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玄関に入り手探りで電気を探す。指先に触れたスイッチを押して、昼白色のライトに少し目を細めた。足元には見覚えのある赤色のサンダル。何かの間違いかも知れないと、どこかで期待をしていた小さな願いは見事に散った。
靴のまま足を踏み入れて歩き出すと左手側に扉がある。扉は少し開いていて、暗がりの中、息を呑むように中を覗く。
床には衣類が散らばっている。もしも予期せぬ人の死に対面し、それを隠そうとした場合、風呂場に放置する可能性は高いだろう。暗闇の中、あかりの姿がリンクする。
鼓動が早まる。自分の心臓の音をこんなにも認識したのはいつ以来だろうか。
ドアノブに伸ばした指先が震える。ひやりと触れた指先が氷の様で、人の生が奪われた時のものに良く似ていた。
人の死を知っている。人の命の脆さを知っている。扉を一気に開けた。
バスルームには誰も居なくて、足から崩れ落ちそうになった体を壁に預けた。心臓の音は、たぎるように熱を上げていて大きく息を吐く。
呼吸を整えながらバスルームから廊下に戻る。視線を左に向けると、扉の奥に明かりが漏れていることに気付く。足を引きずる様にリビングに向かう。
耳をすませながらリビングのドアノブに手をかける。川崎がこの家に帰ってきて居るのならば、死体をリビングに放置する事はないだろう。
何度も小さな希望を見出しては、あかりの姿を探す。あまりに静かな部屋の気配に手にはじっとりと汗をかいていて、扉を開けた。
薄暗く電気がついたままのリビングは10畳ほどの広さで左側にキッチン、右側に2人掛けのソファーと木目調のテーブルが置いてある。鼻をつく臭いがむわっと漂って、空気はじっとりと重い。キツい香水の匂いが残っていて息苦しさが増す。
テーブルや床にはペットボトルやコンビニのゴミなどが所々に散らばっていて、あかりの姿はない。物音一つしない部屋を見渡して、最悪の事態が頭に過ぎる。リビングを抜けた先に1つの部屋がある。あの部屋がもう最後だろう。一歩、扉に近づくと床がきしんで思わず足を止めた。
寝室らしき部屋の扉に耳を当てる。心臓の音が耳にまで連動して、聞こえるのは自分の鼓動と荒くなった呼吸だけ。吐き出す息はこんなにも大袈裟に聞こえるのものなのかと、静けさに耳を疑う。震えた手でドアノブをゆっくりと掴んだ。
間違いなくここに居る。生きているのか死んでいるのか……その2択。白か黒の様なものでは無く、永遠に交わる事のない人の定め。
息を小さく吸い込んで扉をゆっくりと開けた。
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