ありがとうの快感

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「あの、ハンカチ落としましたよ」 目の前のスーツの女性に話しかける 「あっ、すみません、わざわざありがとうございます」 女性は黒の長髪を綺麗になびかせながら 後ろを振り向くと僕が差し出したハンカチを サッと素早く取り足早にその場を去っていった。 今の女性は感謝の気持ちがほぼ無かったな テンプレ通りの返し方だから快感度もあまり満たされない。つまらない女だ。 男は肩がけの黒いバッグからメモとボールペンを取り出して 【4月4日27人目 快感度レベル2 感想特に無し 】と 今日ありがとうと言われた人数、快感度のレベル5段階中のレベル2を書きこんで 感想も特に無しと記入した。 次だ次の女性を捜さないと 男がありがとうという言葉に魅力、快感を 感じ始めたのは社会人一年目の頃だった。 社会人になる前は学校の成績が悪かったせいで両親からも出来損ないと言われ、 学校の先生からもなんでこんな初歩的な問題が解けないんだとボロクソに言われて 僕の心は傷ついた。大人への信頼も無くした 大人だけじゃない、周りの生徒にも テストの点数低すぎ、普通に勉強してたら解けるだろ、などの言葉のいじめにも遭って そのときに僕は地球上に存在する人間は 全員こぞって僕の敵。悪者だ。と自分に言い聞かせた。 そのお陰で僕の学生時代は街ゆく人達そして、学校ですれ違う人達が全員虫に見えた。 カマキリとすれ違った事もあったし、等身大サイズのてんとう虫ともすれ違った事もあったな。 僕は虫が好きだった、蟻塚に指を突っ込んだ事もあるし、危ないと言われているハチなんかともじゃれ合ったりした。結局刺されて痛かったけど。 僕の友達は虫達だけだった。虫は何も言葉を発しない、だから僕が傷つく事もない。 平和な世界、この空間こそが僕が求めていた場所なんだと認識した。 そんな歪んだ世界で生きていた 僕にある運命が訪れた。 社会人一年目の退社帰りに駅構内を歩いていると目の前に歩いていた猫が ジーパンの後ろポケットから水色ドットの ハンカチがストンと軽く落ちるのが見えた。 僕は自分でも驚いたことに 猫が落としたハンカチをしゃがんで拾い 「すみません!ハンカチ落としましたよ!」 と元気一杯言うと猫が振り返り 「ごめんなさい!すみませんわざわざご親切にどうもありがとうございます」 と頭を深々と下げてくれた。 その瞬間僕の心の中がじわじわと暖かくなるのを感じ、また相手の猫がポロリポロリと剥がれかけのペンキが落ちていくような感じで僕が見ていた猫のイメージがなくなっていき 中から茶髪のショートカットの可愛らしい女性が見えた。 何年振りに人の姿をみたことか。ある一種の感動を覚えた。 その女性は頭を下げると踵を返し駅の切符売り場へと歩いていった。 その女性が僕のもとから居なくなっても暫く僕は放心状態で動けなくなっていた。 人に感謝されるのってこんなに心が暖かくなるものなんだ。 自分も優しい気持ちに包まれて幸せな気分になれるものなんだ。 そんな事をどんどん思っていると目から 一粒、二粒と涙が溢れた。 このとき僕はありがとうという言葉の魔法に取り憑かれた。 それからはありがとうという言葉に執着し、 相手がハンカチなどの小物を落としそうな人を狙ってつきまとって落とした所をすかさず 「落としましたよ!」 と声をかけたりした。 最初はそんなことばかりしていたが このやり方だとやはり要領が悪く感謝されるペースが一日に一回、二回感謝されるのが 限界だった。日に日にありがとうという言葉を貰いたいという気持ちが大きくなっていった。 そんなとき僕は要領を良くするために こう考えた。 お金を落としたと相手をはめれば良いんじゃないかと。 内容は簡単、相手が落としてもないお金をあたかも落としたかのようにして接して ありがとうございますを貰うという作戦だ。 これを早速思いついた翌日からやってみたがうまく行かなかった。話しかけた所で 「落としてないです」 「違いますよ」 と返されることが定番化していた。 だがまた翌日この作戦をしてみると 全員が全員 「わざわざありがとうございます!」 と目をキラキラさせて感謝をしてきた。 なんでこうも変化したのか、理由は簡単 お金の額を上げたのだ。 思いついて実行した当初は百円玉を落とした事にして話しかけていたが 落としたお金の額を千円札にすると皆受け取って感謝をしてくれる。 こうして感謝される快楽を得ていったがその裏側でやはり人間はお金に目が眩んでいるんだなとも少し残念さ感じていた。 この作戦は百発百中で一日に感謝されるペースもうなぎのぼりで上がっていった。 こうなると一分一秒でも速くありがとうが欲しいと思考回路がジャックされ、 仕事も思うように捗らず結局辞職した。 それからは今現在、一日中駅のホームに張り付き優しそうな女性を見つけては落としましたよと声を掛けて感謝してもらうという 充実した日常を送っていた。 次はあの女性にしようか 僕は長い茶髪ロングヘアで下はジーパン上は灰色のカーディガンを着た女性にロックオンした。 早歩きで駅構内を歩いていく彼女に 僕も早歩きで近づきどんどん距離を詰めていってとうとう話しかけられる距離にまでになった。 「あの〜すみません!  お金落とされましたよ!」 僕は笑顔で話しかける 「えっ?いや違いますよ」 彼女は顔色ひとつ変えずにそう答えた。 彼女の顔はタレ目で優しそうな印象だったがその時だけは目が鋭く見えた。 彼女は僕を数秒間睨みつけてから駅の出口に向かっていった。 僕は焦った、百発百中のこの作戦が始めて 失敗した。まずい、彼女からありがとうの言葉が聞きたい。聞きたい。聞きたい。 その気持ちが身体を動かし出口に向かった 彼女にもう一度話しかけた 「あの!本当に落としましたよ!あなたの  カバンからこの  千円札が落ちるのを見たんです!」 僕は興奮して早口でそう伝えた。 すると彼女は 「しつこいです!落としてないって  言ってるでしょ!気持ち悪いから  もう二度と私に話しかけないで!」 鬼気迫る表情で言葉に怒りを宿して攻撃してきた。 それを聞いた僕は学生時代を思い出した。 クラスメイトのある女に アホ、バカ、と言われた事 クラスメイトのあるにお前の知能は 小学生以下と罵られたこと クラスメイトのある女に         生理的に顔が気持ち悪くてアンタを 見るだけで吐き気がすると嘲笑う声で 言われた事 この聞き覚えのある声 僕の事を馬鹿にした、人格否定した あのクラスメイトの女だ。 その考えが自分の中で生まれるとさっきまであった優しい心がなくなっていき 殺してやる、殺してやる、殺してやる その五文字が思考回路をグルグルと回し始めてやがて全身が震えだした。 鼻息も荒くなり目の前の視界が真っ赤になった。 僕の両手はクラスメイトの女の首を思いきり掴んで力一杯絞めはじめていった。 クラスメイトの女は首を振ったり、 僕の膝を何度も蹴ったりしたが もはや僕の身体は痛さを感じなるほど 覚醒状態に入ってた。 さっきまで活きの良かった女も だんだんと抵抗がなくなり少しすると 口から無数の泡を吹き出してその場で 僕にひれ伏すように倒れた。 その光景を見て周りから悲鳴や嗚咽、 さらには泣き声も聴こえる。 僕にはそれらが勝者を称える歓声に聞こえた あぁ不思議だ 今まではありがとうと感謝されることに 快感を覚えていたが 今はこっちの殺しの方がよっぽど何倍も  気持ちいい。空気が美味しく感じる。 僕はうつ伏せにひれ伏した彼女に 上から 「今までにない幸福を与えてくれて  ありがとう。  学生時代に  僕をいじめてたことを感謝するよ」 笑顔で話しかけた。 遠くの方からパトカーのサイレンが 聞こえる。 僕に罰を与えてきたのだな 逃げなければ、まだここで捕まるわけには 行かない。人を殺してこの幸福感を 知ってしまった以上また殺したいそして 幸福感を 得るんだ得り続けるんだ。 僕の前に人間が居る限り。 全速力で逃走した。 また男は逃走する事にも徐々に 快楽を感じていった。      
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