植月館

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植月館

都会の一角、もう少し奥まった静かな場所に大きな館がある。そのお屋敷は植月(うえつき)さんと言う方の館で、80歳を過ぎたお婆さんが家主である。亡くなった旦那さんが資産家で、沢山の財産を残してくれたのだが、子供も親しい親類も居ない彼女一人では到底使い切れないその資産を目当てにハイエナ達が家のインターホンを鳴らす事がしばしばあった。大概は使用人頭の不知火(しらぬい)さんが追い払ってくれるのでどうにかなっていたが、植月さんは大概、嫌気がさしていたし、何より暇だった。だから、こんな広告を出してみた。 《夢追い人を応援します。家賃、光熱費、食費、一切要りません。条件はあなたが夢を追っている事だけ》 いかにも胡散臭い広告だが、意外にも入居希望者は後を絶たなかった。中には、財産目当てで忍び込もうとしたり、悪事を働く目的で入居しようとする者が紛れ込んでいたが、それ等の殆どは面接で不知火さんと植月さんが見抜いて落選させていた。 「どうして、そんな事が分かるんだ!」 と逆上した人に言われた時、植村さんはにっこり微笑んでこう言った。 「本当に夢を追っている人はどんな格好をしていても輝いて見えるわ。だって、大概は諦めが悪くて、絶望を感じていてもその夢を諦めきれないと言う切望がひしひしと伝わって来るんですもの。そんな人にとって、暮らす場所と食べる事が枷になっているなら、それを提供する事でお力になれるわ」 お婆さんの朗らかな口調と皺の寄ったくしゃくしゃな笑顔は、邪な心を持った人間には大変、猛毒であっただろう。がっくりと肩を落として、屋敷から去って行くのが常である。 そんな主人の後ろで不知火さんは何時も「何時までもお変わりのない少女の様な方だ」と感慨深い気持ちになるのだった。 まるで苦労を知らない様な優しさと寛容さを有しているお婆さんだが、実はその逆で、沢山の苦労をして来た。 亡くなった旦那様との結婚は所謂“借金の形”であり、両親は酒やギャンブルに明け暮れ、気まぐれで暴力を振るっていた。心底貧乏で、着替えも無く、何時もお腹が空いていた。 挙句の果てに借金の形で嫁入りさせられ、嫁ぎ先でも良い思いはしなかった。只、救いだったのは旦那様はお婆さんにとても紳士的だった。旦那様は元々体が弱く、植村家がお婆さんを嫁に欲しがったのは単純に病弱な旦那様(おにもつ)の面倒を押し付ける誰かを求めたいたに過ぎなかった。 かと言って、ずっと常に伏していたわけでもなく、二人は時々散歩に出かけたりと外出する事もあった。植村家に嫁いで来たお婆さんは未だ10代で、旦那様との歳の差も10程あった。旦那様は、こんなにも若いお嬢さんが自分に真の心で尽くしてくれる事に心底感謝し、お婆さんに「私の財産を好きに遣いなさい。君が望むもので、私に出来る事があるなら、全て叶えよう」と言ってくれました。 その言葉を聞いたお婆さんは、旦那様に「では、植村家と絶縁して頂く事は出来るかと問いました」勿論、驚いた旦那様ですが、そんな事は容易な事でした。植村家も体の弱い旦那様を疎ましく思っていましたから、ある程度の支度金だけを持ち、お婆さんのお願い通りに植村の人間と縁を切った。その次にお婆さんは、その支度金で会社を立ち上げました。事業は見事に成功を治め、仕事に打ち込む事で旦那様も少しずつ病弱だった体調を戻していきました。時々、寝込んでしまうような事があっても常に傍らにはお婆さんが居て、寄り添いました。 「君はこの事業を何故、始めようと思ったんだい?」 ある日、旦那様が問いました。 「それは、あなたが“何かをやりたい、成功したい”と願っておいでだったからです」 それを聞いた旦那様は心底驚きました。確かに、5人兄弟の中で唯一体の弱い自分は常に家族から鬱陶しがられていた。何をしても結果が出る前に体が悲鳴を上げて、最後までやり切る事が出来なかった。いつもいつも歯がゆさがあって、そんな自分を恨んだし、蔑む家族が憎かった。“いつか、見返してやりたい”と心の内に秘めながら、それが叶う事は無いと諦めてもいた。 だが、30を過ぎた辺りで若い嫁を貰った。最初こそ、小汚いと思ったものの、自分が出会ったどんな人々よりも彼女は美しかった。自分にしてあげられる事は財を貢こと以外無いように思えて、沢山の贈り物をしようとしたが、彼女が受け取ったのは結婚指輪と最初に送ったつげ櫛だけだった。それ以外の贈り物はやんわりと断られ続け、業を煮やして「新しい服は欲しくないのか?」と聞いた。 「まだ、着られますもの」と満面の笑みで返された時に「この人に見せかけの愛情など無意味なのだ」と悟った旦那様は自分に出来る最大限の贈り物を心から送りたくてああ言ったのだった。実際はお婆さんに自分の全てを見抜かれていて、その渇望にも似た思いを正しく引き出され、苦しい時も変わらず支えてくれたお婆さんに心から感謝した。 「今更だが、君も望まない結婚だったはずだ。君が困らないだけの資産をあげるから、好きに――」 旦那様が言い終わる前にお婆さんはその口を口づけで塞ぎ、にっこりと微笑み「でしたら、永遠(とわ)にあなたと御一緒させてください」と言いました。本当は離れて欲しくない。でも、縛りたくも無いと思っていた旦那様はお婆さんのその言葉を聞いて、彼女を強く抱きしめました。 その頃から仕えている不知火さんはお婆さん――奥様の心根の清らかさが何時か穢されてしまうのではないかと心配していましたが、そんな事は杞憂に過ぎず、旦那様が身罷(みまか)られた後もこうして、穏やかさと寛容さを称えておいでになる事に畏敬の念を抱いておりました。 ですから、今回の“るーむしぇあ”なるものをしたいと奥様から申し出られた時も「ああ、この方は最後のその時まで、その優しい観察眼で他者をお救いになられるのか」と改めて、その念を強めました。最早、これは“崇拝”と言った方が正しいのかも知れません。
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