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今年も
強力な新型ウイルスが世界中に拡散してから、一年がたった。
長びく感染予防とのくらしに辟易してきた私は、ひとりさびしい部屋で現実逃避のファンタジーを空想してしまった。
感染予防として、マスク着用以外にも、友人や親と気軽に会うことも難しくて、人恋しい。
ため息をこぼしながら窓の外を眺める。
澄んだ青空が広がり、住宅街のすきまの林からは小鳥たちのはしゃぎ声が響いてくる。窓を開ければ、やわらかな陽射しとともにひんやりとする風がカーテンを揺らしてはいってきて、薄桃色の花びらがひらりと舞ってきた。
桜はもう満開らしい。散ってしまう前にお花見でも行ってこようか。
シールドナイトもといマスクを手に取る。
いつになったら、マスク不要の生活を送れるのだろうか。
「やつらはまだいますぞ」
再びため息をつきそうになっていた私は、シールドナイトの声を聞いたような気がして、マスクにほほえむ。
「そうだね」
マスクの両端にある細いゴム紐を両耳にかけ、遮蔽を高めるために小鼻の周りを押さえつける。マスクをつけるこのしぐさを感染拡大してから何度繰り返したことか。
摩擦によって肌が荒れたし、耳も痛い。
それに、暑苦しい。
外に一歩出てみると、今日はおもったよりも暖かくて、よけいにマスクをはずしたくなる。
けれども、シールドナイトは守るのが使命だしサーズコブツは神出鬼没だからしかたない、といい聞かせてマスクをつけたまま歩を進める。
向かうは、近所のため池公園にある一本だけの桜の木。
感染予防のために遠出とひとが集まる場所への来訪は自粛中だから、今年も桜の名所へ行くつもりはない。それに、昨年一本桜を見た私はほれてしまった。
百花繚乱の咲き乱れた桜もいいのだけれど、人知れずただずむ桜の木には儚さがあり、しっとりとした和服美人のような趣があった。さらにいいことに、その場には私と桜をじゃまする者はいなかった。春の陽光を受けて白っぽく艶めく花びらや何十年もいたことをしめすざらついた幹を、私はゆっくりと眺めることができたのだった。
きっと、今年も。
足早になっていたからか、だれもいない一本桜に着いたときには息があがっていた。暑苦しさに耐えきれずに、私はマスクをはずした。
美しい桜から放たれているここちよい空気を一気に吸いこむ。
すると、鼻にむずかゆさを感じた。まずい、そうおもったときには遅かった。
「へーえくしょおん!」
静かなため池にくしゃみ音が流れ広がり、あわててマスクをつけなおす。
ああ。魔巨樹――スギの存在を忘れていた。どうやらマスクは、しっかりスギ花粉から花粉症の私を守っていてくれたらしい。
マスクをしている間は花粉を感じなかったから、守られている実感はなかった。認識できないウイルスからも守ってくれているのか疑わしくて、マスクをつけるのがわずらわしくおもえてきていた。
マスクをはずした瞬間に花粉症の症状がでたことで、私は守られていたのだとようやく理解できたのである。
「だから、やつらはまだいると、言ったであろう」
再びつけたマスクからシールドナイトがうなった。
「そうだね。守ってくれてありがとう。もう離さないよ」
どこかから、春告鳥が喜ぶように軽やかに鳴いた。
了
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