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日本の朝
「これオープニング後に1分20秒入れます。いけますか?」
「はい問題ありません。時間通りで」
「わかりました。お願いします」
「よろしくお願いします」
出社後、台本の出力やスタジオのセッティングを済ませ、最終リハと打ち合わせを終えたわたしは大きなカメラの陰に身を屈めた。
頭の中でもう一度タイムスケジュールを計算し直す。大丈夫、なんとかなりそうだ。
見慣れたスタジオにはいつもの機材といつもの人が並んでいる。そこかしこで最終調整が行なわれ、それぞれ自分の立ち位置に戻っていく。ここにいる全員がきっと同じ気持ちだろう。
時計を見る。そろそろ時間だ。
さて、今日もいつも通りに寸分違わず。
「本番10秒前!」
わたしは声を張り上げる。周囲は音一つなくなった。
明るいフロアの中央には、しっかりとメイクをして皺ひとつないスーツを着た女性アナウンサーが真っ直ぐに立っている。
彼女は番組開始当初から一緒にやってきた戦友だ。昔に比べれば立ち姿が堂々としてきたが、その整った顔立ちは昔から変わらない。
綺麗だな、といつも思う。そうでなくちゃ、とも。
「8、7、6」
毎日コーヒーと同じ色の時間に起床して、酔っ払いばかりの終電で出社する。
友達から遊びに誘われることもなくなり、ベランダのアサガオが開いているところをわたしは見たことがない。
けど、それでも別に構わなかった。わたしはこの仕事が気に入ってる。
この幸せは、わたしにしかわからないんでしょうね。
「5秒前、4、3」
口を閉じて、指を二本折る。光に立つ彼女と一瞬だけ目が合った。
いやいやこっち見てる場合じゃないでしょ。
あなたの綺麗な顔はみんなに見せてあげなきゃ。
――わたしは右手を、差し出すように彼女に向けた。
他の誰でもない。
わたしの手で、この国を朝にする。
「おはようございます! 8月10日、朝のニュースです!」
全国のテレビ画面の中で、女性アナウンサーはとびきりの笑顔を咲かせた。
(了)
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