361人が本棚に入れています
本棚に追加
「は? え? 」
予期せぬ言葉は、俺の思考を止めてソープに売る側と売られる側の境界線を曖昧にさせた。
「……私、未経験なので、そういう店で働いても使い物にならないと思うんですよね。だからその前に……慣らしてほしいんです」
女は「その先のコンビニに寄って下さい」とでも言うように、言葉を言い終わらないまま前を向いた。
「は……」
唐突な出来事は俺に一瞬声を忘れさせ、溜飲が下がり笑いが込み上げて来た。
「……はは。ははは。ああ。いいよ。そりゃそうだ。処女が本番やるんじゃ、しんどいわな。はは。しかし……ヤクザの俺に抱いて欲しいなんて強気だね」
車の窓を流れる景色に取り残された様に、こちらを見ない女の横顔を見た。
「おいタカヤ。予定が変わった。とりあえず今日こいつ、俺んち連れてく。川崎んとこは後日連れてくわ。アパートの片付けはちゃんとやっておけよ」
助手席を後ろから蹴り飛ばすとタカヤは首を亀のように伸ばし俺を見て、すぐに頭を下げた。
「はい。分かりました」
「……あかりちゃん。何考えてるか分からないけど、ヤったからって借金は変わらないからね」
窓を開けタバコを取り出し、火を付けて煙を外に吐き出した。陽のあたる場所を歩かなくなって、どれ程の時間が経っただろうか。慣れない陽の光が不似合いな喝采を浴びている様で、すぐにタバコを吐き捨てて窓を閉めた。
「分かってます。そういうんじゃないです。でも……希望に応えて頂いて嬉しいです」
女は体は正面に向けたまま俺の方を軽く見て頭を下げた。こちらを見ない瞳は陽の光で濡れている様にも見えて、抑揚のない声は言葉とは裏腹に希望など感じなかった。
「ぜっんぜん嬉しそうじゃないけどな」
「元々、無愛想な顔なんで」
「はー。ソープ行っても稼げなそうだな、お前」
「……精進します」
俺の溜息に少しだけ気まづそうな顔を見せて、女は深々と頭を下げた。
「はは。ウケるなぁお前」
少しばかりの表情の変化に女の機微に触れた気がした。長い髪で隠れた顔が見たくて、気まぐれに指先を伸ばした。
「……すみません。出ます」
タカヤの携帯の音が車内に響いて、触れずに戻した指先を閉じ込める。
「リキヤ達がアパートに向かったそうです」
「……分かった」
車が速度を落とし、見慣れたマンションに横付けする。タカヤがすぐに後部座席の扉を開け、女の気配を振り切る様に車を降りた。
絡みついた糸に頬を撫でられて、視線を後ろに向ける。女は腰をずらし車から降りてタカヤに頭を下げ、荷物を抱えて俺の後をついてきた。
スーツのボタンを外しながら、マンションのエントランスへ入る。オートロックの自動ドアが閉まってしまいそうで、女は滑り込む様に自動ドアをすり抜けた。人形が少しだけ慌てた姿に、僅かに足が弾んだ。
乗り込んだエレベーターのドアが閉じるまでをカウントする。女がタイムオーバーになる前に俺の元に駆け寄って、エレベーターに乗り込んだ。
最初のコメントを投稿しよう!