*聖なる侵入

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*聖なる侵入

   涅槃システムで、次なる輪廻の為に記憶を捨てた『無垢ウォッシング』が完了していない新参者の精神は、現世でのアイデンティティを残した聖なる姿のままだ。  だからメアリーは十六歳の麗しい乙女だし、加藤は頭と右手しかなく、キッドAは半身が陽炎のように揺らぐ大きな赤ん坊だ。  その奇異な陽炎の半分の子は、眼下の同じような半分の子が紡いだ曼荼羅を見て呟く。 「なるほどね......留め置いた精神たちをグリッドしたマトリクスが巨大なコンピューター擬きの回路になってんのか。この凄まじい電算処理能力を使って、『お母さん=お父さん』達がプログラミングした涅槃システムを改竄して『輪廻転生』を滞らせたって訳か。なかなか大それた事をやってくれてんじゃん......ギャハハハ」  見下ろすキッドAは、「まんまとしてやられた」と笑っていたが、表情は引き攣っていた。 「アイツ単純に『哀しみ』と『憤り』の二進数で計算してんだ。そこに『憎しみ』って文字のある左手が落ちてきたからバグちゃったんだね」  キッドAの推測通り、加藤の沈黙したままの『憎しみの左手』は、自由の女神に恋人を圧殺された事を始まりとし、空爆で両親を喪い、十五年間の戦争に関わって脚を失くし、薬物に溺れ、多くの友の冥福を祈り、自らを呪い死を願っても何度も生還し、身体を切り刻まれ壊物として生きて戦ってきた、今も続く現在進行形のネガティブを閉じ込めた、小さな爆弾だった。  それがコンピューターウィルスのように曼荼羅に触れ起爆した。その結果が今起きている光景だ。  曼荼羅は沸騰しながら波打ち、半身で横たわる中心の嬰児から伸びたニューロンの触手は、取り囲む無数の精神を鞭打する。  叩き起こされ、曼荼羅の構成部品であることを解かれた精神たちは、迎撃部隊として強制射出される。  侵入者であるキッドAと加藤、メアリーを襲う弾丸のような黒い魂の球。 「あああー、もおおおー、鬱陶しいいいいいい!」  キッドAは軽く回転し、操られた魂の銃弾を跳ね除けた。  加藤とメアリーも、雨霰の弾魂に晒されながら、曼荼羅の崩壊の序章を目撃していた。狙われているのは、模倣死者の自分たちだと思っていたが、弾魂の射撃が絶対に阻むべく対象としていたのは、彼らの背後に迫りつつある凶々しい影を持つ、招かれざる虚群だった。
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