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「……千尋。俺の名前だよ」
「……ちひろ」
「そう。俺はお前の……恋人だよ。だからもう何も心配いらない」
「……こいびと」
あかりは俺の言葉を繰り返すだけで、そこに意思は感じられない。何が恋人だと、もう1人の俺が笑っている。
「……そう。だから、俺を信じていればもう大丈夫だから」
こんなネックレスにしがみ付いて、1人悪夢を見続けているあかりが哀れで仕方なかった。
「……どこ行くの? 」
人形の様なあかりに服を着せて、抱きかかえる。腕に触れるあかりの体は、柔らかさを失い骨と皮だけの様に軽くなっていた。体温だけがあかりを人間だと知らせてくれていた。
「大丈夫。心配ないから」
「大丈夫。信じて。心配ないよ」何度も繰り返す薄っぺらな言葉が、地獄に続く細い蜘蛛の糸の様で俺は必死に掴み続ける。
マンションから出て、車の後部座席にあかりを座らせるも、不安そうな顔のあかりは俺の腕を掴んだまま離さなかった。
「大丈夫。俺を信じて」
あかりの頭を体に寄せて、耳元であかりに泡沫の言葉を告げた。シートベルトだけは確実にあかりを固定して守ってくれていて、俺なんかの安っぽい言葉よりずっと信頼が持てた。
「少し目を閉じてな。眠っているうちに着くから」
運転席に戻ってエンジンをかける。体に振動が伝わって、小さく息を吐いた。ミラーに映るあかりは目を閉じていて、車の揺れに抵抗する事のない姿が時折不安にさせる。
ラジオはもう切り替わっていて、テンション高く男達が喋っている。脳内に言葉達を呼び込もうと意識を集中させるも、そんな事に何の意味も持たない事に気が付いてすぐにボリュームを下げた。
花火が舞散る様に夜の光に照らされて、それに逆らって車を走らせる。行く先は闇しかない気がして、光を手繰り寄せる様に目で追った。
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