11、 魔王 4

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「私が私として『完全なもの』になるためには、この男の血()()を切り離せばいいのだ」 「出来るのですか?ですが、混じり合っていて無理と…」 「…切り離すという事は…それはすなわち、この男の自我が完全に消滅する事を意味する」 「…ッ!」  そうだ、すでに混じり合い溶け合っているものを、完全に分ける事など無理なのだ。  今、私が、この男の意識下に存在できているのは、この男がそうするように魔力を練ってるだけに過ぎない。いわば、残滓に過ぎなかった私を、この男が私の自我を増幅し形付けているだけだ。  その私を、完全な形にするには、膨大な魔力と依代が必要なのだ。 「俺は別にいいよ」  静かな声だった。 「もともと、ここにはいないはずだったし。やりたい事は済んだし。…ま、失敗しちゃったけどさ。ワンチャンは無理そうだから、後はどうでもいいんだわ~」  男がにっこり笑う。隣でラクドルが息を呑んだのが分かった。そして、その体を纏う魔力が揺らめき、動揺と後悔、不安と罪悪感が入り混じっているのを感じる。  そっと、細く白い手に触れると、驚いたように私を見上げた。触れる手に力を入れ握り込めば、ラクドルも同じ強さで握り返してきた。  男を見ると、澄んだ漆黒の瞳には、やはり迷いも恐れもなかった。  繋がっていたからか、この男が、自分を取り戻そうと足掻いていた事を知っている。自分が消えてしまう事も覚悟し、それを望み、それでも届かなかった事も…。  そして今、私を残し自分が消える事も受け入れている。  その強さに、思いに、私はただ恥じいる事しか出来ずにいた。  愛しいラクドルの苦しみ。  私を慕ってくれた、魔族達の犠牲。  全てを押し付けられた男。  それは、全て私の独善が招いた事なのだ。 「そんな資格は、私にはない」 「……」  ラクドルが強く目を瞑った。男は、相変わらず笑っている。私は…。 「私がした事は、許される事ではない。結局、私がした事は、ここにいる者達も、ここにいない者達も…苦しめただけに過ぎないのだ。  そんな私が、また、お前を犠牲にして存在を得るなど…許される事ではないだろう」 「くはっ!殊勝なこったな。どうしたよ?マジで反省してるわけ?」 「…本当の事だ。私の独善がいくつもの苦しみを生み出し、今も続いている。  それは、完全に消滅する事を恐れ、お前に血を受け継がせたのに、自我を残そうとした私の浅ましさが引き起こした事が原因だ。それが全ての苦しみの始まりで、私が存在する以上はさらに続いていくだろう。だから私は……」 「アンタ、まだわかってねーのな?ほんと、どんだけヘタレなわけよ?くはっ、くはははっ」 「……っ!」  男が空を仰ぐように高らかに笑う。圧倒されるほどの膨大な魔力が、部屋の中に溢れていく。 「…ッう…」  その圧に、ラクドルが溜まらずに跪く。その体が小刻みに震えていた。慌てて抱きしめ自分達の周りに膜を張り、男の圧から守ると、ラクドルの震えが少しずつ小さくなっていった。 「今更、責任取って消えてどうなんのよ?それこそ、今までと同じ、逃げてる事だっつーのが分かんねぇの?」  男が、バルコニーからゆっくり部屋に入ってくる。  私より、小柄な体がやけに大きく感じられた。それは、この男の存在感の表れかもしれない。知らず、自分の体も震えていた。  元々、『人間』だったとは思えない、(魔王)以上の魔力を纏いながらも、一切、逃げも恐れもしないもの。この男以外、私の意思を継げるものなどいなかった。  だから、全てを託したのだ。  だから…もう、なんの苦しみもないはずだったのに…。 「だからぁ、その考えがすでに逃げてんだっつーの」 「…っ!」 「呆れるほどに臆病で自分勝手で…。アンタって、ほんっとーにっ、嫌な野郎だよなぁ。だっけどさぁ?なんでか、アンタが必要だって言う奴らがわんさかいるわけよ?だったら、そこは、ちゃんと返してやらにゃいかんでしょーが?今まで散々世話になってんだからさ」 「…返す……?」 「そうっ。アンタがいないと生きてけない人の為にも…。自分の為に生きるのが辛いなら、自分を慕ってくれる奴の為に…そんな奇特な奴の為に、生きていくのもアリだと思うわけよ?」  いつの間にか、私の近くまで来ていた男が私から視線を外した。その視線を追うと、私を心配そうに見つめるラクドルと目が合う。  ラクドルが私の腕を掴んだ。その腕が僅かに震えている。 「今までは自分の為だったろうけどさ、アンタは今、新しく生まれ変わったんだし…。だから、今度は大切な人の為に生きてみちゃえば~?なぁ、魔王ちゃん?」  再び男を見る。そこには、今までとは違う、まるで子供のように屈託無く笑う男がいた。 『誰かのために生きる』  ーーそんな事、考えもしなかった。  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  バルコニーから見下ろす、魔国は何も変わっていないように見えた。日差しの強さや頬を撫でる風を感じながら、新しい肉体に流れる血を感じていた。  何もかもが、前と同じように感じられる。 「少し…休まれてはいかかですかね?」  振り向くと、膝掛けを持ったラクドルが立っていた。  その見慣れた様子は、私達のいつもの時間を再現したかのようで、まるで夢のような光景だった。 「調べてみましたら、バスルームやトイレット、ちょっとしたキッチンもありましたよ、この部屋の続きに…」 「…今の私に、食欲や睡眠は必要なのか?」  ラクドルが首を傾け考え込んだ。その仕草が、何故か幼く見えて、思わず口許が緩んでしまう。 「この部屋は『現実』だと仰っておりましたからね。もしかしたら、この部屋限定で、貴方は本当に存在(現実化)しているのでしょうかね?…原理はさっっぱりなのですが…」 「…私もだ。あの男は、すでに私には届かない高みにいる。こんな事は、以前の私にも今の私にも不可能だからな」  あの男は、私に『生まれ変わった』と言っていた。  二人の血が混ざりあい一つになってる以上、私達が同時に別個人として存在する事は不可能なはずだった。  私とあの男は、二つの思考を持つ、一つのものになったはずなのだから。 「そういえば、今の魔王様から伝言を承っておりますが…」 「あの男から?…なんと?」 「…『気が向いたら、いつでも代わってやるから、連絡よろ!』…との事です……」 「……」 「……です」 「………」 「…………ですよ」 「…そうか。やはり、私には理解が出来んな。繋がっているはずなのに……」 「あっ…」 「なんだ?」 「い、いえ…」  ラクドルが躊躇っている。気のせいか、頬が少し赤いような…。 「他に、何を言われたのだ?」  自分の声が、思った以上に低く出て、自身の声に驚いてしまった。そんな私をラクドルが小さく笑った。 「魔王様が仰るには、この部屋に貴方がいる時は、繋がりを遮断しているそうですよ?だから、え~とですね…。わっ、私と…何をしていても、大丈夫だと…その……」  最後の方は、俯きながらぼそぼそと話す。既に顔は茹で上がったように赤い。堪らず笑えば、ラクドルがますます顔を赤くしながら睨んできた。  そっと、その頬に触れる。  ラクドルの瞳が潤んでいく。ラクドルの頬に置いた手に、ラクドルが重ねるように触れてくる。 「温かい。夢ではないのですね…魔王様」 「私はもう『魔王』ではないのだがな」 「では…なんとお呼びすればよろしいですかね?」 「…そうだな。…ああ、あれはどうだ?昔、お前が付けてくれた名があっただろ?」 「あ、あれはっ、貴方が戯れに『自分も名前で呼ばれてみたい』と仰ったからで…」 「そうだったな。だが、お前が考えてくれた名だ。私にとっては、それが一番相応しいように思うのだ」 「……」 「ラクドル。…呼んでくれ。お前が決めてくれた、この世にたった一つの、お前にしか呼ばせない、その名前を」 「……っ、しかし…」 「まさかとは思うが、忘れたわけではあるまいな?」 「覚えておりますよっ!忘れっぽい貴方とは違うのですからねっ」 「なら、呼んでくれ」 「………くっ」  どんなに睨まれても、その赤い顔と甘い魔力が、全てを許していると語っていて、自然と口元は緩んでいく。 「……     様…」  それはどんなものより愛しくて、私の全てを包み込み慈しむ。  ーー私だけの大切な名前だ。  これからの私は、この『愛しき者』の為に存在して(生きて)いくのだ。
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