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全員が同じ様なスーツを着ていても、後から入ってきた黒髪のオールバックの男は別格だった。
グレーの品のいいスーツに綺麗に磨き上げられた靴のまま、ゆっくりと私の前に姿を現す。
涼しい表情でタバコを咥えて、口元は悪戯に笑い、これから哀れな世界に連れていかれる私を嘲笑っていた。
オールバックの男が不敵な笑みを浮かべ、テーブルの上に座って私を見る。
俺からは逃げられない。地の果てまでも追いかけてやるという高圧的な目と、隠しもつ狂気が肌からひりひりと伝わってくる。
見透かす様な瞳から目を逸らすも、妖艶な香りと圧倒的な存在感から離れがたくて、私は顔を見ないように気配だけを鮮明に感じ取っていた。
少しだけ視界に入る指先や仕草。爪先までが目から離れなくて、さっきまでとは違う胸騒ぎが胸を締め付けていた。
切れ長の目に、整った鼻筋と薄く形の綺麗な唇が、張り巡らされたクモの糸の様に絡まって私の目を奪っていく。
だけど男が私を見る目は冷たく哀れんでいて、これから売られていくオモチャを品定めしている様だった。
恋とは違う。追い詰められたこの状況に、私は動転して見たことも無い佇まいの人に惹かれているだけ。恋なんてする機会も無かったから、少し綺麗な見た目の人に惹かれただけ。男の冷めた目に、私はちゃんと現実に戻っていく。
「随分と殺風景な家だなぁ。お前まだ20そこそこだろ? ダメ親父を持って災難だなぁ」
笑うとクシャッとなる表情が張り詰めた糸を解きほぐし、話し出すと意外にも物腰が柔らかい。
冷静になるつもりも、不思議な佇まいの男に心が乱されていった。
男は私の腕を掴んで、無理やり跪かせる。タバコをテーブルの上で押し消して、少し痛みの残る指先が私の頬を掴む。
「あかりちゃーん。なかなか美人さんだから、ソープでいけるかも。お兄さんが早く返済できる良いお店紹介してあげるよー」
長いまつ毛と目の形がくっきりと私の目に映って、息のかかる程の距離で男が私の顔を覗き込む。
「……ソープ……ですか」
改めて言葉にされた事によって、そこにしか私の道は無くて、短い時間で稼げそうな仕事だなと思った。でもすぐにソープという言葉は、鈍器で殴られた様に重くじわじわと心の痛みに変わっていく。
「じゃぁ、行こうか。ある程度の荷物まとめてねー。ここは引き払っちゃうし、逃げないように寮に入ってもらうからさー」
そう言ってスッと立ち上がった男の姿はやっぱり目を惹いて、風俗に売り飛ばされる時に売り飛ばすヤクザの男に胸を熱くする私は、きっとどうかしている。
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