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15分ほど車を走らせると、古びたビルが視界に入る。ビルの手前に車を寄せて、後部座席のドアを開けた。
あかりの体は小刻みに震えている。目を薄っすらと開け、呼吸を確かめなければ死んでいるようにも見えた。
「あかり……大丈夫。ちゃんと元気になるから」
大丈夫。大丈夫。何度も祈る様に言葉を唱える。そこには何の意味もないのにと、もう1人の俺が問いかける。
あかりを抱えてビルの階段を上っていくと、年季の入った階段が鈍い音を立て、すぐに辿り着いた古い扉のドアノブを掴む為に腰を落とす。
あかりを抱えたままドアノブに手をかけて、薄汚れた扉を体で押しながら中へ入る。油の足りない蝶番がギィーと音を立てて、白衣を着た先生の後ろ姿が視界に映る。
「……先生。こんばんわ。お世話になります」
あかりを抱えたまま、頭を下げる。先生はゆっくりと俺たちの方に椅子を回して、髭を撫でながら鋭い目であかりを見る。
「そこに寝かせろ」
「いやっ」
「大丈夫。俺の信用してる先生だから」
先生の声にあかりは興奮して足をバタバタとさせ、俺の背中にしがみ付き爪を立てる。
「何の薬だ? 」
先生は立ち上がり、冷めた声で尋ねる。あかりの目をじっと見ながら手首で脈を測る。
「新種のドラックです。現物はここに。知らないうちに飲まされていて、もう俺のことも覚えていないです」
ポケットからパケットに入ったドラッグを取り出して、先生に手渡す。
「そうか」
先生は受け取ったドラッグを透かすように見つめる。一瞬、顔を歪めてデスクの上にパケットを放り投げた。
「先生。俺、この後一件、行く所があります。その間お願いできますか? それが終わり次第、戻ります」
「ああ。とりあえず眠らせるか」
先生は背を向けながらベッドを指差して、薬の入っている棚の扉を開く。
「お願いします」
仕切られたカーテンを開けて、ベッドにあかりを下ろす。ベッドに触れるのも嫌そうなあかりは、俺にしがみ付いたまま首を何度も横に振る。
「大丈夫。少しだけ待ってて。目が覚めた頃に俺もここにいるから」
虚な目のあかりの手を自分の体から離して、ベッドに寝かせる。先生は俺の横で注射の用意をしていて、あかりの目を手で覆って「大丈夫」と言った。さっきよりも、ずっと確実な意味を持った「大丈夫」は俺自身にも深く刺さる。
「少しチクッてするよ」あかりの耳元で言うと、針を刺されたあかりは体をビクッとさせた。
「先生。金ならいくらでも払いますんで、助けてやってください」
「出来ることはしてやるよ」
あかりの目から手を離しながら、先生に頭を下げた。先生は早く行けと促すように手をひらひらさせ、俺に背を向ける。
すぐに眠りについたあかりから離れ、先生に頭を下げてから病院の扉を閉めた。
階段を一段、一段と降りながら、震えたあかりの姿が色濃くなっていく。あかりの体はずっと震えていて、ドラッグの影響は明白だった。
目の焦点は合わず、記憶も曖昧。ぼーっとした状態が続いて、間違いなく脳がやられている。
ドラッグでイカれた奴らを何人も見てきた。死んでいく奴も、生きているだけで廃人になった奴もいる。
それでも生きていて良かった。どんな姿だろうと、生きていてくれただけで十分だ。
乗り込んだ車の運転席に顔をうずめて、腹の奥から息を吐き出す。殺気立つ全身の怒りが抑えきれずに、エンジンをかけた。
川崎をこの手で葬る未来が鮮明に体に張り付いて、震えが止まらなかった。
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