第3話 転勤

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第3話 転勤

「秋の人事で転勤になる」 「やっぱりー!!」 思わず、クッションに顔を埋めた。 そして、顔をあげてスーツ姿の直真さんを見た。 スーツが似合っている―――って今、それはいい。 「直真(なおさだ)さん、本当にごめんなさい」 「それは、なんの謝罪だ?」 「私、一緒には行けません。左遷っていうからにはアラスカとか離島とかでしょ?ネット環境の悪い海外はちょっと」 申し訳ないけど単身赴任してもらおう。 「おい」 「サービスしてないような地域だとゲームにログインできなくて困るし、時差でゴールデンタイムがずれるじゃないですか?」 「有里、お前。ゲームと俺、どっちが大事なんだ?」 「それ、女が男に『私と仕事どっちが大事なの?』って聞くのと同じですよ?」 はー、愚問も愚問よ。 「ゲームは仕事じゃないだろ!?」 「は?ゲームは仕事ですよ」 「ふざけんなっ!」 「ふざけてんのはそっちですよ」 「俺!?」 「私がどれだけ、我慢してるか」 直真さんは顔を強ばらせて、目を伏せた。 「そうだな。宮ノ入(みやのいり)の親族の中にいるとお前も嫌な思いを―――」 「ゲーム二時間とか、そんな小学生じゃあるまいし、延長を要求します」 直真さんは真顔になり、ヤンチャ時代の名残ともいえる黒いオーラを出して言った。 「誰が延ばすか。きっかり二時間だ。このゲーム中毒が!禅寺(ぜんでら)にぶちこんで更生(こうせい)させるぞ!」 「うわっ。ひどい言いぐさですね」 「何言ってんだ!お前の方がひどいだろ?誰が左遷でアラスカか離島だ!」 「違うんですか」 直真さんは辞令を見せてくれた。 「子会社に専務で出向?」 「車で一時間程度の所だ。マンションはこのままにして、賃貸でどこか探す」 子会社に? 左遷なのか、立て直しのためなのか、わからないけど、そんなことはどうでもいい。 問題はそこじゃない。 「よかったー!国内で!」 「他に言うことがあるだろうが!」 「え?もう特にないです」 はあっーとため息を吐かれた。 それも盛大に。 「子会社に出向で専務だ。これは宮ノ入会長―――ジジイの命令だからな」 「あー、はい。直真さんのおじいちゃんのお願いね」 はいはい、とうなずいた。 「真面目に聞けよ。有里は専務秘書で異動にしたから安心しろ」 「最初から連れていくつもりじゃないですか」 「当たり前だ。お前を残していったら、自堕落(じだらく)な生活しかしないからな」 大正解すぎて、なにも言い返せなかった。 「別にいいですけど。ネット環境だけはお願いします。死活問題なんで」 「気にするところ違うだろ!」 直真さんはぐったりしながら、辞令の紙を奪いとった。 「まったく!」 「そんなカリカリしてるとハゲますよ」 「ハゲるか!」 はー、すぐに怒るんだから。 「イライラにはカルシウム摂るといいですよ」 ゲームしながら、食べていた小魚アーモンドを差し出すと、ビシッとオデコを叩かれた。 ひどい旦那だよ! 私が健康に気を遣ってあげたのに。 「単身赴任しろって言ったことは覚えておくからな」 相変わらず、蛇みたいに執念深いんだから。 「これで帳消しにして下さいよ」 「なんだ?」 直真さんの手に高級クラブの名刺を渡した。 「これ、スーツの内ポケットに入ってましたよ」 何枚もらってるんだよ!?ってくらいに入っていた。 「誤解するなよ。接待だ」 「ふーん」 「なんだ?」 「だれと行ったかは聞きませんけど。直真さん、女の人に囲まれて満更(まんざら)でもなかったでしょ?黙っていても、女の人がホイホイやってきますもんね」 「ゴキブリみたいに言うな」 残りの名刺をひらひらさせながら言った。 「宮ノ入会長のおじいちゃんにあげよーかなー」 「やめろ!」 「じゃあ、帳消しで」 「わかったから、それ寄越せ」 素直に渡すと、直真さんが腕を掴んで引き寄せた。 「本当にお前は何をするかわからないな」 抱き締めると耳元で囁いた。 「俺を一人にするな。有里」 ずるい人だと思う。 だって、自分の色気をわかっていて、それをうまく使うから―――直真さんは悪い男だよね。 その綺麗な顔を両手で包みこんでキスをした。 それを待っていたかのように直真さんは何度も唇を重ね、強く抱き締めていた。 浮気じゃないことはわかっていた。 またなにか企んでいるに違いない。 直真さんは宮ノ入グループの大っぴらにできない部分を自分から引き受けている。 弟のために。 そんな優しい人なのだ―――本当は。
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