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朝になると、近所のおばちゃんが歌を歌っている。そのたびにおばちゃんがじょうろで水をやっているブランターからポンッと芽が出て、にょきにょきと伸びていく。
遠足で芋ほりに出かけたときは、芋畑のおじさんが「朝から毎日一生懸命歌って育てた芋はおいしいよ」と照れたように教えてくれた。
歌を歌わないと植物が育たない世界は、歌を歌えないのに園芸係になってしまった私にとっては肩身が狭い。
園芸場では既に自分たちの管轄で歌い終わった園芸係が去っていくのが見えた。他の学年も自分たちの管轄で歌っているんだろう。どこからか歌が聞こえてくる。
到着した園芸場の区画を、私は忌々しく見下ろした。土は用務員さんたちが水をやっているのだろう、既に湿っていた。でも歌は歌っていないらしく、芽は出ていなかった。
私は周りに誰もいないのを確認してから、どうにか息を吸って吐いて、声を出そうとする。でも喉に栓がされたみたいに、ただ空気だけがヒューヒューと通っていって、歌になんてなってくれなかった。
やっぱり。どうしよう。私が俯いたそのときだった。
「ええ? お前うちのクラスのだろ?」
不愛想な気だるげな声をかけられ、私は「ひいっ!」と飛びのいた。教室にいるときは常に不機嫌で、しゃべったことがない橋田くんだった。
学級委員は、彼も同じ園芸係だと教えてくれたと思う。私はガクガクと震えると「あんだよ」と橋田くんはピリピリとした声をかけてくる。
橋田くんは「ちっ」と舌打ちすると「ここがうちの管轄の花壇だよな?」と確認してから、口を開いた。
私はそれを思わずまじまじとしてしまった。
橋田くんの歌声は掠れているけれど伸びやかで、合唱部がうたうようなクラシックでもなければ、アイドルが歌うJ-POPでもなかったけれど、綺麗な歌声だったのだ。
私がヒューヒュー息を吐いてもぴくりとも反応しなかった花壇は、明らかに蠢きはじめた。
ポンッポンッと音を立てて、芽が出てきたのだ。それに私は「すごい……」と声を漏らすと、橋田くんは半眼でこちらを見てくる。
「なに? お前さぼって歌ってなかったろ。俺に押し付ける気?」
「ご、ごめんなさい……」
橋田くんの言葉に、私は尻すぼみな声で謝る。それに橋田くんは「ちっ」と舌打ちをした。それに私はますますビクビク震えていたら、また聞いてきた。
「なに? お前音痴だから歌いたくねえの?」
「……私、そもそも風邪引いている間に、勝手に押し付けられたから……私、歌うの、無理……」
「それって、歌えねえってこと?」
私はブンブンと首を縦に振った。橋田くんは少しだけ考えた素振りをしたあと「じゃあこうしよう」と言い出した。
「念のため聞くけど音痴ではねえんだな? だとしたら練習したら歌えるだろ。練習すんぞ」
「え……」
「あんだよ。俺ひとりに押し付けんのかよ。そもそも俺が風邪ひいてたら、お前歌わねえと花壇枯れんだろうが」
それもそうなんだけれど。私は態度も人相も悪い橋田くんが、思っているよりも面倒見がよかったことに、少しだけ呆気に取られていた。
こうして、私と橋田くんは、朝一番から当番のあとに歌の練習をはじめることとなったのだ。
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