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 明るい日差しが差し込み、花々が咲き乱れる、花の魔女の寝室。  そのベッドの上で、弟子は目を覚ました。 「あれ、ここ」  ぼやけた意識で弟子が呟く。花茶の香りがその鼻腔(びこう)をくすぐる。 「おはようございます」  すぐ隣から声が聞こえ、弟子ががばと身を起こす。傍らで花の魔女が、ティーカップ片手に座っていた。 「先生、あれ、私、どうして」  しどろもどろな弟子を見て、花の魔女が優しく笑う。 「黎明の魔女の魔法でひどい怪我をしたので、私が治しました。体は大丈夫ですか?」 「はい、大丈夫ですけど」  その答えに、花の魔女は心の底から安堵(あんど)したように大きく息を吐いた。 「えっと、先生が治してくれたんですか?」 「はい。久しぶりでしたが、うまくいったようですね」  聞き返す弟子に、花の魔女が声を弾ませて答えた。  はぁと息をついた弟子が、大事なことに気づく。 「そうだ、先生。黎明の魔女は?」 「お引き取り願いました。相応の罰を与えて――」 「罰?」 「私の魔法をかけました」  弟子がぽかんと口を開ける。 「花を咲かせる魔法をですか?」  その言葉に、今度は花の魔女がぽかんと口を開ける。  ややあって、花の魔女が可笑(おか)しげに笑い出した。 「先生?」 「ああ、すみません」  花の魔女は笑いを収めると、部屋に咲く花々のうち、ひときわ赤い花を指差した。 「あの花に魔法をかけます。見ていてください」  言葉に従い、弟子が真っ赤な花を見る。  花が、動いた。  (しお)れ、散り、茶色く染まって――あれよと言う間に枯れ落ちた。  唖然(あぜん)とした顔で、弟子が問う。 「先生は、生命の奇跡が使えるんですか?」  まだ知識の乏しい弟子も、その言葉は知っていた。  選ばれた魔女にしか使えない、魔法の域を超越(ちょうえつ)した――奇跡。  そのひとつ、これまでに使えた者はわずか数人と言われる『生命の奇跡』。  傷つけ殺したり傷を癒したりする魔法とは別次元の、生命そのものを操る奇跡。  先日は種から花を咲かせ、今は目の前で花を枯らした花の魔女の魔法は、まさにその生命の奇跡としか思えなかった。  花の魔女は、しかし弟子の問いに静かに首を振る。 「半分アタリ、半分ハズレです」 「どういうことですか?」 「見ていてください」  言葉に従い、弟子が枯れ落ちた花を見る。  花が、動いた。  緑に戻り、落ちた花びらが戻り、真っ赤な色に戻り――元の通りに咲き直した。  それはまるで、そこだけ時間を巻き戻したような―― 「時の、奇跡」  弟子がポツリと呟く。 「さすが私の弟子ですね」  花の魔女が目を細め、弟子の頭を優しく撫でた。  見たものの時間を操る――時の奇跡。  歴史上で唯一、『時の魔女』だけが使えたと言われる原初の奇跡。  はるか昔、時の魔女は、莫大な報酬と引き換えに時の権力者たちを若返らせ、(ぜい)の限りを尽くした。  一方で、逆らう者たちを老いた姿へと変え、苦しみ死にゆく様を見て愉悦(ゆえつ)の笑みを浮かべた。  暴虐非道の果てに、時の魔女は鏡の軍団によって討伐され、この世を去った。  ――伝承には、そう(うた)われていた。 「先生は、時の奇跡を使える2人目の魔女なんですか?」 「さぁ、3人目か、4人目かもしれません。あ、このことは内緒ですよ」  冗談めかした口調で言われ、弟子が、「もちろんです」と頷く。 「それと、良い機会ですからもうひとつ」  そう言うと、微笑みはそのままに、花の魔女の瞳が怜悧な光を宿した。  初めて見るその力強い視線に、弟子は気圧(けお)されて押し黙る。 「魔法はときに誰かを、ときには自分自身を傷つける。それだけは絶対に忘れないでください」  何かを(なつ)かしむように(つむ)がれる言葉を、弟子は黙って聞き、こくりと頷いた。
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