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やがて目が慣れてくると、眩しいほどの光は『ただの真っ白な空間』に変わった。
どのぐらい真っ白かっていうと、上も下も左右も前後も、そういった方向の概念すら無くなるほどの、ただ白一色の空間。
ここはおそらくゲームと現実の狭間の世界……このゲームの中をもう何周も彷徨っている俺は、そう結論づけた。
そして、この空間に送られたということは、俺はまた、運命のループから抜け出すことができなかったということだ。
「くっそー、どこがいけなかったんだろうな」
ちなみに今の俺の見た目はこの世界に飛ばされてくる前の--少し腹肉のボテついた大人しさだけが取り柄みたいな地味なサラリーマン、羽賀真司(26)の姿に戻っている。
アメジスト色の瞳にアッシュグレーの髪をした理知的なイケメン、ダレス=エーリアの姿からは想像もつかない地味さだ。
つまりダレスのような優雅でノーブルで無邪気な振る舞いを期待されることもないというわけで……俺は真っ白な空間のなっ只中に行儀悪くどっかりとあぐらをかいて一人反省会を始めようとした。
しかし今回は、俺以外にもこの空間にとばされてきた人間がいたようだ。
ぶぉんと空間がゆがむ音がして、眼鏡をかけた地味な女が一人、あぐらをかく俺の眼前に現れた。
「ここ、どこよ!」
喚き声は大きいが、見た目は地味の権化みたいな女だ。
化粧っ気もなく、牛乳瓶の底を貼りつけたみたいな度の強い眼鏡をかけていて、伸ばしっぱなしの毛を後ろでひっつめにしただけの、地味の象徴みたいな完全無欠の地味女なのだ。
どうやら彼女、ここに来るのは初めてらしい。
不安そうに両肩をすくめてあたりを見回しているが、ここは見るものの何もないただ真っ白なだけの世界、どうしても彼女の視線は俺に注がれてしまうわけで。
「あんた、だれよ」
その声はおもいっきり不信と不機嫌を含んでいるが、俺はそれに対抗しうるだけの図太さを持ち合わせてはいない。
なにしろ『ダレス』の姿を失った俺は、彼女いない歴=年齢という、全く女子慣れしていない口下手なサラリーン、羽賀真司(26)なのだから、目の前に不機嫌な女がいるという状況だけで足はガクガク、冷や汗ダラダラ、口を聞くことさえやっとやっと。
「あの、ダレスの中の人です」
俺がやっとの思いで言うと、彼女は低い声で「あ゛あ゛ん?」と唸った。
「あんたがダレス様の中の人だぁ?」
「ごっ、ごめんなさい、中の人っていっても、声優の人を表す隠語とかじゃなくて、なんていうか、ダレスに転生しちゃった者です」
「ンなこたぁ言われなくてもわかってんのよ、私も転生者だから」
「あ、お姉さんも転生者なんですね、あのー、誰の中の人か伺ってもよろしいですか?」
「あたし? チヒロだけど?」
「ああー、ヒロインの方ですね!」
「てか、その話し方やめてよ。おにーさん、多分あたしより年上でしょ」
彼女は俺の目の前に足を投げ出して座る。
「あー、でも納得。ダレスだけ、なんか挙動がおかしかったのよね」
「おかしかった?」
「そう、本当ならダレスルートに入るはずの分岐をスルーしたりとかね」
「ちょっと待ってくださいよ、お姉さん、もしかしてこのゲームにお詳しい?」
「そりゃあ、まあ、重課金勢だったし?」
「しめた!」
地獄に仏、渡りに船、俺が求めていたのはまさに、こういった人物だ。
「実はですね、俺、このゲーム、断罪イベントを7回もループしてるんですが……」
俺が言うと、彼女は「ははん」と鼻先で笑った。
「たったの七周回! あたしなんて数え切れないくらい周回してるし!」
「いや、それ、ゲームでの話ですよね? 俺はここで『ダレスとしての実際の人生』をループしてるわけですよ?」
「あー、まあ、それはキツイよね。何周回?」
「七周回です」
「てことはさあ、私も今から、チヒロとしての人生をもう一周回やらされるわけ?」
「たぶん……」
「まーじかー!」
彼女の落胆もわからなくはない。
例えばクタクタに疲れて仕事から帰ってきたその瞬間に、たった今終えたばかりの『今日』をもう一度繰り返してこいと言われたら、誰だって嫌になるだろう。
オチがわかっているけれどあまり好きではない映画を何回も見せられるのに似て、徒労感が伴う無意味なことなのだ。
それでも俺は、三周回めあたりから、この徒労のループを抜け出すべく色々と手を尽くしてきた。
とりあえずゲームをクリアすればいいかと、積極的にヒロインを口説きにいったこともある。
結果、ヒロインとかなり親密になったが、告白をする前に『断罪イベント』でここに引き戻された。
ならばと逆に徹底的にヒロインを避けたこともある。
何一つ大きなイベントは起きなかったが、平穏な人生が遅れそうな気配はあった。
しかし、またしても『断罪イベント』を通過できずにここに戻された。
つまり『断罪イベント』が何かの契機となっていることはわかるのだが、そこを通過するクリア条件がいまだに不明なのである。
俺がそれを話すと、彼女の眉がピクリと動いた。
「ふうん、面白いじゃない。つまり、その『断罪イベント』をクリアすればいいのね」
どうやら彼女、根っからのゲーマーらしい。
目をキラキラと輝かせて、わずかに鼻息も荒い。
「いいじゃない、だんぜん燃えるわ。このゲームを隅々まで知り尽くしたガチ勢としては、これ以上の燃える展開はないわ」
「じゃあ……」
「いいわ、私の経験と知識で、そのループから抜け出してみせる! っていうか、あんたが頼りなくてもたもたしてるから、私がここに呼ばれたのかもね!」
悔しいが、その通りかもしれない。
ミラクルラッキースター――略称『ミララキ』未プレイの俺では、どうしても手詰まり感があるし。
「ところで……」
彼女は俺にずいっと顔を寄せた。
「これ、もう一度、赤ん坊時代からスタートする感じ?」
俺は少し身を引いて、彼女と適切な距離を取る。
別にエロい意味合いではなく、ありていにいえば彼女が殴りかかってきたときに拳が届かない間合い……俺は、彼女の異常に真剣な表情が怖かったのだ。
なんだか、下手なことを答えたら、殴りかかってきそうな気がする……。
俺は少しおびえながら答えた。
「あ、いや、そこまで鬼畜仕様じゃなくてですね、アイゼル学園の入学式の場面から……」
「なるほどね、大体分かったわ。あんた、ここからは私の言うことを聞いてよね、私の方が『ミララキ』に詳しいんだからね」
「それはかまいませんが……」
「そんな不安そうな顔しないでよ、大丈夫、あたし、なんとなくクリア条件わかっちゃったし」
「ええっ、本当ですか?」
「たぶんね。つまりこのループってさ、『アイゼル学園入学から断罪イベントまでの間』なわけでしょ?」
「そうですね。いつもリリーナ嬢が衛兵に引き立てられていくところで、この空間に戻されるわけですから」
「やっぱりね。っていうか私もさあ、あのタイミングでアインザッハ皇子の手を借りずに毒殺回避したら、真っ先に駆けつけてきた近衛隊長ラインバッハさまにめちゃくちゃ心配されて、そこからラインバッハルートに入るはずだったのよね。でも、そうはならないで、いきなり、ここにとばされちゃったわけじゃない?」
「それが?」
「もしかしたらこれ、私じゃなくて、リリーナ視点で進む物語なんじゃないかな、だからリリーナバッドエンド時点でゲームオーバーになっちゃうんじゃない?」
「そんなことがあるんですか?」
「あるんじゃない? 生身の人間がゲームキャラに転生しちゃうなんてことが起こるんだから、何があってもおかしくないでしょ」
「まあ、それは確かに…………」
「ともかく、あんた、私のいうことを聞きなさいよね。まずはその敬語、禁止」
「わ、わかり……わかったよ」
「とりあえず、リリーナ救済エンドを実現させたら、この世界にもエンドマークがつくんじゃないかな」
彼女はずいぶんと自信満々だが、俺はちょっぴり懐疑的だ。
「ええ~、そうかなあ」
「なによ、どうせ失敗してもループするだけでしょ。だったら、試してみる価値はあるんじゃない?」
「まあ、そうだけどさあ……」
「考えるよりもまず行動! ほら、行くよ!」
「ええっ、ちょ、ちょっと待てって」
「待たない! さ、再スタート!」
彼女のコールとともに空間がゆがみ、ふわっと体が浮くような感覚があった。
ゲームが再び始まる合図だ。
こうして、『リリーナ救済エンド』を目指す八周回目のプレイがスタートした。
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