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13、 ヴァージル 5
目を開けると、自分の部屋のベッドで横になっていた。
すでに日が昇っているのか部屋の中は明るかった。ゆっくりと起き上がりベットの端に腰掛けると、自分がきちんと寝衣を着ているのが分かった。体はどこにも異常はなく、むしろすっきりしている。
まるで、『魔力交換』などしていなかったかのように……。
目を瞑り胸に手を当てる。自分の中にある魔力を静かに回してみると、微かにだったがコウの魔力を感じた。
やはりそれは昨日も感じた、今までのコウにはなかった弱々しくて淡く儚い……あの不思議な魔力だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「よ、じーさん。重役出勤おつ~」
執務室に入るとすぐに、書類の山からコウが顔を出して話しかけてきた。
いつもと変わらぬ飄々とした態度に戸惑っていると、コウが書類の束をワシに差し出してくる。
「とりあえず、こんだけしといたからさ。各部署に渡しといてくんない?」
「……分かった」
足早に近付き束を受け取ると、それを確認したコウが軽く頷き次の書類に視線を戻していく。
文字を追うコウの頭が微かに動く度に黒髪がさらりと流れ、輝くように光を反射していく。そして、やはり後ろの一部だけが跳ねていた。軟らかそうな髪なのに、何故その場所だけがいつも跳ねてしまうのかと不思議に思う。くせ毛なのか、もしかしたらコウ独特のこだわりなのか……。
そんな事を取り留めも無く考えながら、しきりに羽ペンを動かし書類の山を片付けていくコウをぼんやりと見ていた。
「どったの? 体の調子でも悪いん? それ、渡した後は休んでいいよ」
顔も上げずにコウが話しかけてくる。
「いや、調子は……普通、だ」
「ならいいけどさ~」
「コ……魔王様こそ、体は? どこかおかしなところはないか?」
「くはっ! 昨日からそればっかな、じーさんは。
あんなに魔力をぐわんぐわん回してもらったんだからさ。今はめっちゃ絶好調だし」
「……そうか」
「うん」
小さく笑うも、羽ペンの動きを止めないままだ。俯いたままのコウを見下ろす。
昨日まで眠り続けていたとは思えない。自分でも確かにそれを確認したのに。
コウとの今の会話が、なにもかも以前のままで、全てがいつも通りで普通すぎるワシ等の日常の会話だったから……。
――――まるで、夢を見ているような感じだった。
不意にコウが顔を上げる。漆黒の瞳がワシを捉えていた。無意識に引き寄せられ、その瞳を覗き込むように見つめた。ふっとコウが微笑む。
「そういえば、人間界を偵察してる魔族が、人間の王族が懲りもせず『勇者』を探してるって言ってたわ~」
「確かか?」
「ん~? どうなんだろ? その子はあまり人間が好きじゃないみたいだから、人間界にいるの苦痛みたいでさ、どうも真剣に調べてないみたいなんだよね? 他の子達も噂ばかりで曖昧だったし」
「なにをやっとるのか。どこの部署の者だ? 王族には注意しろとあれ程言っておいたのに」
「くはっ! そんなに気にする事ないっしょ? 前の王族ならともかく、現代の王族が、他の世界から『誰かを召喚する』なんて事は出来ないんだし?
なんたって、俺が前王族と共に『召喚』に関する記録や古書を全部、消してちゃったんだからさ~」
「しかし……」
コウが、クスクス笑いながら羽ペンを静かに置いた。そして、片肘を立てた手のひらに顔を乗せながらワシを見上げてくる。
「それよりさ、ラクドルパイセンの代わりを探してくんない? じーさん一人で俺のフォローはキツいっしょ?」
「そういえば、ラクドル殿はどこに……」
「ん? 言ってなかったっけ? ラクドルパイセンには暇を出したから、今は最上階の部屋で『新婚生活』満喫中だし」
そう言って、コウが天井を指さしニヤリと笑う。つられて一度天井を見上げたが、すぐにコウに視線を戻した。
「最上階? この王城の……か?」
「そ。『魔王ちゃん』と一緒にな」
「ッ! まさか、彼の方が蘇ったのか?」
「くはっ! ちょっと違うし。でも、ちゃんと存在してラクドルパイセンと仲良くやってっからさ。心配ねーし」
「……」
「あ、『やってる』はあっちの『ヤってる』じゃないかんな、念の為」
「…………」
「ありゃりゃ。つまんなかった? ごめんな、くははっ!」
「……」
楽しそうに笑い続けるコウを見ながら、聞きたい事は山のようにあったはずなのに、なぜか自分の口から出たのはこんな言葉だった。
「『サクラ……コウ、タ、ロウ』……だったな」
「ん?」
「コ……魔王様がこの世界に来る前の名前、だ」
「ん~? あ~、なんかそんな感じだったかな……うん。ま、いいか。で? それがどったのさ?」
「……間違い、ないか?」
「くはっ! 発音は怪しいけどさ、合ってるよ? ……多分な。
だけど、もうこの世界では『コウ』しか使わねーだろうし。じーさんも覚えとく必要ないんじゃね?」
「しかし……」
「? でも、もう使わないよ? 言われるまで忘れてたくらいだしさ。だからもう、忘れていいよ」
「ッ!」
驚くワシにコウが不思議そうに首を傾ける。そうすると、コウはとても幼く見え、なぜか無性に胸がざわついた。
「……では、ワシが使ってもい……よろしいですかな?」
「くはっ! 急に畏こまんなよっ。なんに使うか知んないけどさ、お好きにどーぞ?」
ワシが頭を下げると、コウが小さく笑い再び書類に視線を戻した。それを見届けたあと書類を抱え直しドアに向かう。背中に羽ペンが紙を走る音を聞きながら、今度こそはっきりと自覚する。
コウが普通であればある程、それは顕著だった。嫌という程に思い知らされる。
――コウが恐れていた『忘れる』という事の、本当の意味での恐ろしさを……。
多分、『辛い』事や『悲しい』事はもちろん。そして、今のコウには『必要ないもの』を優先して『忘れる』ようになっているのだ。
それは、コウの意思に関係なく。それすらもコウが知る事が出来ないままに。
(これを繰り返すのか? 生きてる間中? ワシや他の者の最後の魔力を受け取った後も……全ての魔族がコウに還った後も。
最後の一人になっても……?)
何も変わらない、いつものコウ。だがその時には、全てを忘れ、コウらしささえも失ってしまって……。それでもコウは生き続ける。
――たった一人で、いつまでも。……永遠に。
そして、最後に残っているのは、たった一人になった事を『寂しい』とも思わない……そんな感情をも『全て忘れているコウ』だけなのだ。
ドアの取っ手を掴み振り返る。書類の山に埋もれていたコウが、顔を上げワシを見ていた。離れていても分かるほどに、その漆黒の瞳からは穏やかな魔力が漂っている。
「とりあえず、それ渡したら今日の仕事は終わりな? んで、その後は休んでいいし。引継ぎの件は明日でいっからさ~、よろ」
「畏まりました」
そっとドアを閉めて歩き出す。自分の体内に残った残滓のようなコウの魔力が、一瞬だけ甘くなった気がしたが、やがてそれも薄れて感じなくなっていった。
そして、その時になってようやく思い至ったのだ。
目覚めてから、コウが一度としてワシの名前を呼んでいなかった事に。
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