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3
入れ替わるようにトイレから山瀬が戻って来た。
「すまない、待たせたね」
男はすっかり短くなった煙草を再び灰皿に押し込む。
「なあに構わんさ、途中で漏らされちゃかなわねえからな。さっき入ってきた裏口から出るぞ。誰もいねえのはお前が便所に籠ってるうちに確認しておいた」
「わかった。くれぐれも安全に頼むよ?」
「そんな心配すんなって。いくぞ」
男が率先して出ていく後ろを山瀬がおっかなびっくり付いて行く。
明かりもない裏通りを静かに進むふたり。暫く行ったところで前を歩いていた男が足を止めた。
「ど、どうしたんだい?」
山瀬は僅かに後ずさりながら小声で問う。男は答えずに前を見ていた。狭い道を塞ぐように人影が立ちはだかっている。
顔は逆光で見えないがポニーテールに細い肩のシルエット。市のロゴ入りウィンドブレーカーを羽織った制服姿。
あれは、名実ともにこの街の支配者である市役所の職員だ。
「山瀬 健介さんですね」
穏やかで凛とした女の声が問う。
「そ、そうですが」
おい気軽に答えんなボケが、と男は心の中で毒づいたが口には出さない。
「市役所から参りました西郷と申します。健介さんの安全についてお父様から上司にご相談いただいていまして、こうしてお迎えに上がった次第です。さ、どうぞこちらへ」
女が口上を述べると山瀬はぱっと表情を明るくして前へ出た。男はそれを止めない。
「市役所!いやあ助かった!ははは、一時はどうなることかと」
すっかり安心し切った山瀬に西郷が恐らくは微笑みかけたのだろう、僅かに姿勢が変わり陰影が顔の起伏を映し出す。
「ご無事でなによりです。向こうにタクシーが停めてありますのでそれに乗って市役所までいらしてください。あとはそちらで別の職員が対応致します」
「わかったよ、ありがとう西郷さん」
山瀬は彼女に礼を言うと男に振り返った。
「あんたにも世話になったね、礼は必ずするよ。そういえば名前を聞いてなかったっけ」
「いや」
男は軽く手を振る。
「結局俺はなんもしちゃいねえしこの話は無かったことで構わねえよ。それより早くタクシーに乗った方がいい」
「あ、ああ。なんにしてもありがとう。じゃあせめて、もしなにか困ったことがあったら連絡をくれ。出来る限り力になるよ。えっと、西郷さんは一緒に市役所に行くんだろう?」
「いえ、私は少し彼に聞き取りをしたいので後で参ります」
「そっか。それじゃ、西郷さんも気を付けて」
山瀬はふたりに繰り返し礼を言うとタクシーが待つという方へひとりで歩いていった。
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