可愛い花の名を呼ぶ

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「香織、一花に会いに行かないか?」 「……」 いつも俺の方を向かない虚ろな目がこちらを向いた。目を丸くした彼女が久しぶりに口を開く。 「い、一花に会えるの?」 「うん、願い事を叶える花があって、それを見つけて一花にもう一度会おうと思うんだけど」 「本当に、会えるの?」 「うん、会えるよ。一緒に探しに行こう」 俺は震える手を掴んで、潤んだ目を見つめた。彼女の悲しみはきっと俺よりも深い深い所にある。長い間不妊に苦しみ、やっと出来た子供が一花だった。無事に産まれた時に二人ですごく喜んで、大切に育てていこうと約束したのに……。 世の中は本当に不公平だと思う。罪のない人が苦しんで、罪人が長生きして、苦しい人がまた苦しみを味わって。幸せの数も苦しみの数も、みんな一緒だったらいいのに。 彼女は少しずつ元気を取り戻していった。一花に会う事を楽しみに生きていた。 そして、俺たちはその〝星叶花〟を探す為にある山へと向かった。 山道を二人で登っていく。昔よく登山デートをしていた事を思い出す。山ガールとか言って、格好だけ一丁前にして来たのに全然登れ無くて可愛いなと思ったりしたっけ。まさかその時は、夫婦になるなんて思ってもみなかった。 俺は仕事が忙しくなり、起きてる二人になかなか会えなくてすれ違いの生活になってしまっていた。だから俺の二人への愛は一方通行の様なものだった。 娘が亡くなった今、その状況は酷くなり俺を蝕んでいる。 後ろを歩く妻。きっと俺の背中は見てくれていない。 二人ともさすがに歳を取ったのか、だいぶ息が切れてきていた。彼女の額からは汗が落ち、顔色もあまり良くない。 「一回休憩しようか?」 「はぁ、だ、大丈夫……早く行かなきゃ」 「はい」 俺は彼女の前に屈んで背中を向けた。 「え?」 「もう歩けないんだろ?だからおんぶ」 「え、だって」 「俺が体力だけ自信あるの知ってるだろ?だから大丈夫。一緒に一花に会いに行こう」 「うん、ありがとう」 彼女の体重が背中に預けられ、細い両手が首の前で組まれる。俺はゆっくりと立ち上がり、麓を目指してまた歩き出した。 「昔、よく二人で山登りしたよね?」 「うん」 「あなた、いつも一人でさっさと行っちゃってさ」 「そうだっけ?」 「でもいつも手を繋いでくれてさ、嬉しかったよ」 久しぶりの会話が嬉しかった。昔の二人に少しだけ戻れた気がした。 背中越しに微笑む彼女を感じる。あの日以来笑わなくなっていたから、すごく、すごく、嬉しい。 「ここを登るとイチリンソウが広がっているはずだ」 俺は全身から汗が吹き出し、足はもうガクガクしていた。後少しだ。後少しで一花に会えるんだ。 最後の力を振り絞り、その一面に向けて足を踏み出した。
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