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「ふーん。しっかし酷い話だよねえ。借金ぜーんぶ娘に押し付けて」
女のブレない強気な態度が鼻について、俺は少し弾んだような声で悪戯に言葉を投げかけた。
「こんな形になってしまいましたけど、父には育てて貰った恩もありますので……」
女はまた感情の色を出さずに、俺は少し期待はずれでタバコの煙を吐き出しながら無感情に答えた。
「泣ける話だねぇー」
女に背を向ける様に立ち上がり、タバコをシンクへと放り投げ水を流した。静かな部屋にジャブシャブと水の音が響き渡る。年季の入ったシンクは綺麗に磨かれて、水の染みた吸い殻が排水口へと流されていく。
「着替えとか必要なもの用意しちゃえよ」
「……はい」
俺の言葉に女はギシギシと立て付けの悪い押し入れを開けて、小さなボストンバッグを取り出す。所々擦り切れていて、淡い花柄の描かれた古びたバッグだった。口元を広げ小さなタンスから衣類を取り出し鞄に詰める。
「え? そんだけ? 」
女が数回の動作でファスナーを閉めた時、思わず声が漏れた。片手で軽々と持てるほどの荷物を手に持ち、立ち上がった姿は一泊旅行に行くにも軽装すぎる様にも見えた。
「ええ。どうせ服を着る機会もないでしょうし」
「あはは。すごいね。肝が据わっていると言うか何というか」
俺は女の言葉に意表を突かれ、思わず声を出して笑ってしまった。
「じゃぁ。行こっか。あかりちゃん、面白いから俺がちゃんと店長に話してあげるよ」
時間潰しに吸おうと思っていたタバコをそのまま胸ポケットに戻し立ち上がると、感謝なのか皮肉なのか、女は礼を言った。
「……ありがとうございます」
女は少し古びたスニーカーに足を入れ、長年住んだ部屋を振り返る事もなく、俺の後をついて来た。憎しみしかないのか、未練など持つだけ無駄だと思ったのか、女の素っ気なさに引きずられ、俺の方がアパートを横目で追っていた。
いかにも取り立て屋ですと言わんばかりの黒い車の運転席には、仁が座っていて、タカヤが後部座席の前に扉を開けて立っている。
古いアパートばかりの町並みに似合わない車が景観を濁す。
ここに入ったら終わり。踏み込んでは行けないと黒いセダンを前に女の中で、警報が鳴っているだろう。
「お先にどうぞ。お嬢さん」
俺は手を出して女を先に入るように促す。女はちらりと俺を見て、2度と戻れない場所へと足を踏み入れた。
秋の終わり。暑さはずっと昔に通り過ぎた様で空が呆れるほどに高く広がる。
雲が流れて、あまりに綺麗な空はずっと昔に見たような気がする。
女が座ったのを見計らってから、すぐに後部座席に乗り込む。タカヤがドアを閉めるとすぐに助手席に乗り込んで、車の音だけが車内に広がった。
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