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  その昔に「白薔薇の姫」と呼ばれた女性がいた。  ロワール国という亡国の王女でありブライトン国の王――アレクシス王の正妃であった。が、妃になって二年余りで亡くなる。その妃の名はブロンシュ・マリア・ロワールといった。  彼女はアレクシス王との間に双子の王子を遺している。第一王子がブライアン、第二王子はレイモンドと名付けられた。  王子達は後に父王が描かせた肖像画を見ながら亡き母に思いを馳せるようになったのだった――。 「……父上。母上はとても優しい方だったと聞いています」 「そうだな。ブロンシュは聡明で心優しい女性だった。私の事は最初は嫌っていたがな」 「え。そうなのですか?」  双子の息子達にアレクシス王はブロンシュ妃の事を聞かせていた。肖像画の前でだが。 「……私が彼女の祖国を滅ぼしたからだな。ブロンシュは自分のせいだと己を責めていた。それのおかげで避けられていたんだ」 「……母上はそんな大変な目にあっていたんですね」  弟のレイモンドが呟く。アレクシス王は哀しげに笑った。すると兄のブライアンが真面目にこう言った。 「確か、母上は白薔薇の姫と呼ばれていたんですよね。だったら母上のお墓の近くに白い薔薇を植えましょう」 「何故か。訊いてもいいか?」 「お花があったら母上のおられる天からもわかりやすいでしょう。母上も喜ぶと思ったんですけど」 「……なる程。だったら早速、宰相に相談だな」 「はい!」  ブライアンが返事をするとレイモンドも頷いた。アレクシス王は二人の頭を撫でてから肖像画で微笑むブロンシュ妃に笑いかけたのだった。  その後、王の命に宰相は二つ返事で従う。王妃の事は宰相も心を傷めていた。何かできる事があればとずっと考えていた程だ。 「……わかりました。王妃様の墓前に薔薇の花を植えるのですね」 「そうだ。ブライアンの意見でな」 「ほほう。殿下も成長なさいましたな」  宰相は孫を見る祖父のように言う。実際に双子の王子――ブライアンとレイモンドは今年で十一歳になる。 「二人とも大きくなった。しっかりとしてきたしな」 「左様ですな。私も嬉しい限りです」  王と宰相は和やかに笑った。王妃の事は悲しくはあったが。時間は確実に人々の心を癒やしていたのだった。  数日後に白薔薇の花を植えつけるためにブライアンとレイモンドは庭師のジャミンや騎士達を連れて母妃の墓所に向かう。父王の代わりに宰相も一緒だ。白薔薇の苗木はジャミンが大事に預かってくれている。もう一輌の馬車にジャミンが乗っていた。 「……殿下方。ロワールは遠いですからね。二泊はしないといけないでしょう」 「そうですね。宰相にはわざわざ付いてきてもらって申し訳ない」 「いえ。構いませんよ。むしろ、王妃様のお墓参りに行けるので良い機会だと思っています」  ブライアンが言うと宰相は苦笑しながら言った。レイモンドは窓の景色を眺めている。がらがらと車輪の音が鳴る中で宰相はブロンシュ王妃の事を思い出したのだった。 『……あなたが宰相のボルトン様ですか』  そう言って澄んだ声と瞳でブロンシュ妃は問いかける。日に当てるときらきらと輝く美しい白金の髪と淡い琥珀の瞳の清楚で儚げな女性に見えるが。芯はしっかりしていて聡明な方だった。 『……はい。ブロンシュ殿下』 『ふふっ。もっと気難しくて年配の方だと思っていました。思ったよりもお若いのね』  そう言って笑う彼女は可愛いらしくて見惚れてしまった。ボルトン宰相は哀しげに笑いながらもブロンシュ妃の忘れ形見でもある双子の王子達を見守るのだった。  この日の夕方にブライトン国の西部に入ったらしい。ボルトン宰相が教えてくれた。ブライアンは先に降りて興味津々といった様子だ。レイモンドは慎重に後から降りる。 「墓地までは後二日程は掛かります。殿下方、お疲れでしょう。近くに宿屋がありますので。行ってみましょうか」 「わかりました。宰相に任せます」  レイモンドが言うと宰相は頷いた。騎士の内の二人が同行する。少し経ってから三人が戻ってきた。 「殿下。宿屋の主人に部屋が空いていないかを訊いてきました。四部屋取れたので行きましょう」 「……え。もうですか。早いですね」 「私はあの宿屋の主人とは知り合いでして。それで早くできたのです」  宰相が言うとブライアンは目を輝かせた。宰相の顔の広さに歓心しているらしい。 「凄いな。宰相はこんな遠い街にも知り合いがいるんですね!」 「……私は若い頃に冒険者をやっていました。この街には何度か来た事がありますね」 「へえ。僕にもできるかな?」  ブライアンはさらに目を輝かせたが。隣にいたレイモンドに呆れの表情で見られていた。 「……兄上。冒険者なんて危ない仕事は父上がやらせてくれないよ」 「そりゃあそうだけどさ。夢を見るくらいは良いじゃないか」 「それでもだよ。兄上だったら本気でやりかねないからさ」  二人が言い合いを始めたので騎士達は困り顔だ。それを仲裁したのはやはり宰相だった。 「……殿下方。喧嘩はおやめください。ここは王城ではないんですよ」 「……ごめんなさい」 「ブライアン殿下。冒険者になりたいお気持ちは私もわかります。そうですね。騎士団長に剣術や弓術などを教えてもらってはいかがでしょうか?」  宰相が言うとブライアンは俯けていた顔を上げた。 「……わかった。サマー団長に頼んでみます」 「良いでしょう。レイモンド殿下。夢を見たい気持ちは誰にでもあるものです。あなた様にもあるでしょう?」 「……あります。俺は父上や兄上を支えられるような人間になりたい」  レイモンドが答えると宰相はにっこりと笑う。小声で「将来有望ですね」と言ったのは二人には聞こえなかったが。 「ならば、その気持ちを忘れないでいてください。お二人とも」  宰相の言葉にブライアンとレイモンドは頷いたのだった。  宿屋に泊まった。夕食は素朴な物ではあったが。王子達は完食していた。これには宰相や騎士達、宿屋の主人達も驚いていたが。  困ったのは湯浴みや他の身支度についてだった。これは騎士団の第一団隊長が二人に丁寧に指導してくれる。 「お二人とも。湯浴みに行きましょうか」 「わかった。隊長と一緒なのか?」 「ええ。ブライアン殿下もレイモンド殿下も湯浴みはメイド達にやってもらっているでしょう。今日はお一人だけでも入れるように練習をしてみましょうか?」  隊長が言うと二人は目を開いた。図星だったからだが。黙っている二人に苦笑しながら隊長は大衆浴場に行こうと誘う。同行していた護衛騎士がタオルや石鹸などを急いで用意してくれた。 「では。早速、行きましょう」 「……わかった」  ブライアンが頷いた。隊長は目を白黒させる二人を連れて歩き出すのだった。  大衆浴場にて洗髪などのやり方を隊長から教わる。ブライアンは元から器用なのか覚えるのは早かった。レイモンドは戸惑ってしまい、髪や身体についた泡を流すのを隊長に手伝ってもらった。髪や身体を洗ったら浴槽に張ってあるお湯に浸かる。その時にタオルと石鹸はたらい桶の中に入れるように言われた。 「……とりあえず、浴槽の中にタオルや石鹸は入れないでください。マナー違反になりますから」 「わかった。レイモンドも今後はやるなよ」 「……兄上に言われなくてもわかっているよ」  二人が言うのを聞きながらも隊長は苦笑した。浴槽のお湯に浸かりながら三人でしばし語らったのだった。  あれから夜になり宿屋に戻る。歩いてすぐの近さなので湯冷めせずにすんだ。ブライアンとレイモンドは宰相と同じ部屋だった。中に入ると宰相が二人の着替えを用意して待っていた。濡れた髪を宰相は丁寧に拭いてくれる。ブライアンが最初でレイモンドが次だ。そうした上で衣服の着方を改めて教えられた。 「脱ぎ着は自分でもできるぞ」 「それでもです。殿下方には一通りの事を覚えていただかないと。私めが困ります」  仕方ないので教えてもらいながらシャツやスラックスを着た。靴下を履いたりもする。宰相から歯磨きもするように言われて洗面所へ行く。すませると二人で一つのベッドで寝た。隣には宰相が休んでいたが。ブライアンとレイモンドはすぐに深い眠りについたのだった。  翌日も馬車に乗りロワールの街を目指した。食事などで休憩を挟みながらひたすら馬車は走る。景色を眺めながら宰相から亡き母妃の思い出話を聞かせてもらう。 「……王妃様は刺繍が得意でしたね。陛下や私にブライトン国の紋章を刺繍したハンケチーフをくださった事がありまして。今でも大事に持っておりますよ」 「へえ。宰相にもくれたんだな。いいなあ」 「お礼を申し上げたらとても喜んでおられました。陛下もお返しにと薔薇の柄があしらわれたドレスを贈っておられまして。王妃様もそのドレスはよくお召しになっていましたね」  宰相が言うとレイモンドは意外そうな表情をした。それはそうだろうと思った。二人は両親が不仲であった事を知っているから余計にだ。けど陛下――アレクシス王は口下手で不器用な所がある。  ブロンシュ王妃は最初こそ王を恨んでいたが。時間が経つにつれて王のそういった一面がわかってきたのだろう。王子達を身籠った頃には王妃も王の事を気にかけていた。 「……母上は父上を嫌っているとばかり思っていた。実際はそうじゃなかったんだな」 「そうでしょうね。王妃様は亡くなる間際に陛下に殿下方の事をお頼みになっていました。憎からずは思っておられたのでしょう」 「そうか。僕やレイモンドの事を……」  宰相の話を聞いてブライアンは沈痛な表情をした。レイモンドもだ。ぽつぽつと両親の事を二人は宰相に尋ねるのだった。  翌日の昼頃になってやっとロワールの街にある墓地にたどり着いた。宰相の指示でジャミンが十株程の白薔薇の苗木を馬車から降ろす。スコップをブライアンとレイモンドは受け取った。母妃の墓前から少し離れた場所に苗木を植え付けられるだけの穴を騎士達と共に掘っていく。片手で持てる大きさのスコップで二人は一生懸命に掘っていった。  夕方までに五株程の白薔薇を植える事ができた。が、後五株は残っている。仕方ないので今日はこれくらいで終わりにした。 「……仕方ありません。墓地の近くに宿屋がありますから。今晩はそちらで泊まりましょう」 「そうだな。明日に持ち越しだ」  そう決めるとブライアンとレイモンドはスコップをジャミンに返した。宿屋に向かったのだった。  翌日も朝早くから薔薇の植え付けを行う。夕方近くになって無事に終わった。皆、ほっと胸を撫で下ろす。泥や土で顔や衣服は汚れてしまったが。達成感はひとしおだ。こうしてブライアン達はブロンシュ王妃の墓前に祈りを捧げたのだった。  数日後に無事に王城へとブライアン達は戻った。父王にも報告をする。父王は穏やかに笑いながら「よくやった」と褒めてくれた。宰相にも王子達の付き添いをしてくれた事について礼を述べていた。  こうして王妃の墓参りに行く時は父王もブライアン達も白薔薇の花を供えるようになったのだった。  あれからさらに五年が経っていた。ブライアンとレイモンドは十六歳になった。二人とも背が伸びて体格も大人のものだ。この年の春も母妃の墓参りをする。二人の傍らには若い女性がいた。  ブライアンの隣には金の髪と淡い蒼の瞳が目を引く背の高いすらっとした女性が立っている。顔立ちも凛とした美少女だ。 「……王妃様。初めまして。わたくしはブライアン様の婚約者で名をシェリーメイと申します」 「……初めまして。私はレイモンド様の婚約者で名をルカリアと申します」  次に言ったのはレイモンドの隣にいる女性だった。銀の髪に深い緑の瞳の小柄で華奢だが芯がしっかりした印象を持たせる美女だ。  背の高い方の女性――シェリーメイが先にしゃがみ込んで一輪の白薔薇を供える。続いて小柄な方の女性――ルカリアが同じようにした。 「一度でいいから王妃様にお会いしてみたかったわ」 「そうですね。メイ様はそうおっしゃると思っていました」 「……メイ。ルカリア嬢。静かに。場所を考えてくれ」  ブライアンに注意されるとシェリーメイとルカリアは黙った。レイモンドが苦笑する。 「まあいいじゃないか。母上はそこまで怒らないって」 「それでもだ。とりあえずお花は供えたし。お墓の手入れもできたから。帰ろう」 「だな。行こうか。ルカ」 「……はい。レイ様」 「わたくし達も行きましょう。ライ様」  シェリーメイに促されてブライアンは母妃の墓前から離れた。ふわりと風が吹いて甘い白薔薇の香りが鼻腔に届く。花びらが舞う中、四人の若い男女はよく晴れ渡る空を見上げたのだった。  ――True end――  
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