮かべていた。 「これは他にもいる(・・)ね。臭う」 「はい」  決して多くはない情報量だったが、聖が言った通り、『十分な情報』だった。 「『ゲネシス』の力を宿した子が、寮生にいる。それも強い力だ」 「どんな能力でしょうか」 「まだわからないな。……ちょっと調べる必要があるかもしれない」  その力についての記録は、太古の昔から存在する。あまりに非現実的なその力を人々は恐れ、平伏し、絶大な能力に戦いた人類は、二十一世紀が間近に迫ったこの時代においても未だ解明が進んでいない。 『ゲネシス』  そう呼ばれた力は、現代にも身に宿している者は実在している。古の記録より全世界に点在していた能力者たちの、遠い子孫なのかもしれない。  非常に遺憾であった。熾には、生まれながらにその才は宿らなかった。  後天的に身につけられる、努力による才というものも存在するが、『ゲネシス』に限ってはそうはいかない。また、両親の片方、あるいは両者がその力を持っているからといって、子にも必ず遺伝するとは限らない。  受精した瞬間に勝敗が決まる、まるでギャンブルのようなものだった。  焦燥が湧く。理由はハッキリと知らないが、その天性の才は、現生徒会長たる男に瞬時に気に入られる、プレミアム切符でもあるのだ。自分にはそれが備わっていない。  研究すら進んでいない未知の情報を与えてもらえる優越感と、永遠にそこへは到達できない嫉妬の狭間で、身を焦がしてしまいそうだった。もしも、生きたまま腸を引き裂かれる代わりにその才が手に入るのだとしたら――否、もしもそんなことになれば、どの段階でも拒む気はなくなるだろう。  どんな犠牲を払ってでも、手に入れられるものならば欲しかった。たとえ死のうとも手に入ることのないそれを、強大なプレミアム切符を、生徒の誰かが保持していると聖は言っているのだ。  殺意すら芽生えたが、口にはできなかった。代わりに、鉛筆の先端を紙に押し付けすぎて、パキッと芯が折れてしまった。 「熾、夢壱を呼んでくれるかい?」 「…………」  ――どうして。この期に及んで他の男の名を出すのだろう。  能力など無くともこれは気づかれる。喜悦気味に微笑んだ聖は、机に手を付きながら徐ろに立ち上がった。 「重要参考人である彼からも話を聞いておかないといけない。……拗ねるなよ。キミにはもっと重要な役割があるじゃないか」  伸ばされた手にそっと項を撫でられ、髪を掛けていた方の耳に聖の唇が寄る。微かに聞こえたクスクスと笑う吐息に、全身が快感で震えた。 「ここにポトフはないからね……でも、もっと美味いものがある(・・・・・・・・・・・)」  スイッチが切り替わるとでも言うのだろうか。存在感を無くし書記に徹しようと決めていた心は途端に揺らぎ、溶けていく。  薄く開かれた口唇が耳朶を掠め、弱く歯を立て噛まれてしまえば、力も思考力も失われ、恐怖と喜悦に手が震えた。 「聖さん……」 「さ、おいで、熾」 「はい……」  言葉通り後ろ髪を引かれるように項からするりと離れた手は、会長席の背後にある、見るからに厚いドアのグレモンハンドルへと伸ばされる。  聖の制服の内ポケットから、そこへ立ち入るための鍵が取り出された。
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