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病院に着いた頃にはもう夜が明けていた。群青の世界に東の空から熟れた果皮がまどろんで、橙色の光が夜の気配を消していく。
ひんやりと湿った空気を腹の中に押し込んで、階段を上がっていく。
組のかかりつけの先生の病院はヤクザや夜の店、保険証を持たない外国人などが足を運ぶ。
院内は8畳ほどの診察室にベッドが1つ。隣り合わせにカーテンで仕切られた2台のベッドがあるだけの小さな病院。
先生は奥の部屋に寝泊まりをしていて、長いことこの場所で見捨てられていく命を救っている。
病室に戻ると先生の姿は無かった。
消毒の匂いが鼻に付き、閑散とした空気が喉を乾かせる。カーテンを開けると、あかりが点滴をされたまま眠っていた。
「……生きてる」
思わず声が漏れた。窓際に置いてある丸椅子を引きずって、あかりの顔の近くに腰を下ろす。
暁が闇夜に色を連れてきて、あかりの青白い顔に柔らかな光が触れて行く。
「こんな顔してたんだっけ……。ヤッてばっかで寝てるとこなんて見てなかったな……」
瞼を閉じたあかりの顔は、多くのものから解放された様に穏やかで、このまま眠り続けている方が幸せなのだろうかと思った。
点滴の繋がれた腕は細く血の気がなくて、自傷した痕が生々しく残っていた。白い肌を削った細い線たちは赤黒く縁取って、触れると傷口が開いてしまいそうなほど熱を持っていた。
「こんな傷無かったのに……」
治りかけているものや、まだ新しいもの。あかりの傷口に指先をなぞらせると、ざらついた膨らみが思わず喉元を締め付ける。
感情の無いあかりの手のひらに手を重ね合わせ、あかりの体温が伝わってくることに目の奥が熱くなった。
「あかり……。好きだよ……。これからはずっと、そばにいるから……」
あかりの手を持ち上げて唇を寄せる。きつく握りしめても、その手は人形の様で俺を受け入れない。
「……もっと早く伝えれば良かった……」
何一つ、反応を示さない。ただ眠っているだけなのに、薬物に染められたあかりの姿が胸のざわつきを抑えきれない。
「朝日が眩しいなぁ……あかり……目も開けられねぇな」
神様なんているとは思わない。だけどあかりはあんたの怒りに触れる事なんて何もしてきていない。幾度となく魂を差し出した俺には死神がお似合いで、この先ずっと罰しか与えられなくても構わない。それなのにこれが、このやり方が死神の見返りなのだろうか。
血の1つも流さずに俺が生きていて、あかりは何の戒めに犠牲になった?
不公平すぎる世界に俺は祈るように目を閉じた。
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